みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                      水崎遺跡  対馬市美津島町大字字仮宿

 長崎県教育庁学芸文化課HP「長崎県の遺跡大辞典」による説明は、次のとおり。県道24号により美津島町尾崎漁港へ向かう。漁港の先の方、大島の「都々地神社」が対岸となるあたりの畑地に遺跡説明板がある。 

遺跡名
 水崎遺跡(みずさきいせき)

所在地 対馬市美津島町大字字仮宿
緯度 北緯34°18′59″ 経度 東経129°13′32″
標高 4m 地形 沖積地
種別 遺物包含地 時代 中世〜近世(12世紀〜17世紀前半)
資料所在地 対馬市教育委員会 指定状況 未指定
参考文献等 『水崎遺跡』 美津島町文化財調査報告書 第8集 1999
『水崎(仮宿)遺跡 』 美津島町文化財保護協会調査報告書 第1集 2001

遺跡・史跡の概略
 遺跡は浅茅湾開口部付近の狭小な平坦地に位置する。町道拡幅に伴って1996年美津島町教育委員会によって調査された他、遺跡の重要性に鑑み2000年再度内容確認のための発掘調査が実施された。 当該地は15世紀前半頃、朝鮮王朝や琉球と交易を行っていた海商早田氏の拠点であったとされている。出土遺物は輸入陶磁器が主体を占め、中でも朝鮮王朝陶磁器が70%を占めている。また東南アジア産の陶磁器も5%を占め、琉球を通じて手に入れた状況が看取されている。
 遺跡は14世紀後半から15世紀前半頃に一つのピ゚−クがあり、備前・信楽焼の甕の存在から15世紀から16世紀にも遺跡として継続し、以後17世紀前半頃まで連綿として継続している事が確認された。

主な遺構
 掘立柱建物
主な遺物
 1996年調査:国産陶器(備前・信楽)、中国産・朝鮮王朝陶磁器、ベトナム産陶磁器、石鍋:2000年調査:中国・朝鮮王朝・タイ・ベトナム陶磁器、メノウ製石帯、中国銭貨(含む大元通宝)

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                 長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5869 対馬(2)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:5869 対馬(2)

 対馬関連作品は、ほかに目録番号:5867(1)、5870(3)、5876(4)、5877(5)、5878(6)がある。

  ■ 確認結果

 目録番号:5869「対馬(2)」は、撮影地が長崎県対馬の6作品の1枚である。画像解説がなく、撮影者・撮影年代とも未詳となっているが、現在の対馬市美津島町尾崎漁港を撮影している。
 前記事とした目録番号:5878(6)の、大島にある「都々智(つつち)神社」(里宮)のまだ手前、尾崎漁港入口のバス停あたりからの景色である。
 ほかの関連写真も、近辺の集落や海岸と考えられるが、調査時間がなく、まだ確証を得るまでに至らなかった。

 目録番号:5878「対馬(6)」は、朝日選書862「龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港」2009年刊の189頁に掲載があり、撮影者を次のとおり解説している。
 目録番号:5869「対馬(2)」もこのとき撮影された湾内の1枚で、撮影者はヘンリー・スチュアートである。

  82 都々智神社とイギリス軍艦
 対馬の浅茅湾に進入したイギリス海軍ヴァーノン号と都々智神社。1861年にはロシア艦隊がこの湾の一部を半年間占拠した。
 ヘンリー・スチュアート撮影、1890年、鶏卵紙、15.2×10.3

 1890年、イギリス海軍の軍艦ヴァーノン号が対馬の浅茅湾に停泊しました。この軍艦の見習い将校ヘンリー・スチュアートが撮影した対馬の大島の都々智神社と軍艦の写真です (写真82)。場所は湾の入り口付近で、対馬を撮影した写真としては最古のものでしょう。長崎大学にはこのき撮影された湾内の写真がほかに5枚残されています。…

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                 長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5878 対馬(6)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:5878 対馬(6)

 対馬関連作品は、目録番号:5867(1)、5869(2)、5870(3)、5876(4)、5877(5)がある。

  ■ 確認結果

 目録番号:5878「対馬(6)」は、撮影地が長崎県対馬の6作品の1枚である。画像解説がなく、撮影者・撮影年代とも未詳となっているが、現在の対馬市美津島町尾崎漁港の大島にある「都々智(つつち)神社」(里宮)を撮影している。関連写真は、近辺の集落や海岸であろう。

 この作品は、朝日選書862「龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港」2009年刊の189頁に掲載があり、画像解説は次のとおり。186〜187頁に詳しい解説がある。

  82 都々智神社とイギリス軍艦
 対馬の浅茅湾に進入したイギリス海軍ヴァーノン号と都々智神社。1861年にはロシア艦隊がこの湾の一部を半年間占拠した。
 ヘンリー・スチュアート撮影、1890年、鶏卵紙、15.2×10.3

 この項は、再掲。本ブログ次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/62121882.html
 今般、遺産リストで対馬を訪れる機会があり、古写真の現地確認も行った。目録番号:5878「対馬(6)」は、現在の対馬市美津島町尾崎漁港の大島にある「都々智(つつち)神社」(里宮)を撮影しているのは間違いないので、現在の写真を載せる。

 

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                     豊玉の猪垣  対馬市豊玉町横浦字白子ほか

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。唐津から壱岐へ渡り、博多からの深夜便フェリーに乗り継ぎ対馬厳原港へ着いた。国道382号で万関橋を渡って北上。豊玉町横浦から塩浜の方へ向かうと山手鞍部に、「豊玉の猪垣」入口案内板がある。
 
      豊玉の猪垣 とよたま、いがき
対馬市 横浦<長崎牧?> 野馬土手(石垣) 長145+96m,高1.1m 中世〜江戸期 県有形民俗 WEB/市教委 残存部の保存状態良好 対馬の農事業で有名な儒者・陶山訥庵の猪鹿追詰の際に築かれた石垣と伝承されてきた/近年の研究では、中世から近世元禄の頃まで設置されていた宗氏の馬牧場の一つ長崎牧の石垣であった可能性が指摘 2 B

 HP「長崎県の文化財」による説明は、次のとおり。

      豊玉の猪垣

有形民俗文化財(県指定) 
よみがな とよたまのいがき
指定年月日 1973年02月06日
所在地 対馬市豊玉町横浦字白子ほか

 豊玉町塩浜の西南の尾根に,東西約240mにわたり,高さ1.1m,上幅0.6m,下幅1.2mの石垣が築いてある。対馬全島に類例がない。元禄の野猪狩りは,対馬藩政史上画期的な事業であったので,その遺構ともいう。ほかに山城説,斎垣(いがき)説もある。ただ西彼杵半島や五島各地に現存する猪垣に,構造がよく似ていること,ししがきは一般に鹿垣と書き,猪のみが対象でないことなど,村の共同防災用・狩猟用も加え,まだ考察の余地もある。

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                  東山代の明星桜  伊万里市東山代町浦川内字浦川内

 佐賀県HPの「佐賀県の文化財紹介」による説明は、次のとおり。伊万里市東山代町の国道204号から「明星桜」案内板により浦川内公民館へ向かう。公民館先の観音堂高台に「明星桜」はある。
 この項は再掲。本ブログ次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/36869746.html
 開花写真は、ブログ”gonbeyaの部屋”氏(私の先輩)が2014年3月27日撮影。

佐賀県天然記念物 東山代の明星桜(ひがしやましろのみょうじょうざくら)

平成5年3月31日指定
伊万里市東山代町浦川内字浦川内 観音堂
植物

東山代の明星桜
 明星桜は、伊万里市東山代町浦川内の観音堂境内にある。根回り付近は石垣で囲まれ、根回り5m、樹高13m、枝張り東西約21m・南北15mの巨木である。地面直上から幹回り2mの主幹4本が分岐し、一部空洞が見られるものの、樹勢は旺盛で、3月末〜4月初めに新葉とともに薄紅色の花が咲く。
 サクラは陽樹に属し、九州海岸付近の暖帯林、特に照葉樹林の郷土樹種の中で育ち、その寿命は100年前後といわれる。明星桜は、主幹の状況などから100年をかなり上まわる樹齢が推定でき、県内のサクラの中では代表的古木である。
 由来としては、今から820年ほど前、松浦2代党祖の源直公の臣浦内淡路守が、東山代町脇野地区を開拓した際、望郷の念にかられ京都の壬生寺からサクラを持ち帰り同地に植えたとの伝承がある。開花期に、夜間、同樹の下で火を焚いて眺めると、花びらが火に映え、明星の趣きがあるところから、明星桜と名付けられたといわれる。

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