みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

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本ブログ「みさき道人 "長崎・佐賀・天草etc.風来紀行"」
をご閲覧いただきましてありがとうございます。
みさき道人の長男でございます。

平成28年12月30日未明、父が脳内出血により永眠いたしました。

父は生前、本ブログの記事執筆と史跡などの調査を楽しみに生きておりました。
昨年11月の八重山諸島へ調査旅行の後も、年末年始に高知への調査旅行を予定しており、
直前まで準備を進めておりましたが、突如倒れ、帰らぬ人となりました。
家族として、父のブログと調査活動を見守っていただけに、残念でなりません。

葬儀は昨年12月31日にとり行われました。
このブログや調査レポート、「みさき道歩会」などの活動を通して、
父はとても幸せな人生を送ることができました。
本ブログを通してお世話になりました方々には、感謝申し上げます。

過去の記事に関しましては、Yahoo!ブログが続く限りは、
そのまま閲覧できるようにしておく予定です。
今後のブログの管理などは、私共家族が行いますので、
転載等を行う場合は、記事へのコメント、ゲストブックなどでご連絡ください。

また、お知らせがある場合は、こちらの記事にてご報告いたします。

本当にありがとうございました。

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         (寄 稿) 入江正利氏稿「崇福寺 関聖帝君の右頬(ほお)の疵(きずあと)の謎」

 長崎市鍛冶屋町にある聖寿山崇福寺(写真1)は臨済宗黄檗派の禅寺である。大雄宝殿と第一峰門は国宝建築としてよく知られている。
 重要文化財の護法堂(天王殿・写真2)は第一峰門を入るとすぐ右にあり、向かって左に韋駄天(写真3)、右に関聖帝(関羽・写真4)、中央に観音が(写真5)祀られている。室内は薄暗い上に、関羽の顔は黒ずんでいて、右の頬に疵がある事(写真6)に気付く人も少ないと思われる。

 その関羽像の右頬に疵があるのは何故なのか。

 調べてみると『長崎名勝図絵』に以下の記述がある。「堂内右半分は、関聖君と脇士平、周倉の像を置く。精巧な作で、特に関聖は霊験があるので有名である。これに菓子や食物を供えると、よく鼠に喰べられるので、寺僧は、供物を喰べられるようでは、霊験があるものかと嘲っていた。即非和尚が或る日関聖像に向かい、鼠に喰われる罪を責めて、右の頬を打ったので、頬の部分が剥落した。翌朝見ると、韋駄天の剣に一匹鼠が刺し貫ぬかれており、恰(あたか)も関聖の命令で、韋駄天が鼠を退治したようであった。寺僧もこれには驚き、早速関聖像の右頬の修理をさせたが、剥落した部分に、何回漆を塗っても、どうしてもうまく付かず、今もその痕跡が残っている。これを聞き伝えて、崇拝する者がふえた」

 そして、もうひとつ。尾張の商人である菱屋平七が、享和2年(1802年)に九州を旅した時のことを著した『筑紫紀行 六』 に関羽像の記述がある。五月六日「寺内に関帝とて関羽の像あり。唐土工人の作にて即非和尚持渡られたり。或時盗賊寺に入て仏具を取。即非此像に向ひ責て曰く、「汝をこゝに安置せし事、ヶ様の災難を護らせんが為なり。然るに我前に在を取られながら、知らぬ顔するは不届也」とて、槌を以て左の頬を打れしかば、疵付たり。其後数度全体の彩色をつけるに、一月を待ずして槌の諸疵やがて顕る。されば膏薬を張置けるとぞ。今も見れば膏薬を張置たり」

 この二つの記述から、供物あるいは仏具が盗まれたことへの責任から、即非和尚の手によって傷つけられたのは間違い無いようである。韋駄天の話は信じがたいが、360年ほど後の現在も、右頬に刻まれた疵が残されているのは興味深い。ただ、関羽の立派な髭は、ほとんど抜け落ちていて、顔も漆を塗った為か、赤ら顔が黒く変色してしまっているのは残念である。

 ここに出てくる「即非和尚」とは、ウィキペディアフリー百科事典によると、「1657年隠元に招かれて来日し、長崎崇福寺に住して伽藍を整備し、その中興開山となった。1665年福聚寺を創建してその開山となった」とあるので、この関羽像事件は1660年頃の話である。

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              長崎の歴史を壊している文化財行政  長崎市政への提案と回答 

 長崎市の文化財行政について、10月10日長崎市政への提案をした。10月24日付の回答は、次のとおり。
 長崎市が1月20日開催した都市経営会議「小島養生所跡遺構等の取扱いについて」の方針は、次を参照。
 (PDF形式:145KB) http://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/730000/732000/p006969_d/fil/110_280120.pdf#search='%E5%B0%8F%E5%B3%B6%E9%A4%8A%E7%94%9F%E6%89%80%E8%B7%A1';

ご意見(要旨) 【長崎の歴史を壊している文化財行政】  性別:【男性】 年代:【70代】 【2016年10月受信】

1 「小島養生所跡」は、西洋医学の発祥地であり、全国に誇る貴重な遺構である。なぜ、体育館などこの際、建てるのか。医学関係者の要望にも応えない。大分県杵築市の例。2014年6月26日付朝日新聞社会面に載った。「杵築藩主の御殿遺跡、一転保存へ 校舎の建設計画 市長が変更表明」など英断を見習うべきである。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/69508627.html
2 長崎原爆遺構として、「浦上天主堂の廃墟の一部を平和公園内に移設しているもの」や、「長崎刑務所浦上刑務支所跡」がある。これらがなぜ国史跡に同時に指定されなかったのか。今回、長崎市はどのような働きかけをしたのか。長崎市長の大失態ではないか。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/71294085.html
3 長崎深堀カトリック教会の建 設のため、深堀氏の居城「深堀陣屋跡」が無残に壊された。石組や石垣などの保存について、長崎市長はなぜ強力な指導をしなかったのか。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/69508627.html
4 「出島表門橋」は、もともとアーチ式石橋であった。復元計画は、似ても似つかぬ観光橋である。文化庁がよく許可したものである。河川防災上の制約はもちろんあるが、眼鏡橋のように水流を変えるなど、復元に最大限の知恵と努力をお願いしたい。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/69995122.html
5 四郎が島台場跡は、国指定史跡となったが、「伊王島や香焼島の台場跡」は指定となっていない。遺跡を無残に壊すような展望台などを旧町から造っている。史跡保存に対する見識が疑われる。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/69308083.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/folder/1541774.html?p=1
6 長崎市役所の新庁舎は、歴史ある「西役所跡」である県庁跡地が最適である。公会堂も現在地に外観を残した耐震設備の新公会堂を建設すると、市民の総意にかなうものと考える。マイス計画は再考をお願いしたい。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/71353046.html

 以上、長崎市政への再提案となるが、真摯な対応と簡潔な回答を再びぜひお願いしたい。歴代最低レベルの長崎市長と市議会だろう。民意を理解しないさるくガイド並みしか、見識と能力がない市長である。長崎の深い貴重な歴史を次々と壊している。マイス計画は、私たちのせっかくの税金の無駄づかいである。これらに使ってもらう方が、全体の市民に役立つのではないか。
 最近の長崎史談会やマスコミ関係の無気力 ぶりも、目にあまる。長崎学の再興をぜひお願いしたい。市側の言い分だけ言って、再回答しないのは進展がなく、おかしい。

回  答 【文化財課】【みどりの課】【施設課】  【2016年10月24日回答】

 番号に沿って回答いたします。
1 小島養生所は、わが国の西洋医学発祥の地であり、歴史的な意義が大きいため、市の貴重な財産として慎重に調査研究を行い、その成果を市民の皆さまや観光客の方々へ分かりやすくお伝えしたいと考えております。
 平成27年度に旧佐古小学校体育館の西側敷地を発掘調査した結果、当時の遺構と見られる石垣や陶磁器などが出土しました。また、今年度も残りの敷地について発掘調査を行っています。
 一方、仁田佐古小学校の新校舎建設は、保護者や地域の皆さまとの6年間という長い時間の協議の結果であり、一日も早い建設が求められています。
 今後も学校建設に向けた準備は進めてまいりますが、遺構については、発掘調査をもとに、専門家の評価を踏まえ、どのような保存・公開の方法が最適か判断し、顕在化のあり方を検討します。
 子どもたちが近代医学発祥の地で夢をもって学べるよう、ご指摘の校舎と小島養生所跡の遺構の併存について取り組んでまいりますので、ご理解いただきますようお願いいたします。
2 平成28年6月24日に長崎市の見解を示しておりますので、ご確認ください。
  http://www.city.nagasaki.lg.jp/n_city/iken/detail.php?id=1816
3 平成26年5月2日にご回答したとおり、地下遺構の保存に配慮するよう、教会の新築工事内容の見直しを要請し、カトリック深堀教会のご理解のもと、遺構の破壊は大幅に免れることになりました。教会の敷地に、深堀陣屋跡の遺構が現在も多く地中に保存されています。また、開発行為の前に、カトリック深堀教会の費用負担による発掘調査を実施し、破壊される遺構についても記録による保存を行いました。
 これらの結果は平成26年度に発掘調査報告書にまとめ、県内外の公立図書館や大学等の研究機関に配布いたしました。また、カトリック深堀教会にお願いし、地下に遺構があったことについて、教会敷地現地に説明板等の設置をしていただいております。
 そのほか、地元の深堀の皆さまをはじめ、多くの市民の皆さまにも調査結果を知っていただくために、平成27年度から、深堀貝塚遺跡資料館の展示コーナーで調査結果と出土品を紹介しています。
 以上により、開発行為に伴う埋蔵文化財(遺跡)の取り扱いとして問題はなく、行政の指導として適切と判断しております。
4 現在の出島は、明治21年(1888年)に中島川の変流工事のために、北側が約18メートル削られております。
 石橋の出島橋があったところは、現在の川の中ほどにあたるため、現地復元ができない状況にあります。
 文化庁との協議では、今回の架橋事業は復元ではないため、誤解を与えないようあえて近代的な手法で架橋するよう指導を受けています。
 将来的には、出島の完全復元を目指しており、出島橋につきましても、現地復元を視野に取り組むよう考えております。
5 伊王島や香焼島の台場跡につきましては、現在「周知の埋蔵文化財包蔵地」として、開発行為に対して届出を義務づけるなどの保護を行っております。
 また、平成27年度に策定しました「史跡 長崎台場跡四郎ヶ島台場跡保存活用計画」の「調査と追加指定の方針」に基づき、今後の遺跡の詳細調査の結果により、残存状況の良いもので土地所有者の同意が得られるものにつきましては、史跡指定等の取り組みを行いたいと考えております。
 また、伊王島灯台公園内にある展望台につきましては、風光明媚な景色を堪能していただく目的で昭和58年に設置しており、建設による台場跡への影響はないものと認識しております。
6 平成28年7月4日に長崎市の見解を示しておりますので、ご確認ください。
  http://www.city.nagasaki.lg.jp/n_city/iken/detail.php?id=1818

関係所属
 文化財課【直通番号】:095-829-1193】 みどりの課 【直通番号】:095-829-1171】
 施設課 【直通番号:095-829-1192】

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            川上正徳氏稿 ”五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく”  長崎游学から

 長崎游学シリーズの新刊「長崎游学11 五島列島の全教会とグルメ旅」長崎文献社編 A5判並製 フルカラー152頁 定価1080円(税込)が有名書店で発売中。
 次の内容により私の友人、川上正徳氏稿 ”五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく” が、58〜59頁に掲載されている。   
      
                  五島の教会に「ゆうこう」を探しにいく   川上 正徳

 外海から五島に移住したキリシタンの里にも「ゆうこう」は植えられていた。その調査報告の一部始終――。

■「ゆうこう」とカトリック教会の関係
 「謎のかんきつ類を追う」というタイトルで平成21年(2009)1月15日付長崎新聞に私の顔写真が掲載され、私が「ゆうこう」を調査していることが紹介されると、五島のふたりの方から電話がありました。中通島のHさんと奈留島のEさんで、ふたりとも役場の元職員でした。五島にも「ゆうこう」があるのだろうかという期待感が高まり、まず中通島へフェリーで行きました。このとき初対面のHさんによると、地元では「この蜜柑は大きな柚子で柚子湯に使っています」とのことでした。案内されて行った先は「高井旅」と「福見」というカトリック教会のある地域でした、
 実を手にとると独特の香りと色で「ゆうこう」とわかりました。それも教会の近くに「ゆうこう」があったので帰路の船旅はひとりビールで乾杯しました。「ゆうこう」とキリスト教教会の深い関係があるという仮説が確信になったからです。
 その後、奈留島のEさんから連絡があり、「奈留島の蜜柑」を1箱いただきました。地元では「久念母(くねんぼ)」と言うそうです。さっそく長崎県果樹試験場へ送り、調べてもらったところ、何と奈留島の久念母は長崎市の土井首や外海と同じ「ゆうこう」でした。そこで私は奈留島へ行き、「久念母」ならぬ「ゆうこう」の調査をEさんとおこないました。その後、Hさんからの報告で、新上五島町世界遺産推進室では、管内の「ゆうこう」の分布調査で30本のゆうこうを調査されたていたと聞いて、私も調査報告書をいただきました。
 2016年にはいり、Eさんから世界遺産候補の江上教会に「ゆうこう」があるという情報がありましたので、私は1月31日朝、五島にわたり、Eさんの案内で江上教会裏に2本の「ゆうこう」があることを確認してきました。

■若松島の大平教会裏に「ゆうこう」
 同日午後、Eさんと別れて、フェリーで中通島へ行きました。前回調査した高井旅教会、福見教会付近を再確認したあと、新上五島町の報告書をもとに、中通島の西側海岸沿いに桐、横瀬、築地の3地区を探しました。18本あるはずの築地でようやく公民館横に2本確認できただけでした。報告書には若松島の大平教会の裏にあるとあったので、1泊した翌日、距離はありましたが長い道のりをドライブし、最後の峠を越えると直ぐ下に大平教会を見つけることができました。探すまでもなく教会のすぐ裏に「ゆうこう」がたくさん実った木を確認できました。2日間の島での調査は、愛車のスクーターで中通島110kmを走破していました。残りはつぎの楽しみに出かけたいと思っています。

■「世界遺産候補」とゆうこうの伝搬の関係?
 私が「ゆうこう」に出会ったのは、平成13年(2001)の長崎市役所最後の職場で、土井首地区の地元の方々と「みさき道」や「殿様道」を歩いていて紹介されたのが最初でした。その後、長崎県果樹試験場N科長さんと一緒に分布を調べ、園芸学会に新種と発表してもらって以来、私の「ゆうこう」を訪ねる旅は、外海町、佐賀県馬渡島、中通島、奈留島とつづくことになりました。黒島や下関の六連島も行きましたが、こちらは残念ながら見つけることはできませんでした。しかし、禁教時代に外海地区から五島に移住した潜伏キリシタンが、復活後建てた教会付近に「ゆうこう」があることは、偶然のことではないと考えています。外海の「ゆうこう」が移植されたものと思われます。
 そんな中、長崎市世界遺産推進室から、私の外海の「ゆうこう」調査結果の資料を提供してほしいとの申し入れがありました。長崎市や新上五島町が私の「ゆうこう」を訪ねる旅を後押ししてくれたことに感謝しています。

■国際スローフード協会の「味の箱舟」に
 長崎市は、平成17年(2005)土井首地区と平成18年(2006)外海地区で、地産地消として植樹祭に苗木の交付して以降、「ゆうこう」の育成が始まりました。長崎市が長崎県立大学シーボルト校に「ゆうこう」の成分分析をお願いしたところ、高血圧症を軽減する成分がとくに高いことがわかりました。「スローフード長崎」という食品研究団体は、「ゆうこう」を国際スローフード協会の希少食材認定制度「味の箱舟」に登録してもらうよう申請した結果、2008年に認定されたのでした。「ゆうこう」は新たな食材としても広く利用されるまでになってきました。たとえば、飴、ケーキ、もなか、どら焼き、羊羹、アイス、ポン酢、酢、ハム、ジュース、ラーメン、リキュールなどに使用されるまでになっています。
 地元にむかしからあったのに、かえりみられなくなっていた蜜柑「ゆうこう」が、今後も、守り育てられることを祈っています。

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       長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず

 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などについて、次の市政提案をしていますが、まだ回答がありません。長崎市にとって何か不都合なことがあるのでしょうか。前の提案とは主旨内容は違います。
・6月22日送信 「公会堂存続へ住民投票運動」は、現在地に建設を
・7月 3日送信 長崎原爆遺構の国指定史跡申請
 情報公開条例と市政提案制度の主旨を良く理解するべきではありませんか。回答しないなら、今回の事例に対する総務部総務課の法的見解と、回答しない理由書を文書によって早急にお願いします。
 匿名やメールアドレスは、提案の必須要件ではありません。私に直接回答は不要ですから、これまでの主な提案や回答により必ず公表してください。

 歴代最低レベルの長崎市長と長崎市議会ではないでしょうか。私たちのせっかくの税金が、公共事業の食い物にされているような感じがします。市庁舎は長崎の城であり、象徴と中核となるものです。西役所跡の県庁跡地が最適と思います。
 歴史と文化のある大長崎市の気概と誇りを持って、市民の意見を良く聞き、長崎県とも協力して事を処したら、長崎のすばらしいまちづくりが、おのずから生まれてくるものと期待します。市政に無用な混乱ばかり起こさないでください。長崎市長は自分の評価をますます落としていることを気付くべきではありませんか。

 情報公開条例と市政提案制度の不適切な運用である。画像の長崎市公会堂 存続願う声 「復興と平和のシンボル」 [長崎県]は、2016/07/13付 西日本新聞夕刊記事から。
 注 「公会堂を存続させる会」は、6月29日「公会堂の未来活用を問う会」と名前を変えている。

・6月22日送信  「公会堂存続へ住民投票運動」は、現在地に建設を

 「公会堂存続へ住民投票運動」について、長崎新聞県内トピックス(2016年6月21日更新)は、次のとおり。
 長崎市が老朽化や耐震性の低さを理由に昨年3月廃止した市公会堂を巡り、再開を求めている市民団体「公会堂を存続させる会」(林一馬代表)は20日、市役所で会見し、公会堂の存続の是非を問う住民投票の実施を目指す方針を正式発表した。…
 会見で林代表は、現在開会中の定例市議会に市が公会堂の解体予算を提案していることについて、「公会堂の代替施設の建設の見通しは立っておらず、大変な暴挙だ」と批判。「住民投票の実施は高いハードルだが、私たちに残された道はこれしかない」と訴えた。
 市選管によると、条例制定を請求するには、市内有権 者数の50分の1(約7300人)の署名が必要という。

 「公会堂を存続させる会」は、長崎県庁跡地へ建設を要望しているようだが、長崎市の考えは思わしくない。いろいろ市政に混乱を生じさせているのは、ひとえに長崎市長や長崎市議会の民意を理解しない大型事業のあり方である。
 私が6月20日次のとおり長崎市政への提案をしている。これに真摯に対応すると、「公会堂存続へ住民投票運動」は無用なこととなり、市民団体や市民の総意にかなうものと考える。提案の回答を早急にお願いしたい。

1 先日の6月市議会一般質問に対し、長崎市長は「市庁舎の建設は、自分の責務である」と答弁しているが、「市民の総意に基づいた」という前段が感じられない。すべて権限が自分に あるように事を進め、その努力をしないのは不適切な発言である。民主主義と民意を良く理解すべきであろう。
2 現在の市庁舎建設計画は、その後の熊本地震や長崎県庁の正式移転など情勢の変化を考慮せず、既定方針を頑なに押し付けている。長崎のまちづくりに対するビジョンに欠けた方針である。再検討をお願いしたい。
3 長崎県知事は、長崎市から申し出があれば、県庁跡地に長崎市庁舎を建てることを検討すると明言した。2の災害など諸事情から勘案すると、県庁跡地に長崎市庁舎 を建てることが最適であり、長崎市民の総意にかなうと考えられる。
4 長崎市が長崎駅西側に計画しているMICE(マイス)事業は、長崎県が県庁跡地に計画している文化交流施設と同じようなものである。県庁跡地の代替えとして、この土地は長崎県に譲渡し、県市合同でそのような施設を建設すると、二重投資とならない。
5 長崎市公会堂跡地には、そのまま耐震工事を施した新公会堂を建設する。公会堂前広場は長崎くんち踊り場として、従来どおり使用するようにする。
6 長崎市が抱える課題を解決するのには、以上のような案ではどうでしょうか。将来に禍根を残す施策は、ぜひ慎んでほしい。市庁舎建設財政積立金は、無駄なく使用すべきである。

・7月 3日送信  長崎原爆遺構の国指定史跡申請

 国の文化審議会は6月17日、長崎原爆の爆心地(松山町)・旧城山国民学校校舎(城山町)・浦上天主堂旧鐘楼(本尾町)・旧長崎医科大学門柱(坂本1丁目)・山王神社二の鳥居(同)の5件の被爆遺構で構成する「長崎原爆遺跡」を国史跡に指定するよう文部科学相に答申した。国は早ければ11月にも指定する。被爆の実相を伝える国指定史跡は広島市の原爆ドームに続き2例目になる。

 長崎市民として疑問を感じるのは、平和公園(爆心地公園)内に移設復元している浦上天主堂の廃墟の一部や、平和公園内の長崎刑務所浦上刑務支所跡の遺構がある。先の回答では「ご指摘の構造物は、原位 置が変更されているため、史跡指定を目指す調査検討の対象に含まれておりませんでした」などとするのは、長崎市長の大失態だったのではありませんか。
 今からすぐ他の遺構と同時指定とならないか、最善の努力で国へ働きかけてほしいと思います。

(2016年10月6日 追 記)
 これまでに寄せられたご意見・ご提案等の内容紹介に、次のとおりあった。回答が遅く、私には何の連絡がなかった。【2016年08月04日回答】と日付を遡った処理をしたと思われる。

ご意見(要旨) 【長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず】  性別:【男性】 年代:【70代】 【2016年07月受信】

 何とした民主主義と民意を理解しない長崎市長と市議会でしょうか。情報公開条例と市政提案制度の主旨もまったく理解していません。住民投票請求が2例となるのは、全国に長崎市政の恥さらしです。
 私ブログの次の記事としましたから、長崎市長以下、関係者はよく読んで検討してください。 
長崎市政への提案 「公会堂存続へ住民投票運動は、現在地に建設を」などは回答せず
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/71353046.html
 長崎県庁跡地に、歴史と文化の香る全国に誇る長崎市庁舎を建設しましょう。
 長崎市公会堂は、現在地に今のデザインを残し耐震化した新公会堂を建設しましょう。
 出島復元計画の表門橋は、石組みが見つかったので、これを活かし、アーチ式石橋を一部にでも何とか造れませんか。
 以上の財源問題は、知恵を働かせると、市民も大いに協力するでしょう。

【2016年08月04日回答】  回答 【広報広聴課】【出島復元整備室】

 出島復元計画について以下の通り回答いたします。
 旧出島橋の石材の一部が、平成26年から平成27年にかけて行いました出島の対岸にあたる江戸町側の発掘調査によって見つかりました。石材の一部は、護岸工事に伴って、整備された石垣や石段に転用され、また、一部は廃棄された状態で見つかっております。
 発見された石材は、現在、出島の史跡内で、自由にご覧いただけるよう公開・保管しながら、一つ一つの石材の調査を行い、旧出島橋の部材として特定を行い、往時の出島橋の姿を検証しているところです。これらの石材は、転用時に加工されているものもあるため、本来の石橋の復元の可能性について調査を行い、今後、検討してまいります。
 なお、「公会堂存続へ住民投票運動は現在地に建設を」につきましては、6月20日および7月4日に長崎市としての見解を示しており、その中で公会堂跡地の意見につきましても、7月4日に市の方針を示しております。
 また、「長崎原爆遺構の国指定の史跡申請」の意見の回答につきましても、6月24日に回答しております。
 以上、ご確認いただきますようお願いいたします。
 一度回答した内容について、再度同じ趣旨の提案をいただいた場合は、関係部局へ情報提供のみさせていただきますので、ご了承ください。

関係所属  広報広聴課 【直通番号】:095-829-1114】

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