みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

江戸期のみさき道 (往路後半)

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                   高浜海水浴場前の八幡神社  長崎市高浜町

 「みさき道」は高浜の町中から高浜海水浴場のある八幡神社前に達する。八幡橋は渡らず河口沿いに墓地の先端を行き、やがて海に突出した老松茂る「しのぶ」の丘を越え古里へ入る。「しのぶ」の丘とは、今「忍の地蔵」のある料亭松美のところである。
 海水浴場手前の八幡神社は、横の広場に公衆トイレがあり、「みさき道」歩きのよい休憩地点となる。現在の神社は昭和58年9月に改築された。少し神社に残る珍しいものを紹介しておく

 まだ昔の時代、前の川に架かった「八幡橋」の欄干を一部残している。現総代の本村藤夫さんの話では、橋はアーチ石橋でなく、間に支柱のある桁橋だった。
 「手洗石」は塚崎病院寄贈の新しいものとなっている。昔のその石や鳥居・燈籠が離れた松林に片付けられていた。これを見にきたのは、長野観音堂跡にある珍しい手洗石と同じようなものが、八幡神社にもあると「野母崎町郷土誌」が記していたためであるが、大きさや造りも全然違うようだ。手洗石はこれを生かしてほしかった。

 新殿の右側奥に、旧鳥居の額や祠が残されている。祠の扉裏には「文化十一申戌年七月一日」と左に「世話人」5人の刻みがあった。祠の神体は移しているため、何を祀っているかわからないが、小さな狛犬が可愛い。この一角も「ラビリンス」もの。郊外編でまとめたい。

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               「大正九年三月設」の標石のある石垣  長崎市高浜町

 これは路地裏探検「ラビリンス」の部類の郊外編。「みさき道」の道筋に目にするので、一応紹介しておく。長崎市高浜町の町中の家にある。
 「みさき道」は先項の長野観音堂跡公民館の方へ行かず、高浜郵便局から右のまっすぐな小道に入る。すぐ川沿いの車道に出るが、角の商店から小道を直進する。道は緩やかにカーブしながら国道499号線と出合う。高浜バス停の先となる。

 この国道に出る手前に、見事な石垣と塀のある広い屋敷がある。左側の石垣の上を見ると、中間くらいでコンクリート塀が白壁となり、その境目に「大正九年三月設」の標石をはめ込んでいる。なかなか凝った石垣の造りと標石である。
 榎の大木がある国道側に玄関があり、新しい家となっている。坂を上がって覗くと庭も立派だった。

 今来た道を振り向くと、長崎半島南の第一高峰、ゴルフ場内の二ノ岳(標高325.5m)が遮るものなく聳える。いかにも街道の道である。なぜ「二ノ岳」と言うか。ピークが2つあるためらしい。
 この家は本村宅。高浜に本村姓が多い。街道沿いであり特別に由緒ある家かと思ったが、近隣の人に聞くと、明治時代からの大農家であったようだ。
 「みさき道」は国道を横切り、なお古い家並みの中を行く。高浜海水浴場前の八幡神社前に出るが、八幡橋の架かる川の河口は渡らない。

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             「○月江金公」の石碑  高浜の長野観音堂跡公民館の庭先

 長崎市高浜町野中の「奉供延命水」水場の碑に続き、高浜の町中にある「みさき道」沿いの珍しい碑について、次項とも2つを紹介する。
 「みさき道」は、延命水から高浜の町中へ下る。野母崎高校の正門前を通り、橋を渡って高浜警察官派出所と高浜郵便局の前の道を直進する。ここは分岐となり、真直ぐな小道が「みさき道」だが、左へ曲がる広い車道を行くと、すぐ左手石垣上に榎の大木が目立つ「長野公民館」がある。

 新しい公民館は4年前に建った。この高台が「長野観音堂」の跡地である。公民館建設のため、観音堂が壊され石碑などが庭先の隅に移されている。
 「延命水」でふれた11月初め長崎市高浜公民館からもらった資料「たかはまの字名の由来考」の43頁、「本村名 長野」の中にこの「○月江金公」の碑を上のとおり記していた。庭先に横倒しされ、「野母崎町郷土誌」にも記録がなかったようなので、これまで全く気づかなかったため、12月15日に碑を確かめに行った。

 写真のとおり碑は横倒しにされてあった。しかし、上部の「○」の刻みは大きくすぐわかるが、「月江金公」の字がわかり難い。浜石の自然石に浅く刻んだもので、字は磨耗しているようだ。「月」の字のみ、石面のくぼんだ所に掘られ、何となくわかる。
 「○」の印は、「禅僧のなかでも特に高僧だけ許された禅僧の印だそうで」とは新しい見解であった。これまで深堀や末石などの墓地・地蔵堂で同じ様な石に、上部に「○」や梵字を刻んだのは多く見ていて(別項あり)、これは経筒を納めた「経塚」と思っていた。

 刻字は碑の石を見たかぎりわからない。今、この画像を首を左にして眺めると、たしかに「月江金公」とうっすらと写っている。資料の著者は、高浜の入江の月夜を風雅な文で綴っている。この碑の記録はロマンを感じる資料である。
 なお、昭和61年「野母崎町郷土誌 改訂版」144頁から「長野の観音堂」は次のとおり。緑泥片岩の手洗石が珍しい。この観音堂は、脇岬観音寺と関係はないらしい。
 榎の大木は公民館隣家の人に聞くと、堂の裏手にもあと1本あったが、幹が伸びて下の家にかかっていたため伐採している。

   「長野の観音堂」
 高浜の正端寺の裏山の北側に台地が出っぱっている。これが長野の観音堂である。入口に念仏塔がある。この境内に宝篋印塔の相輪がある。簡略化されており、高浜小学校出土と同じである。又、緑泥片岩の手洗石は、加工して、岩石のさけ目をつけており、製造年月日はないが、中世起源と考える。なお、これと同じ様式の手洗石は浜添の八幡神社境内にある。 

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                高浜延命水の碑文図と野中の一本松跡場所がわかる

 「高浜延命水の水場とはどこか。野中の一本松はどんな松だったか」については、先の項で野母崎町教育委員会「のもざき漫歩」の話なども載せて紹介していた。
 このたびわかったのは、この石碑に刻んでいる碑文図と、戦後すぐ枯れた野中の一本松が立っていた場所である。11月初め長崎市高浜公民館から講座の資料「たかはまの字名の由来考」(著者は古里出身。現在錦2丁目にお住まいの松尾秀喜氏)をもらった。高浜地区の南越・本村・以下宿・黒浜の旧名とその小字名の由来について、詳しくよくまとめられている資料である。

 この資料の52頁に「本村名 野中」の項があり、「野中」の呼称の由来と「延命水碑」の図があった。本日12月15日、図の刻字を確認に行った。
 右面の「奉供延命水」と、正面の「ひょうたん」マーク及び左角の「安政四年中秋吉祥日」と「施主 長崎市木下町 中尾茂助 高浜世話人 市三郎」は前からほぼ判読でき、他資料にもほとんど記していることである。
 わからなかったのは、「ひょうたん」マークの右下の字で、図では上の資料画像のとおり、二行を判読し描いている。

 現地の碑を本日、苔をはがすなどしてよく見たが、結果は前と変らなかった。よほど学のある人が拓本でも取らない限り、この二行の字を判読できない。
 「たかはまの字名の由来考」は、延命水の水場が「御崎観音詣で」の道(みさき道)の「一休する場所」であって、「年々先豊水の因」となるよう願いをこめて碑が奉供されたことを記録した貴重な資料である。

 戦後枯れた「野中の一本松」が立っていた場所は、高浜の町中で偶然出会った本村藤夫さんの話からわかった。氏は現在、高浜海水浴場前の八幡神社総代。昭和20年当時は中学生で16歳。
 一本松は枯れていたが、この延命水の地蔵堂のすぐ右脇に立っていた。根元には空洞があり、人がかがんで1人は入れた大きさだったと話された。場所は植林林前にまだこんもりしている。

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                       高浜の町中と古里までの道

A 高浜の町中はどこを行ったか
 延命水から毛首公民館前を通り車道のカーブは近道して、野母崎高校の横にある地蔵堂に出る。いよいよ高浜の町に入るが、町中も街道がどこを通ったかおろそかにできない。高校の正門に出て学校を回るように行って橋を渡ると高浜郵便局に出る。
 この先、道は二手に分かれるが細道をまっすぐ進む。左の車道を行くと少し先の高台に長野観音堂があったが、最近壊され公民館に建て替えられている。入口に念仏塔・宝篋印塔の相輪・手洗石がある。脇岬観音寺と関係はない。川端の商店前で二手の道はまた合い国道を横切りまっすぐ陰平へ進む。この途中に地蔵がある。海水浴場前に出るが川は渡らない。「肥前全図」に表れる「三反(友は誤)田川」はこの川らしい。

B 高浜から古里まで海岸を行ったか
 関寛斎日記は「水際の奇岩上を通る凡そ二十丁」と記して、高浜から堂山峠の登り口である大古里まで海岸を行ったように感じるが、そうではない。岩を巻きながらきちんとした山道の街道がある。
 高浜海水浴場から正面の墓地の脇を越し、埋立て前の海岸線を行き内野自動車手前から家の間の道に入る。先で畑道となり上に続くが、そこには行かず右へ竹薮をかき分け横に入ると、高浜温泉の上で料亭「松実」の裏に出る。後はきちんとした道で部落の中を通って龍田神社前を行き古里公民館前に出る。この先の小店の前などは距離が短く波がひどい日も、大古里まで海岸を行かれたようである。
 なお、料亭「松実」の山手側建物の駐車場奥に、ガラスサッシの地蔵堂がある。「忍の地蔵」というのはこれである(別項)。


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