みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の古写真考 1

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

       長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6147 外国人男性の肖像(?)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:6147 外国人男性の肖像(?)

  ■ 確認結果

 目録番号:6147「外国人男性の肖像(?)」は、長崎の上野彦馬写真館の印画紙に焼き付けられており、〔撮影地域:長崎〕で良いのではないか。

イメージ 1

           長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6044 飽ノ浦神社

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:6044 飽ノ浦神社

  ■ 確認結果

 目録番号:6044「飽ノ浦神社」のタイトルは、他の作品に合わせ「飽の浦恵美須神社」となるのではないか。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

      長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6041 大浦居留地から東山手を望む

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:6041 大浦居留地から東山手を望む

 目録番号:2902 南山手からの大浦と出島(2)
  〔画像解説〕
  撮影者は不詳であるが、埋立地の様子(左手の第2期埋立地が造成されたばかりである)から撮影時期は文久2(1862)年であり、このアングルでは長崎大学が所蔵する最古の写真である。手前のベルビュー・ホテルがまだコの字型であり、東山手にはほとんど建物が見られない。

 目録番号:6064 グラバー邸付近からの大浦居留地

  ■ 確認結果

 目録番号:6041「大浦居留地から東山手を望む」は、次の目録番号:2902「南山手からの大浦と出島(2)」と、撮影場所はほぼ同じである。
 古写真手前のコの字型の建物は、ベルビュー・ホテルであり、撮影場所は南山手の、現在のグラバー園正門右側あたりの高台から、大浦居留地と東山手を写している。

 したがって、タイトルは「南山手(または「グラバー邸付近」)から大浦居留地と東山手を望む」となるのではないか。
 上野彦馬撮影は、3枚目の目録番号:6064「グラバー邸付近からの大浦居留地」もある。同じ撮影場所「グラバー邸付近」から、向きを変えて大浦居留地の海岸側を撮影したと思われる。
 2枚を横に並べてみた。縮尺を合わせ、一部をカットすると組写真のようになるだろう。

イメージ 1

イメージ 2

       長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5334 上級武士の家族 ほか

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:5334 上級武士の家族
  〔画像解説〕
  明治5年ごろ上野彦馬撮影。大村藩30代藩主で文久3(1863)年には長崎総奉行を勤めた純熙(すみてる)の家族写真。純熙は明治2(1869)年の版籍奉還で藩知事、明治4年の廃藩置県で引退した直後の明治5年ごろ撮影。場所は長崎の大村屋敷(現中町教会)の玄関。

 目録番号:5335 上野彦馬と家族
  〔画像解説〕
  明治3〜4年ごろの上野写真館における上野彦馬の家族写真。写されているのは彦馬をはじめ、彦馬の母伊曾(いそ)、彦馬の妻むら、彦馬の4人の妹たち、この、(牧)ちえ、ぬさ、にわおよび牧の娘なかと元次郎である。

 目録番号:5332 男性の肖像(52)        (以下、掲載略)

 目録番号:5333 男性の肖像(53)

 目録番号:5336 日本人の集合写真

  ■ 確認結果

 上野彦馬アルバム。連番号からいうと、目録番号:5332 から、目録番号:5336 までの5作品。〔撮影地域:未詳〕となっているが、いずれも長崎の上野写真館などで撮影されたのではないだろうか。

 特に目録番号:5334「上級武士の家族」は、「大村純熙(すみてる)の家族写真。明治5年ごろ撮影。場所は長崎の大村屋敷(現中町教会)の玄関」。次の目録番号:5335「上野彦馬と家族」は、「明治3〜4年ごろの上野写真館における上野彦馬の家族写真」と、はっきり画像解説している。

イメージ 1

イメージ 2

         長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5337 お茶の梱包(2)

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 目録番号:5337 お茶の梱包(2)

  ■ 確認結果

 目録番号:5337「お茶の梱包(2)」は、上野彦馬撮影。アルバムの作品の続きから「撮影地域:長崎」となるだろう。長崎大学附属図書館もそのように判定している。
 長崎新聞HP「龍〜なが」から長崎新聞2010年12月5日記事は次のとおり。

   龍馬動く 関連企画 (2010年12月5日更新)   長崎新聞
   長崎遠めがね 古写真に見る町と人 長崎大付属図書館協力・46 お茶の梱包

  幕末には輸出品トップ

 長崎から初めてお茶が輸出されたのは、1856(安政3)年のことである。長崎の油商の家に生まれた大浦慶が、イギリスの商人オルトの注文をうけ、嬉野などから大量のお茶を集めてアメリカに輸出したのが最初である。
 66(慶応2)年には、当時、長崎で最大の輸出品であった海産物を抜いて、輸出品の第1位を占めるようになった。このころから明治にかけて、大浦居留地にはグラバーやオルトなどが大規模な製茶工場を建て、何百人もの人が、乾燥や箱詰めの作業に当たっていた。
  (長崎大付属図書館長・柴多一雄)


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事