みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎県の石橋

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             大村市に残るアーチ石橋  大村市中里町「ひやけはし」
 
 大村市中里町にはカキノキの樹形がよい大木があった。「ひやけはし」という変った名のアーチ石橋もあるとHPにあったから訪ねてみた。大村市では、この橋が唯一の石橋のようだ。
 国道34号線が鈴田峠を過ぎ、JR大村線の鈴田峠トンネル出口付近で左折して踏み切りを渡り、旧国道の道を行くとすぐの川に架かっている。鉄道のすぐ左側。折りよくシーサイドライナーが通った。
 橋の銘柱はコンクリート製。変った形をしていて「ひやけはし」とある。架設年は不明。このあたりの地名が「日焼」とバス停があった。HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

 第 62 番 ひやけはし   大村市中里郷
 年代 不明   長さ 約6.0m 幅員 約4.0m
 地域在住の大久保氏から連絡を頂いた橋。旧国道に架かる橋。ここに石橋があることを、知らせてもらうまで全く知らなかった。感謝。
 【ガイド】諫早市から国道34号線で鈴田峠を越える。鉄道のトンネル付近で左折して旧国道に入る。

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       北・南有馬町に残るアーチ石橋 (2)  南島原市北有馬町・南有馬町

 南島原市北有馬町・南有馬町に残るアーチ石橋は、11橋である。このうちの(2)。
 ここも石橋の宝庫である。諏訪の池から北有馬へ下る県道30号線から少し入ると見学できる。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。同HPも参照。

 写真 7  第 43 番  荒 田 橋    北有馬町坂上下名下田中
  明治末期       長さ 13.0m  幅員 2.5m
  有馬川にの支流、三八川上流。荒田バス停から入る。
  田中橋を訪ねて、諏訪の池から県道30号線を北有馬に向かっていたら、田中公民館の先の荒田バス停の先を、なんとなくカンが働いて入ってみた。偶然であったアーチ橋。名前が判らないので「荒田橋」としてみた。
  アーチ部分は小さく、側面は石垣のように積み上げている。比較的新しい橋のように感じる。山口祐造氏の著書で名前と架橋年代が判明した。

 写真 8  第 40 番  ショウベ川橋   北有馬町折木名折木(堤下)
  明治期        長さ 15.0m  幅員 1.8m
  堤のホテイアオイの花に誘われて、ふと下流を見て気が付いた橋。有馬川の支流坂山川に架かる。
  面無橋ほどではないが、この橋も丸石が多用されている。植物で見えないが…。付近の景観ともマッチした良い橋だ。

 写真 9  第 64 番  上長平谷橋    北有馬町折木名長平谷(堤上) 
  明治末期       長さ 6.8m   幅員 3.0m
  ショウベ川橋から坂山の別れ道に上る二倍ほど上流に登る。
  棚田の奥に、石橋が現われた集落の最上部になる。すぐ手前の水神さんで、顔を洗わせていただいた。

 写真10  第 65 番  小 谷 橋    北有馬町折木名小谷
  年代不詳       長さ 3.0m   幅員 4.0m
  小谷の旧道から山に入る。普通車ではチョッと辛い。
  九州自然歩道を登る。地元の人たちは軽自動車でなら入っていく。この橋が近年教育長自身が見つけた橋。

 写真11  第 86 番  深谷(ふかだん・ふかたに)橋  南有馬町菖蒲浜
  明治中期       長さ 約5.0m  幅員 約4.0m
  旧国道に架かる。

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           北・南有馬町に残るアーチ石橋 (1)  南島原市北有馬町

 南島原市北有馬町・南有馬町に残るアーチ石橋は、11橋である。このうちの(1)。
 ここも石橋の宝庫である。諏訪の池から北有馬へ下る県道30号線から少し入ると見学できる。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。同HPも参照。

 写真 1  第 39 番  面 無 橋    北有馬町今福名面無 タカエ川
  江戸末期〜明治初期   長さ 12.0m  幅員 3.4m
  棚田の中に見える橋は、元の往還に架かる橋 有馬川の支流、高江川に架かる。
  岩屋川のアーチ橋が自然石組だと感心してたら、この面無橋には驚いた。枠石の外側だけは多少の加工がしてあるが、それ以外は加工の跡が余り見られない石ばかりで組まれている。よくこれで綺麗なアーチが保てるものだ。付近の景観ともマッチした良い橋だ。

 写真 2  第 52 番  西 平 橋    北有馬町西正寺名西平 西正寺川
  明治30年8月     長さ 28.5m  幅員 5.0m ハツメ石
  石工 森田清次郎。肝心なアーチが見えないのが残念。
  山本教育長のお話では、なんとここは「ゴミ捨て場」になってしまっていたそうだ。手前の橋があってアーチを簡単に見ることができない。

 写真 3  第 66 番  桶口橋(テイグチ橋・坂下橋)北有馬町坂上下名坂下桶口 大丸川
  明治28年       長さ 20.2m  幅員 5.1m ハツメ石
  坂下小学校前の県道を下り、大丸バス停の川下側に架かる。
  枠石はしっかりとした切石だが、側面は自然石を野面で積んだ状態。標柱には石工の名前が刻まれていて、北高来郡上戸村の上戸栄助とある。
  橋底から見ても、まだまだしっかりとしていることが見て取れる。

 写真 4  第 45 番  元 平 橋    北有馬町坂上下名田中
  大正10(1921)年 長さ 18.7m  幅員 2.8m
  有馬川にの支流、坂下川。上流側に新元平橋がかかる。
  橋の横には公園整備がなされている。
  北有馬町には沢山のアーチ橋が残っているそうだ。この橋も偶然に出会えた。

 写真 5  第 44 番  田 中 橋    北有馬町坂上下名田中 
  明治36(1903)年 長さ 13.7m  幅員 3.9m
  馬川にの支流、坂下川。坂下小学校から入る。
  柿ノ木谷への案内板の先に、田中橋は現われた。川底を見ると橋の材料になりそうな砂岩の層が見える。北松の佐々川と同じように石に恵まれているのかもしれない。
  美しさを感じさせる良い橋だ。

 写真 6  第 49 番  荒 田 下 橋  北有馬町坂上下名下田中 
  明治35年        長さ  5.6m  幅員 3.9m
  有馬川の支流三八川に架かる。田中橋のすぐ上流。
  田中橋を渡らずにそのまま50m程上ると、有馬川の支流の坂下川の、さらに支流となる三八川の合流点に出る。この荒田下橋を越えて坂を登ると、荒田橋に行き着く。

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                   坂下川の元平橋  南島原市北有馬町乙

 諏訪の池から南島原市北有馬町へ下る県道30号線沿い。人家や幼稚園に出たところに案内標識がある。坂下川に架かる。石橋の川からの高さが高く、多くの石を積んでいる。上流側の新元平橋と並ぶ光景は、見ごたえがあった。
 県道沿いですぐ近く、通りかかりに寄って見る価値がある。夕暮れで写真が暗く、再度出かけたい。HP「長崎県の石橋を訪ねて」の中の説明は次のとおり。

 第 45 番  元 平 橋    南高来郡北有馬町坂上下名田中
  大正10(1921)年   長さ18.7m 幅員2.8m
  有馬川にの支流、坂下川 上流側に新元平橋がかかる。橋の横には公園整備がなされている。北有馬町には沢山のアーチ橋が残っているそうだ。この橋も偶然に出会えた。

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            千々石町に残るアーチ石橋 (2)上流部  雲仙市千々石町

 雲仙市千々石町の千々石海水浴場にそそぐ川は、雲仙地獄盆地に発する延長12kmの島原半島第1の長さ2級河川の千々石川を本流とし、清水川・飯岳川・上峯川などを集めている。
 石橋群が残っているから、下流部から上流部まで見てまわった。千々石町「千々石郷土誌」平成10年刊の1216〜1218頁に資料と地図があった。HPでは「長崎県の石橋を訪ねて」が地域別に詳しい。

 郷土誌の記録当時から年月が経ち、大中橋は平成10年3月、古松橋は平成18年4月に橋が架け変えられ、石橋は解体されていた。道路拡幅のとき残すのがむつかしいようだ。現在、残っているアーチ石橋は次のとおり6橋。
 上段は「千々石郷土誌」の記録。下段はHP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明。

 写真  1  万 松 橋  下塩浜  明治末期
  第 14 番  萬松橋(塩浜橋) 千々石町 下峯川に架かる
  江戸時代末期   長さ 6.5m  幅員 5.2m(1/4程度はコンクリートの継ぎ足し)
  千々石町では石造アーチ橋を壊さずに補強したり打ち増ししたりして残してくれている。石橋好きには嬉しい。
  車時代に合わせて橋の幅を広げている。このような形でも残してくれるのはありがたいことだ。

 写真  4  八 千 代 橋  神ノ下  大正 6年頃(1917)
  第 23 番  八 千 代 橋  千々石町 橘神社より千々石川の下流に架かる
  大正6年    長さ22.0m  幅員 5.4m
  付近は河川公園で「橋の歴史」が見られます。
  下流側には、補強工事が右下のようにされてある。橋の景観を守るため補修のしかたに工夫が見られる。
  左下の写真は八千代橋の上流の風景、増水した時は完全に水没する「河磯橋」と、その奥には橘神社にいたる「軍神橋」が見える。軍神橋は近代的なコンクリート橋。
  八千代橋下流の飛び石。飛び石からコンクリート橋までが短い区間に並んでいる。

 写真  7  大 門 橋  小 倉  明治30年頃(1897)
  第 15 番  大 門 橋    千々石町 橘神社より千々石川の上流に架かる
  明治30年   長さ14.3m  幅員 4.0m
  上流の風景もいいですよ。行ってみませんか?
  車止めがついた。下流側に新しい橋が出来たために、大門橋は車両通行止め。橋の寿命は随分延びるだろう。

 写真 10  水 道 橋  飯 岳  大正7年?
  第 30 番  水 道 橋    千々石町飯岳
  大正7年   長さ 7.3m  幅員 2.5m
  ダムからの発電用水路の水道橋。飯岳橋の下流のダムの点検通路を通って水道橋まで行けるが、立ち入り禁止になっている。
  千々石町の総務課の方から存在を伺った。枠石もしっかりしている。長崎県内では、私の知る限り唯一の水道橋。発電所の存在は判っていたから、水道橋の名前さえ判っていれば、もっと早く出会えたのにと思う。
  要石の上の平石が気になる。押さえ石か排水口か?

 写真 11  白 新 田 橋  白新田  明治31年頃(1898)
  第 16 番 白 新 田 橋  千々石町 木場入口手前から入って千々石川の上流を目指すと判りよい。
  明治31年   長さ13.9m  幅員 3.3m
  もう無くなってしまったと思っていた。
  普通に通る分には、石橋を忘れてしまう。石橋の上に架かる新橋は、石橋に負荷を掛けない構造になっているようだ。

 写真 13  水 電 橋   岳   大正 4年 (1915)
  第 17 番  水電橋(水力発電からの命名だろう)千々石町 棚田の岳の集落に入って羽山橋のバス停手前
  大正4年5月  長さ11.0m  幅員 2.6m
  黄色い柵は発電所まで続く。
  補強工事をしている。枠石が崩れなければめったなことではアーチ橋は破損しない。このような補強は、素人目にも有効に思える。標柱もちゃんと立っていた。

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