みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎と近県の山野歩き

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           船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (2)  2014年3月

 2014年3月16日(日)快晴。長崎市東長崎地区の船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。
 JR肥前古賀駅9:47―古賀ラカンマキ9:55―船石「下大野橋」11:39―並松翠鯉の苑12:00(昼食)12:35―「千歳橋」12:38―二双舟タブの木13:05―旧本田家住宅13:38―藤棚13:51―つつじが丘入口バス停14:05(徒歩距離 約8km)   

 時津町に続く船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。所在場所は、本ブログ次を参照。次回は4月20日に喜々津町を予定。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/32403174.html
 午前(1)からの続き。第二のアーチ式石橋「千歳橋」は、昼食をとった「並松翠鯉の苑」のすぐ先にある。標石によると明治45年3月架設。県営バス古賀木場終点前を通り、二双舟まで行く。高い石垣の旧家の入口にタブの大木がある。石垣を背景に樹形が見事な木だったが、今は幹先がだいぶん伐採されていた。

 川沿いの市道へ戻り鞍部の峠を越し、下って行くと長崎自動車道に出る。左側へ向い高架下のトンネルをくぐって、国指定重要文化財「旧本田家住宅」を訪ねる。すぐ手前のところで、花が白・赤・紅白の珍しい椿の木があった。ハマグリそっくりの石もあった。
 「旧本田家住宅」から「古賀の藤棚」までは、遊歩道を歩くとすぐ近くである。日本三大土人形とされる「古賀人形」工房はここにある。旧長崎街道を長崎へ少し戻り、つつじが丘入口バス停へ出た。バスの便は団地発着なのでここが良い。

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           船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり (1)  2014年3月

 2014年3月16日(日)快晴。長崎市東長崎地区の船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。
 JR肥前古賀駅9:47―古賀ラカンマキ9:55―船石「下大野橋」11:39―並松翠鯉の苑12:00(昼食)12:35―「千歳橋」12:38―二双舟タブの木13:05―旧本田家住宅13:38―藤棚13:51―つつじが丘入口バス停14:05(徒歩距離 約8km)   

 時津町に続く船石町に残るアーチ式石橋と巨木めぐり。所在場所は、本ブログ次を参照。次回は4月20日に喜々津町を予定。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/32403174.html
 長崎駅9:24発諫早行乗車。「七つ星」は駅事務室前のポスター。肥前古賀駅から歩き出す。駅から下ると、赤瀬宅庭に日本一のラカンマキがある。親和銀行保養所「迎仙閣」正門庭には、滝の観音道「たきみち」の標石があるが、門を閉めていて見学できない。国道34号線を渡り、旧長崎街道の道を歩く。古賀殉教地の碑やキリシタン墓石(水樋石?)がある。

 石橋調査で和仁会病院の谷間を登ったので、福端寺は訪問もれ。病院から下ると、古賀庄屋屋敷跡の民家玄関前に、藩境石「大村領」が2本ある。水害で移設している。
 いよいよ船石町に入る。現在の木場橋をまず見て、干束野へ上がる。九州新幹線(西九州)のトンネルがここにできるのか、測量表示があった。集落へ向うと、第一のアーチ式石橋「下大野橋」がある。昭和35年架設。

 運動公園へ回って並松へ下ると、田嶋邸「並松翠鯉の苑」がある。かつての石橋「木場橋」を架けた当家。長崎大水害で流された橋の欄干片側をここに移設し保存している。
 水苑脇で昼食。ザボン漬はいつものO氏宅特製。以下(2)に続く。

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          深堀城山の陸軍省要塞標探しと新ルート整備  2014年3月

 2014年3月2日(日)晴。深堀城山(標高350.4m)の陸軍省要塞標探しと新ルート整備。みさき道歩会の例会。参加7人。
 江川総合運動公園9:35―船舶装備尾根9:42―小ピーク10:36―炭焼き釜跡10:46―城山登山道出合12:35―愛宕神社跡12:40(昼食)13:20―竿浦下山路分岐13:30―竿浦14:50―江川総合運動公園15:10(徒歩距離 約 8km)

 今回の目的は、次を参照。「長崎要塞第二地帯標」の竿浦の八郎岳側「第十一号」「第十二号」の現存が判明したから、深堀城山側の「第九号」「第十号」の調査である。
 2−特 竿浦町大山祇神社北上の尾根  (確認 長崎要塞第二地帯標 第十二号)
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/68739121.html
 2014年1月19日(日) 竿浦から八郎岳一周とかき焼き新年会
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/68978813.html

 竿浦や平山から深堀城山へ登る道はあまり知られていないが、数ルートの昔からの赤道が残る。城山山頂八幡宮へ正月参りや、愛宕神社の毎年6月の祭りには、神楽が舞いかがり火がたかれる。竿浦や平山からも地元民はこの道を利用して、昔は参拝が多かったと思われる。
 陸軍省要塞標探しを兼ねて、私は先般からこの赤道調査をしていたが、標石はまだ見つかっていない。

 「第九号」「第十号」とも竿浦集落内里道に建っていた(戦後、撤去された?)可能性があり、山中に標石が残るのはあまり期待していないが、調査だけは進めていた。
 最後に残ったのが、竿浦サイクリング道路脇の「第十一号」と、深堀城山山頂の「第八号」を線で結ぶと、船舶装備尾根となる。赤道こそないが、こればかりは歩いて調査してみないとわからない。

 ナフコ先の船舶装備尾根から城山山頂へ登られるように、新ルート整備のつもりで少し切り開き、陸軍省要塞標探しをしたが、やはり見つからなかった。難路で急登な尾根が続き、登山には無理があるだろう。城山山頂から言うと、愛宕神社跡の少し手前の登山道に出て、昼食とした。
 午後はお水場分岐のところから、反対側の斜面へ知られている竿浦下山路があり、赤テープを伝って竿浦へ下った。 

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             長与町に残るアーチ式石橋めぐり (2)  2014年2月

 2014年2月16日(日)晴。西彼杵郡長与町に残るアーチ式石橋めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。岡郷5橋、中尾城公園1橋、川平道路入口1橋を訪ねる。
(1)は午前、(2)は午後の写真。
 岡郷下岡バス停10:25―旧国道現役の橋10:28―その上流小橋10:33―おこ川上流橋
10:45―四釜橋10:56―その上流橋11:05―舟津橋11:45―広瀬酒本舗煙突11:49(昼食)12:40―法妙寺12:53―長与焼古窯跡皿山13:02―中尾城公園14:03―ゆりの橋14:36―長与駅前―川平道路入口橋15:36―本木バス停15:55(徒歩距離 約12km)

 (1)からの続き。名物煙突で昼食後、長与川左岸車道をなお遡る。寺の下バス停すなわち古刹法妙寺がある。背後の山が長与氏の居城睡飲城(浜城)跡。寺前に見えるのが、長与焼古窯跡皿山。有川石材ではゴジラが手袋していた。
 皆前橋を渡り、長与町公民館、長与町役場の方へ入る。長崎西高長与分校跡が役場敷地である。裏通りを進むと中尾城公園が見えてくる。

 中尾城公園は、JR長与駅の東側に位置する。中世の山城跡にできた公園。スパイラルスライダーは、らせん状のすべり台で、7階建てビルに相当。珍百景に出た。脇にミニモノレールが新設されていた(65歳以上は無料)。
 梅の見頃とあって、人出が多い。山頂の山城跡には土塁が残る。谷間へ下ると、百合野団地から移設されたアーチ式石橋「ゆりの橋」がある。

 JR長与駅前の国道を道の尾方面へ黙々と歩く。途中から線路右側の遊歩道に入ったりして、本木の川平道路入口まで行く。きょうの最後の石橋が、ここの洗濯工房店裏の川に残る。
 アーチ部分の礎石のみが、水害にも流されずにある。なぜここにかと思うが、昔の街道の位置だった証拠だろう。散歩の途中に発見した人は、2年前にすでに亡くなり、思い出の橋となった。道の尾までの予定は、午後4時近く。ここで終らせた。この石橋と「百合野橋」は、次を参照。
  長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷
    http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/35088418.html

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             長与町に残るアーチ式石橋めぐり (1)  2014年2月

 2014年2月16日(日)晴。西彼杵郡長与町に残るアーチ式石橋めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。岡郷5橋、中尾城公園1橋、川平道路入口1橋を訪ねる。
(1)は午前、(2)は午後の写真。
 岡郷下岡バス停10:25―旧国道現役の橋10:28―その上流小橋10:33―おこ川上流橋
10:45―四釜橋10:56―その上流橋11:05―舟津橋11:45―広瀬酒本舗煙突11:49(昼食)12:40―法妙寺12:53―長与焼古窯跡皿山13:02―中尾城公園14:03―ゆりの橋14:36―長与駅前―川平道路入口橋15:36―本木バス停15:55(徒歩距離 約12km)

 大波止9:34発堂崎行乗車。長与町下岡バス停から歩き出す。総合公園後ろとなる旧国道へ入り岡郷に集中して残るアーチ式石橋5橋(旧国道現役の橋、その上流小橋、おこ川上流橋、四釜橋、その上流橋)をまず見学。地元の人や長与町教育委員会も、その存在はあまり知らない。町文化財に小さな石橋群として指定して良い。石橋の詳細と所在地図は、次を参照。
 長与町に残るアーチ石橋  西彼杵郡長与町岡郷ほか
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/33255438.html
 岡郷「四釜橋」及び「旧国道の現役の橋」上流のアーチ式石橋
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/65000376.html

 旧国道から舟津へ出る。途中の住宅地内の旧家、森宅庭で、同じ幹から下は紅、上は白と2段咲きした珍しい枝垂れ梅を見た。こんな品種があるのだろうか。ここにはガレージを利用した写真ギャラリーがあった。
 舟津橋の対岸へ渡り、長与川沿いの車道を行くと、広瀬酒本舗の煉瓦煙突が立つ。「鶴乃港」の酒造元だった。長崎県のまちづくり景観資産に指定されている。「長与町郷土誌 上巻」による紹介は、次を参照。この釜跡は原爆被災者の救援炊き出しに活躍しているが、これも記録してほしい。古写真の右側木橋は、酒造りの水を対岸の山手から引いていた自前の橋という。
 名物煙突? 広瀬酒屋「鶴乃港」の煙突  長与町斉藤郷
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/64982084.html
 煙突の後ろの庭で昼食。以下、午後は(2)へ続く。


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