みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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江戸期のみさき道 (往路後半)

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                 高浜の「忍の地蔵」とは、どこにある地蔵か

 野母崎町「のもざき漫歩」高浜海岸の今と昔の中に『野母方面へ行くのに、浜添から「忍(しのぶ)の地ぞう」の下を通り、その浜へ出ると、なだらかな砂の道となっていました。そこは満潮時になると、潮がガンブリ満ちて通れませんでした』とある。
 この地蔵は高浜海水浴場前を過ぎ、今、少しカーブとなっている料亭「松美」国道左の建物の駐車場奥にある地蔵である。名前がゆかしく、いわれと場所を訪ねたが、地蔵は新しくなってガラス張りのサッシの中に安置されていた。
 このあたりは、潮の満干によって山手の道と砂浜の道があったことが偲ばれる場所の地蔵である。

 なお、この手前には鉱泉が湧いて海にそそいでいた。料亭「松美」が手を加え、自家用とするとともに、「高浜温泉」として看板を掲げ10数年前までは、鉱泉を蛇口で売っていた。その小屋が、最後の写真の右手建物である。

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               高浜延命水手前に「みさき道」の道塚が存在したか

 ゴルフ場裏門内の道塚は高浜の方を指す。岬木場へは向かわない。関寛斎日記も高浜へ下った。これが「みさき道」の本道である。あと1つ証拠だてるものがある。「みさき道」は、高浜へ下る旧町道沿いに道があったが、ゴルフ場造成のため敷地内は喪失し、高浜延命水手前の新道取り付け地点に再び道を現わす。正確にその地点は、高浜延命水の水場のまだ300mほど手前、小さなアンテナ塔が建つ。ここは以下宿の南谷から上がってきた「岳路みさき道」との合流点でもある。

 「みさき道」と刻まれた道塚は、すぐ上の旧町道の脇にあった。字「山口」と「ツツジ原」の境で、今の新町道沿いに徳道の「棘山」というところに向かう分岐があり、近くの買収された畑の所有者、高浜松尾栄さんが確かにそこに建っていたと話される。古賀陸門氏も若い頃、道を通って目にし、数年前にもあったと「長崎の空 第12集」平成12年などの稿を書かれている。

 昨年(平成18年)1月27日、3者で現地調査した。残念なことに、ゴルフ場造成工事のとき土に埋まったか、道塚を探すことはできなかった。第2集ですでに報告している。
 あと1人、道塚が存在していたことを覚えている方がいた。第2集を読んだ宮崎の高崎市郎先生(三和町郷土誌編集委員だった)である。ここは川筋で田んぼが広がっており、たしかに道塚が建っていた、とすぐ知らせてくれた。

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 三和町教育委員会広報誌「あなたと広場」平成14年8月243号掲載記事
 三和史談会 浦里宇喜男さんの「三和町地名のルーツ」その32から

             長い尾根が続く蚊焼の「長一尾」(ながひとお)

 蚊焼本村から南に位置し、海抜一〇〇メータから二〇〇メータの広々とした山林地帯、ここが「長一尾」である。読んで字の如く、川原の秋葉山から、野母崎町高浜境まで、長い尾根が続いている。この尾根道が、十一月二十四日、本町で開催された、長崎県地方史研究大会で、本町の史談会長、中島勇先生の講演テーマ、「観音信仰とみさき道」としてとり上げられたのである。ここで、三和町郷土誌での「長一尾」「みさき道」をひもといてみよう。(以下郷土誌より)

 川原道をしばらく進むと焼却場に出るが、「御崎道」はこの焼却場の少し手前から山道にかかる。ここは「長一尾」と呼ばれ、秋葉山の頂上近くまで一気に上るのである。そして上りつめたところに郷路八幡が祀られている。平家の主従五名ばかりが、ここで果てたと伝えられており、元の墓も近くの林の中に残っている。

 長崎医学伝習所生、関寛斎も「蚊焼島(日記原文から「峠」が正)の上三十丁(約三粁)ばかりを“長人”といふ、此の処東西狭くして直ちに左右をみる、東は天草、島原あたり、その中間より肥後を見る」と記述しているように、上るまでは大変であるが、いったん上ってしまうと、上は平坦な道を稜線に沿って進むので、寛斎の言うように、”東西狭くして左右を見る”という感じであろう。(以下省略)

 また、この「長一尾」は旧深堀藩であった蚊焼村と、長崎代官支配の川原村との境界であり、その境界とり決めの古文書には次のように記してある。
 今度、公儀より絵図の儀、仰下され候は、境目相改め候覚、一、かやき村、かわら村境の事、右のはしの川内(橋川内)河境より長ひとお(長一尾)山谷境大通より高浜境迄みなふわけ(稜線〔みのう〕わけ)なり。(以下略)

 先日、秋葉神社お詣りの帰途、この長一尾のみさき道を歩いてみた。最近、長崎の某山岳会の好意で案内標識も整備されており、中高年の山歩きには最適のコースと感じた次第である。

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                    岳路回りのみさき道(岳路みさき道)

 岳路海水浴場バス停下に今魚町の道塚があることから、岳路回りのみさき道のコースがあったことが推定される。蚊焼から永一尾の山の稜線を行きゴルフ場の道塚から高浜へ出るいわゆる「みさき道本道」に対する、海沿いの蚊焼・岳路・黒浜・以下宿の集落を通って、高浜毛首の延命水手前で本道と合流するもう一つの「みさき道」である。私たちが道を区別したり書きものをするとき、そう呼んでいるだけで、正式な名前でないし認知はされていない。

 蚊焼から先の永一尾の稜線に、道塚が見あたらないのは不思議なことであったが、妙道尼信女墓の所に道塚があったと記憶されている人はおり(蚊焼桑原氏)、徳道とゴルフ場にある道塚を結ぶと、この稜線の道が「みさき道」であったことは間違いない。関寛斎は「長人」を通っている。
 しかし、このコースを外れて岳路に1本だけ、しかも同じ今魚町の道塚が離れてある。これは海沿いに岳路を回るもう1本の「みさき道」であった。生活道として集落を結ぶ道がまずあったことは、当然なことである。本道との分岐は蚊焼西大道の道塚である。この道は実際歩いて楽なのである。

 元禄十四年「肥前全図」に描かれている赤道の線は、この道のようであり、明治の後半期に入り栄上から蚊焼に抜ける道が整備されると、かえってこのコースの道が利用されたと考えられる。長崎ー野母間の船便が運航され、外海が荒れたときは蚊焼まではなんとか来られたが、後は歩いて家に帰ったという体験談を聞く。

 この道は岳路から黒浜ダムの下を黒浜まで行き、黒浜トンネル手前からいよいよ「尻喰坂」越えをし、以下宿地蔵堂から南谷を上がって高浜延命水手前の小さなアンテナ塔のあるところでゴルフ場道塚から下って来た「みさき道本道」と合流する。

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                 尻喰坂(しっくいさか)  岳路みさき道の坂道

 無駄足を踏みながら、地図で以下宿に「尻喰坂」(しっくいさか又はしっきぃさか)なる名前の道があることを知った。岳路から黒浜・以下宿と今の国道は断崖が続く。海岸は通れなかったはずと思い、この坂に分け入った。立派な街道が残り、以下宿の南の谷を上がり高浜毛首の延命水へ道は続いていた。

 「尻喰坂」とは、黒浜トンネル手前から以下宿の老人ホーム「永寿園」先の地蔵堂に抜ける峠越えの坂である。厳密には以下宿側を言い、以下宿から上がるのがきつく、その状態を言うという。延命水の地点は、「のもざき漫歩」が紹介しているとおり、「野中の一本松」がかつてはあり、黒浜のこどもたちが高浜の学校へ通うのにいつも使われた道であった。
 「尻喰坂」については、村岡豊氏HP「長崎県の坂」にもある。


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