みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎要塞地帯標・軍港境域標

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                    佐世保市愛宕山(別名 飯盛山とも)は要塞地

 佐世保市高橋輝吉氏から送られてきた資料。内容がわかりにくいが、そのまま載せる。佐世保市愛宕山(259m)については、本ブログ次も参照。
 佐世保市愛宕山に残る戦前の炭鉱標石     http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/70178092.html
 陸軍用地境界標石の受難 佐世保市愛宕山  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/69877631.html

              高橋輝吉氏稿 佐世保市愛宕山(別名 飯盛山とも)は、要塞地

 戦前(内務省「官山」とも)=地元の山=中里東漸寺の山とも…。地元は登るだけ。軍の目、警察の耳、山番の口が。これは後で解かる。山に登ると、海が見える。艦も見える事でしょう。小佐々岳の木場よりは、下の方に丸見えです。

 昭和19年頃になると、頂上にレーダーが据え付けられ、カモフラされていたという話。下からも見えました。頂上の一角に。山には登られませんでした。昭和14、15年頃には、くじ付き「シャモジ」を売ってました。町の方は、植木市などで賑わってました。山の方はお寺さんで、賽銭上げたら終り。帰るのみ。今より登り道も悪かったです。今は手摺りあり、良くなっています。
 戦後は、若い人、子供、老人と多くの人が参り、登ります。

 カメラ持参で、前はフィルム用が多く、現在は全部デジカメです。四方八方を撮ってますよ。私は四方を廻り見た。陸第四号、二号が目に入った。後ろの方にも、七、八、九、一〇号と、多くを撮った。石の写真のやみつきの初めかなー。
 私はこれは変だ。戦前の事が頭をよぎった。何か有ると思い、大蔵管財へ。事情を話し、それは○○○で、1通の書を下さいました。「要塞標石地帯」の地図でした。ア―ア、これで解かりました。これから大変な事になってしまった。

 天気の良い日は山、山へ行き、フイルムの時代、フラッシュが早くだめになる。5台位、変わったかなー。15年前に撮影した写真が、今、役に立っています。
 現在は、第四八号が柵の中。第五二号は現物の石なし、3回行く。地滑りで埋まっている石。4本かなー。陸第三七号は上だけなし。4m下に有りました。現在は針金にてOK。
 まだまだ変化。地滑りが多くなるのかなー。何で四五号の岩場に陸の石が。第四四号と第四二号が、次号待つ。7合目西側に陸軍省と刻んだ石(小型)2基有り。第拾九号、第弐拾号、これは変だと。

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                    高橋氏調査  佐世保北西部の砲台跡の現況

 佐世保市高橋輝吉氏から送られてきた資料。同氏が最近、調査した佐世保北西部の高後崎砲台・牽牛崎砲台・前岳堡塁砲台跡の現況。「日本築城史」にもない新しいことが解った発見らしい。
 高後崎の整備が進むと、牽牛崎は「Bクラス」になったのか。早くから「予備砲台」ではと考えられている。小型標石は残る。各砲台の詳しい場所や内容に不明なところがあるが、現地写真とも資料をそのまま載せる。

      高橋輝吉氏稿  1 「砲台地の変化を見た」

 明治中頃より重要地区、特に軍港地区を、陸軍砲兵隊にて守る。大砲は大丈夫か。海軍も大砲は有る。下関を初め○秘の名のもとに、佐世保、長崎と要塞地帯の整備が進んだ。佐世保では、前岳堡塁砲台、牽牛崎砲台、高後崎砲台と3ヶ所が有った。

 前岳はどうも変だ。軍道に35本の小型標石有り。牽牛崎は後で。下関はドイツ陸軍が指導する。日本よりドイツ、イギリス等へ学んだ人がいたのか。海軍も大砲の事なら進んでいる。日本築城部の本を基に砲台地を造った。出来上がってこれで大丈夫と思った軍部がいたのか。土地は有るけれども大砲は、大砲は。

 高後崎地区の砲台は、場所が重要地区なので、それよりもこの地区、土地は昔、昔より地滑り地区。大きな岩石がなく、土と中位の石で造りやすくしていたが、元々は海岸近くまで地滑りか。亀甲石垣にて止めたのか。木が大きくなり止めたのか。馬川方面にも一回行ってみます。第三の門柱が?。高後崎が良くなったので、牽牛崎は早く御免だ。小型標石は残る。

      高橋輝吉氏稿  2 「前岳堡塁砲台」

 前岳砲台地はどうも変だ。前々から思っていたが、その一端の話を地元古老から聞けた。元は50m位上にあり、平らな所だったらしい。新しい小標石を下の方にて発見(軍道)。陸、八六。陸、防。3本目は後日行きます。若しかすれば重砲隊の練兵場代用だったかも。一時期、春日町にも有り。

 大砲訓練としては、春日町の町中ではどうも。山有り長い道有りの所が良いと思う。兵は大変ですよ。ビッコ引きで、いくら一回り大きい兵隊さんでも、小型大砲は分解して運ぶ。襟の色を見よ。黄色だよ。花形兵かなぁ。後日、古老の方と会えますかなぁ。

 20m位下の右の方に壕有り。間口2m、中は広いです。窓みたいな所有り。小型大砲ならば、中で講義できます。弾置き所有り。弾薬庫は川原田に有り。運ぶのは車、人。60m下の方に有り。
 元は平らな原野だったそうな。50m位は積上げ、砲台地を造ったのかなぁ。(古老の話として。80才位の方)

      高橋輝吉氏稿  3 「砲兵隊員と弾薬庫」

 私は見た。ビッコ引きを見た。相浦小に砲兵隊が来たのを。空砲一発、大きな音でした。万朶の桜か、襟の色。砲兵は黄色、歩兵は赤色。散兵戦の花形砲兵です。砲兵は一回り大きな方が多いです。ビッコ引き引きします。小型砲身は担ぐのです。車輪も。

 元砲兵の方から聴き取りです。弾薬庫は初めは八幡谷に有ったそうです。神社ができたので、高梨町の川原田へ移ったそうです。60m手前に弾薬運ぶ車と人。トンネル先に、陸軍省要塞第五號が現在も有ります。元兵士の方より聴き取りです。現在は町中です。私は以上の事を存じ、本とか書に書いて有りませんから。

 春日町にも一時期、練兵場有り。これも変だと前々より思っていた。前岳にはもう一度行ってみます。軍道には陸と刻した標石35本位有ります。此の軍道は別な事を願えてみました。後で。

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                佐世保赤崎岳にある長崎要塞第二地帯標「第五一号」とは

 佐世保市高橋輝吉氏から送られてきた赤崎岳(佐世保市赤崎町 標高240.1m)の山中にある長崎要塞第二地帯標「第五一号」の標石資料と写真。内容のわからないところもあるが、そのまま載せる。

           高橋輝吉氏稿 ”佐世保赤崎岳にある長崎要塞第二地帯標「第五一号」とは”

 佐世保赤崎岳の山中に長崎要塞第二地帯標「第五一号」が有った。場所は明治21年頃より準要塞地に組み込まれ、「油タンク」等の重要地帯だった。
 友人の話によると、「ウラ山」に行くときは、用心の上、用心して行って下さい、と。聴いてわかっておりましたが、本当の事になるとは。120年位、人が入っておりません。大きな木が多い。枯れた木なし。山と言っても広く、盆地山です。廻りは高い山です。3時過ぎると、「ウス暗」いです。方向音痴になりやすいです。

 同じような木と山。今では米軍用地「フェンス」が目印しかなー。と言った中に「五一号」が有ったのです。
 豊村さんという猟師さんが、偶然発見されたそうです。その方に私が行き遭わせたのです。まだ若い方だったので、後でと思っておりましたが、3年前65歳で故人となられ、場所を良く尋ねておりませんでした。1回行く。それからが大変でしたよ。他の方は存じませんと。

 何で「五一号」かと。此れは前後が有ると思い、探し廻った。「第五四号」発見する。「五一号」は再度行くけど、迷い事になったので、後でと思った。月2回位は、3時間位で探し廻った。
 今年11月にやっと「五一号」を、地図の場所に発見する。寸法は15cm角、高さ82cm。全部で8回位行ったかなー。
 

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                 伊万里・有田と下関の陸軍省要塞地帯標  高橋氏資料

 佐世保市の高橋輝吉氏から送られてきた伊万里・有田と下関の陸軍省要塞地帯標調査に関する新聞記事写しと資料。内容が少し理解しがたいが、そのまま載せる。

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                 川棚、波佐見、西有田の陸軍省「長崎要塞(地)区域標」

 佐世保市高橋輝吉氏から送られてきた川棚、波佐見、西有田の陸軍省「長崎要塞(地)区域標」の標石写真とメモ。内容の説明があまりないが、要点は次のとおりだろう。

1 先日、川棚町をまた訪ねた。「長崎要塞(地)区域標」の同じ番号「第11号」が、川棚町歴史民俗資料館と有田町歴史民俗資料館にあるが、
 川棚町歴史民俗資料館前庭のは、(私の背より?)標石の方が高い(長い)。「長崎要塞区域標」と刻む。初めて見た時は(2011年頃か?)、全部「ウス」黒でした。ミカゲ石です。第11号は解りました。西有田の分も「11号」です。川棚町役場内のは、上面が平です。
 西有田の分は、「長崎要塞地区域標」と「地」が一字多い。明治三十二年七月十四日。先が尖がった角柱。
2 川棚町役場敷地内に、共に地元持ち込みのあと1本「長崎要塞区域標」「第17号」が横倒しになっているのを、植え込みの中に新しく見つけた。
3 波佐見には、次の「長崎要塞区域標」もある。 
 「第36号」 個人 32号かも? 寺の敷地内
 「第22号」 個人 「写真アリ」
4 「長崎要塞区域標」は、佐世保市江迎町元大岩の上の方に「第130号」、同市小佐々町楠泊の野島にも「第140号」があるので、標石写真を参考に送る。

 2、3が主眼の報告のようだが、他は本ブログ以前の高橋氏稿も参照。まだ、未整理もある。
  西有田の陸軍省「長崎要塞(地)区域標」
    http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/64876848.html 
  陸軍省要塞地帯(区域)標と海軍省軍港境域標の調査
    http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/66350669.html
  佐世保市周辺に残る陸軍省要塞地帯(区域)標の調査結果一覧表
    http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/67559335.html

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