みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の石・岩・石造物 (長崎市)

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                  蚊焼波戸の桜並木道と桜御前の石祠

 三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊の749頁、その他の信仰「蚊焼の石仏」において、高崎一郎先生は「桜御前」の石祠について、次のようにふれられている。

 蚊焼には、石仏が数多く点在する。年代を見ると余り古いものは見当らず、年代不詳のものが多いが、どうしてこうも多いのか、江戸末期近く一つのブームにのって盛んになったものであろうと思われる。…
 石仏の種類も様々で地蔵菩薩・観世音菩薩・阿弥陀仏の外に水神としての守り神や、恵比須様、摩利支天、天神様、それに何々家先祖神など数えるにいとまがない。中には桜御前と称するものも数か所にあり、応仁御前と呼ばれる碑石もある。

 石祠一覧には、波戸にある明治二四年一一月、桑原幸松建立のものと、小家にある昭和八年七月、桑原弥太郎建立のものの2基が載せられている。小家のはまだ訪ねたことはないが、波戸のは最初見たときから、気が惹かれた。まず「桜御前」という碑名とその建っている場所である。

 蚊焼から岳路へ今の国道は、蚊焼大川沿いに行く。「岳路みさき道」もほぼ同じである。しかし、波戸から南百合崎を越し、海岸沿いの丘陵を岳路へ行く道もあった。春は桜並木が美しい。カーブの多い道。今は町道折山線となり、昭和40年認定である。
 この入口に「桜御前」の石祠は建つ。「桜御前」の名も桜並木と何か関係はないだろうか。高崎先生に聞いたが、由緒はよくわからなかった。

 HPでは興味深い話があった。静岡県森町には「桜姫」の石碑がある。桜姫は藤原中納言の奥方となったが、保元の乱に敗れ中納言は島流しされ、姫は都に子を残し尼となって旅に出た。最後は森町に庵を結び亡くなった遺徳を偲ぶ。
 福島県郡山市には赤津「御前桜」の伝説がある。京の公家の姫が人買いにさらわれ、この地に連れて来られた。慣れない下女仕事に耐えかね、望郷のあまり、桜を手折り挿し木して「帰ることが叶わぬならば根付くな!」と我が運命を占ったところ、春には花が咲き、姫は京から迎えの人たちと無事帰ることができたという。
 蚊焼の「桜御前」石祠も、いずれに関係するのか。調べればおもしろい話となりそうである。 

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                    梅香崎唐船繋場の繋石とはどんなものか

 十人町の「みさき道」道塚について「人によっては海岸がここまで来ていて、船のロープのもやい石ではないかと言う人もいる」と前に記した。当時の「もやい石」は残っていないだろうか。「長崎市史 地誌編」は、梅香崎唐船繋場の繋石が3箇所に転用さていることを記録している。

 このうち、長崎市立博物館「長崎の史跡(歌碑・句碑・記念碑)」平成16年は、次のとおり記している。
28 唐船維覧石(所在地:玉園町1番16号 杉山宅・旧迎陽亭内)  60頁
 西道仙(1836〜1913)の「唐船維覧石」の書が刻まれている。この石はかつて梅香崎の唐船繋場の繋石であったという。梅香崎には宝暦12年(1762)に石垣を築いて、唐船繋場が構築された。ここには唐船の修理が行われる場合、関係の役人や唐人達が詰めた木造二階建ての詰所も設けられていた。この繋石はとても珍しいもので、清水寺や梅香崎天満神社境内の燈籠の棹石この繋石といわれるばかりである。

 「梅香崎の唐船繋場」は、現在の湊公園近くの梅香崎角ローソン一帯。玉園町の旧迎陽亭へ見に行った。かなり大きな石柱で比較にならない。清水寺や梅香崎天満神社は燈籠の三本足に使われている。

 迎陽亭のは別の話がある。岩永弘著「長崎周辺"石・岩・陰陽石"」2002年の17頁は、「今の長崎駅近くの波止場に唐船継纜用の石があった。大黒町辺りの若者達が、迎陽亭の主人が骨董趣味があることを知り。この石をかつぎこんで一夜の宴会費に代えたという謂れのある石である、と」

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                    瞑想石  野母崎権現山展望台

 長崎半島の先端にある権現山(標高198m)は四方に天草、雲仙、五島灘、高島、香焼、長崎方面、遠くは鹿児島県甑島を一望することができる。寛永15年(1638)には遠見番所が設置されてから、外国船の来航を監視した。その後、明治・大正・昭和を通じ、日本海軍の望楼や高射砲陣地も築かれ、現在は展望公園として整備されている。
 「瞑想石」と刻んだ石は、山頂展望台の階下に大きい座石とともにある。観光百選の地。公園整備のため近年設置された石のようで、特に由緒もないと思われるが、気のきいた石柱でなかろうか。

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                    川原本村海浜の蛇紋岩れき浜

 三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊、地質の項13〜15頁「三 蛇紋岩」から

 蛇紋岩は超塩基性岩に属するかんらん岩が蛇紋石化してできたものである。脂肪光沢をもった濃緑色の岩石で、三和町では栄上を中心に為石、蚊焼、為石から野母崎町二ノ岳付近へと三和町の中心部一帯に広く分布し、野母崎町井上付近まで広がっている。…
 風化の進みはじめた蛇紋岩は水を含むと崩れやすいものであるが、岩石そのものは緑黒色で重厚な感じのする岩石である。磨けば非常に美しく、記念碑などに好んで用いられる。

 蛇紋岩地帯の東方にあたる川原本村海浜と宮崎海浜(川原海水浴場)には、蛇紋岩だけからできた「れき浜」が、数百メートル続き、蛇紋岩のみごとな円れき浜をつくっている。特に川原本村の海浜のれきは拳大の円れきがそろっており、自然な状態が良く保存されている。県下でもこれに類するものはない。三和町町民が有する天与の美しい財産のひとつと言って良い。

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                   茂木植物化石層  県指定天然記念物

 長崎市茂木町。天草フェリー前の長崎市茂木支所庁舎の裏手となる。現地説明板は金網が邪魔し写真の字が読み取れないので、「長崎市の文化財」HPの説明を掲げる。

                   茂木植物化石層  県指定天然記念物

  指定年月日 昭和54年7月27日  所在地 長崎市茂木町字片町 所有者 池山寅一郎
 茂木町北浦の白浜海岸に露出する地層である。露頭の下部の、厚さ1.5mの泥岩の層に植物化石を含んでいる。植物化石は31科40属52種が識別されているが、その大部分は双子葉類で、ブナ・イヌザクラ・フウ・ケヤキなどである。この化石から推定されるこの地層の地質時代は、新生代第三紀鮮新世の終りごろ、1000万年前と考えられている。
 1879年(明治12年)、スェーデンの探検家ノルデンショルドが長崎に立ち寄った際にこの化石を採集し、本国へ持ち帰った。これを古生物学者ナトホルストが研究し、発表したが、これが日本の新生代植物化石の最初の記録となって国際的にも有名である。

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