みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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                        種子島灯台  南種子町竹崎鼻

 海上保安庁第十管区鹿児島海上保安本部HP「灯台めぐり」による説明は、次のとおり。

      ●種子島灯台
標識名  種子島灯台
ふりがな たねがしま
所在地  鹿児島県熊毛郡南種子町(門倉岬の東方約9キロメートル)
緯 度  30-23-06
経 度  30-57-44
灯 質  群閃白光 毎20秒に2閃光
光の届く距離  21.5マイル
設置点灯年月日  S16.4.29
管轄事務所  鹿児島海上保安部

 HP「薩南諸島 島の散歩」による説明は、次のとおり。

      爽快な景観『種子島灯台』
 種子島の南部、谷崎鼻に種子島灯台がある。種子島灯台は、やや大きめの白亜の灯台。敷地は宇宙センター内にある。灯台から見下ろす景観は、大型ロケット発射場と周辺海が見える爽快な景観。
 種子島灯台の南方 8Kmには、太平洋の荒波がいきかう源三郎瀬という大暗礁がある。古い時代、この大暗礁に悩まされ、海難事故が絶えなかったという。種子島灯台は、この源三郎瀬を照らし船を安全に走行させるという重要な役割を担っている。

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          種子島宇宙センター・ロケットの丘・宇宙科学技術館  南種子町茎永字麻津ほか

 ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道75号の南種子町広田から種子島宇宙センターの方へ向かい、ロケットの丘や宇宙科学技術館を通って茎永へ下った途中の風景。

      種子島宇宙センター

 種子島宇宙センター(たねがしまうちゅうセンター、英語:Tanegashima Space Center 、略称:TNSC)は、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が鹿児島県の種子島に設置、運用している、大型ロケットの射場である。略称がTSCでないのは、同じJAXAの筑波宇宙センター(TKSC)と区別するためである。

概要

 1969年(昭和44年)10月、宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の前身である宇宙開発事業団 (NASDA) の設立時に開設された。面積は8.64km2。現在はJAXAが保有している。

 種子島宇宙センターは種子島の南、太平洋側にある南種子町の竹崎と吉信崎に囲まれた湾に面した土地に施設が点在しており、三つのロケット発射施設(JAXAの用語では射場)をもつ。また種子島島内に数ヶ所の観測所を設けている。

 地球の自転を利用したロケットの打ち上げは赤道に近いほど有利になるが、種子島は日本最南端とはいえない位置にある。にもかかわらず同島が選ばれたのは、同島より南にある小笠原諸島が当センター設立前年の1968年(昭和43年)に返還されたばかりであり、また、沖縄返還も実現しておらず、計画当時に日本の主権が及ぶ国土の最南端に近い適地が同島であったためである。なお、小笠原は種子島の東南東に位置し、種子島から打ち上げられたロケットの追跡に好適であるため、父島に小笠原追跡所が設置されている。

 「世界一美しいロケット基地」とも言われる[1]。世界的には広大な原野に発射台等の施設を点在させることが多い中で、種子島宇宙センターは緑の山の中に施設が点在し、発射台はサンゴ礁に囲まれた岬の突端近くに設置されており、その絶景を誇って呼ばれたもの。

 2010年度(平成22年度)までは、JAXAと種子島周辺海域で操業している各県の漁協との間で結ばれた協定により、ロケット打ち上げ期間が、7月22日から9月30日の71日間と1月1日から2月28日の59日間に予備期間の5月〜6月と11月〜12月の60日間を合わせた年間最大190日間に制限されており、衛星打ち上げ市場での日本の競争力に対する大きな足かせとなっていた。2011年(平成23年)4月からは世界標準である通年の打ち上げが可能となった[2]。

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                   千座の岩屋・浜田海水浴場  南種子町平山浜田

 九州旅ネットによる説明は、次のとおり。県道75号が南種子町に入ってすぐに島宿HOPEがあり、この先の浜田港へ向かう町道に案内標識があり左折する。

      千座(ちくら)の岩屋
 種子島の東海岸は、太平洋の荒波に洗われてできた海蝕岩が見られます。
なかでも波に浸食された奇岩の広がる浜田海浜一帯にある「千座の岩屋」は、種子島唯一(?)の海蝕洞窟で、中には千人が座れるともいい伝えられています。
 洞窟に入れるのは干潮時のみで、自然が作り上げた岩のオブジェの美しさは、幻想的な雰囲気も漂わせています。
 沖合にちらばる岩礁もすばらしい景観を誇っています。
 近くには浜田海水浴場があり、シーズンには多くの観光客で賑わいます。

      浜田海水浴場
 浜田海岸は白砂の美しい遠浅の海水浴場として知られ、期間中は多くの海水浴客で賑わいを見せます。
 近くには奇岩で彩られた千座の岩屋という名所もあり、シーズン中はたくさんの観光客が訪れます。
 シャワー・トイレも完備しています。

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                   大浦川川直し・大浦川川直しの碑  南種子町平山

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道75号南種子町平山郵便局手前の田の中の車道を右折して進む。三叉路の分岐あり。案内標識の矢印どおり右奥へバラス農道を奥まで行くと、大浦川と出合い、ここに「大浦川川直しの碑」(写真では右端のよう)がある。所在図参照。

      大浦川川直し おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 大浦川 付替え 長200m,幅10m 万延2(1861) 現地解説板 /WEB(みさき道人) 保存状態良好 安政4(1857)に竣工した松寿院の代表的な事業/平山から熊野へ行く道は大浦川の潮が満ちると人馬の通行が困難で、満潮時には海から入った潮で農作物は塩害を受けていた→松寿院は、大浦川を拡幅・直線化することで解決 1 B

      大浦川川直しの碑 おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 平山北小浦上 石碑 万延2(1861) 町有形 (歴史資料) WEB 原位置(写真の右端) 松寿院の業績を称え、平山の人々が万延2に大浦川の旧河道と新河道の分岐する土手の上に建立 1 C

 南種子町HPの教育・文化による説明は、次のとおり。

      松寿院の安政の川直しの碑と水天之碑
町指定文化財 平成20年4月28日指定
 松寿院の安政の川直しの碑は、種子島家第23代久道の夫人松寿院の業績をたたえ、平山の人々が、万延2年(1861)に大浦川の旧河道と新河道の分岐する土手の上に建てたものです。当時、平山から熊野へ行く道は大浦川の潮が満ちると、人馬の通行が困難で、満潮時になると海から潮が入り農作物も甚大な塩害を受けていました。
 松寿院は、この潮害の原因が、川が蛇行しているからだと考えて、川幅を広げ、まっすぐな川を新たに作る工事を行いました。この工事によって、満潮時の洪水の害を防ぐことができるようになり、荒れ田であったものが立派な美田となりました。この大事業は、安政4年(1857)10月はじめに完成しました。その年の12月、川直しの大工事が無事完成し願いがかなえられたことに感謝して、松寿院は、祠をつくり宝光権現と名づけ祀りました。また翌年の2月には、水天之碑を建立しています。

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                         大浦塩田・跡  南種子町平山

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。県道75号が阿嶽川マングローブ林展望所を過ぎると南種子町に入り、すぐ島宿HOPEがある。この手前、県道右側に「大浦塩田跡」の案内標柱があり、奥へ進むと塩田跡である。

      大浦塩田・跡 おおうら
(熊毛)南種子町(種子島) 大浦川・河口の湿地帯 塩田 安政4(1857) 町選定 WEB 残存施設は昭和9のもの 種子島で初めて塩田式の製塩が始められた場所/松寿院(第23代島主種子島久道夫人)が当時最新の方法で製塩を実践 4 C

 南種子町HPの教育・文化による説明は、次のとおり。

      大浦塩田跡(おおうらえんでんあと)
町選定文化財
 大浦塩田跡は、大浦川の河口に広がる湿地帯にあり、種子島で初めて塩田式の製塩が始められたところです。それまでは、浜で海水を焚いて塩を取る方法でしたが、量がたくさん取れないため塩が不足していました。松寿院は、この塩不足を憂い、塩田開発に取り組みました。松寿院が安政3年(1856)、調査させたところ、ここが塩田に最適であることがわかり、翌年夏から製塩を始めました。最新の製塩法を導入し、さらに塩田の拡張工事を行ったので、大量に生産できるようになりました。
 その後、明治27年に塩田拡張のため大規模な埋め立て工事が行われましたが、資金に困り、土地を売り渡してしまいました。しかしその後、平山の有志22名が土地を買取り、昭和9年、動力ポンプを取り付けた近代的な大塩田を完成させました。将来を期待されましたが、昭和27〜28年頃になると塩の輸入が盛んになり、また値段も下がり採算が取れなくなったため中止されました。これにより、種子島における製塩の歴史に幕が降ろされたのです。

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