みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎県の石橋

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全16ページ

[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]

[ 前のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

            千々石町に残るアーチ石橋 (1)下流部  雲仙市千々石町

 雲仙市千々石町の千々石海水浴場にそそぐ川は、雲仙地獄盆地に発する延長12kmの島原半島第1の長さ2級河川の千々石川を本流とし、清水川・飯岳川・上峯川などを集めている。
 石橋群が残っているから、下流部から上流部まで見てまわった。千々石町「千々石郷土誌」平成10年刊の1216〜1218頁に資料と地図があった。HPでは「長崎県の石橋を訪ねて」が地域別に詳しい。

 郷土誌の記録当時から年月が経ち、大中橋は平成10年3月、古松橋は平成18年4月に橋が架け変えられ、石橋は解体されていた。道路拡幅のとき残すのがむつかしいようだ。現在、残っているアーチ石橋は次のとおり6橋。
 上段は「千々石郷土誌」の記録。下段はHP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明。

 写真  1  万 松 橋  下塩浜  明治末期
  第 14 番  萬松橋(塩浜橋) 千々石町 下峯川に架かる
  江戸時代末期   長さ 6.5m  幅員 5.2m(1/4程度はコンクリートの継ぎ足し)
  千々石町では石造アーチ橋を壊さずに補強したり打ち増ししたりして残してくれている。石橋好きには嬉しい。
  車時代に合わせて橋の幅を広げている。このような形でも残してくれるのはありがたいことだ。

 写真  4  八 千 代 橋  神ノ下  大正 6年頃(1917)
  第 23 番  八 千 代 橋  千々石町 橘神社より千々石川の下流に架かる
  大正6年    長さ22.0m  幅員 5.4m
  付近は河川公園で「橋の歴史」が見られます。
  下流側には、補強工事が右下のようにされてある。橋の景観を守るため補修のしかたに工夫が見られる。
  左下の写真は八千代橋の上流の風景、増水した時は完全に水没する「河磯橋」と、その奥には橘神社にいたる「軍神橋」が見える。軍神橋は近代的なコンクリート橋。
  八千代橋下流の飛び石。飛び石からコンクリート橋までが短い区間に並んでいる。

 写真  7  大 門 橋  小 倉  明治30年頃(1897)
  第 15 番  大 門 橋    千々石町 橘神社より千々石川の上流に架かる
  明治30年   長さ14.3m  幅員 4.0m
  上流の風景もいいですよ。行ってみませんか?
  車止めがついた。下流側に新しい橋が出来たために、大門橋は車両通行止め。橋の寿命は随分延びるだろう。

 写真 10  水 道 橋  飯 岳  大正7年?
  第 30 番  水 道 橋    千々石町飯岳
  大正7年   長さ 7.3m  幅員 2.5m
  ダムからの発電用水路の水道橋。飯岳橋の下流のダムの点検通路を通って水道橋まで行けるが、立ち入り禁止になっている。
  千々石町の総務課の方から存在を伺った。枠石もしっかりしている。長崎県内では、私の知る限り唯一の水道橋。発電所の存在は判っていたから、水道橋の名前さえ判っていれば、もっと早く出会えたのにと思う。
  要石の上の平石が気になる。押さえ石か排水口か?

 写真 11  白 新 田 橋  白新田  明治31年頃(1898)
  第 16 番 白 新 田 橋  千々石町 木場入口手前から入って千々石川の上流を目指すと判りよい。
  明治31年   長さ13.9m  幅員 3.3m
  もう無くなってしまったと思っていた。
  普通に通る分には、石橋を忘れてしまう。石橋の上に架かる新橋は、石橋に負荷を掛けない構造になっているようだ。

 写真 13  水 電 橋   岳   大正 4年 (1915)
  第 17 番  水電橋(水力発電からの命名だろう)千々石町 棚田の岳の集落に入って羽山橋のバス停手前
  大正4年5月  長さ11.0m  幅員 2.6m
  黄色い柵は発電所まで続く。
  補強工事をしている。枠石が崩れなければめったなことではアーチ橋は破損しない。このような補強は、素人目にも有効に思える。標柱もちゃんと立っていた。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

                    幸 仏 橋  諌早市多良見町野川内

 諌早市多良見町野川内に、小さいが珍しい石橋がある。長与から行くと松ノ頭トンネルを越え、伊木力へ下る県道33号線の中間ほどに「幸仏」(こうぶつ)というバス停がある。その下の谷間の川に架かる。
 ここにコンクリート橋が2つある。小さな方の橋の欄干のすぐ下流側の下に並んで、写真のとおりアーチの石組みのみ残す古い石橋。この道は往時、大村から伊木力へ船で渡った大村殿様の「長崎往還道」道筋のようである。

 多良見町「多良見町郷土誌」平成7年刊771頁による説明は次のとおり。
  4 幸 仏 橋
   町内に残る唯一の石造りアーチ橋である。橋造り職人の作とは思われない。割石を組んだだけの素朴な橋である。

 なお、HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

  第 149 番  幸 仏 橋    西彼杵郡多良見町野川内郷
   年代は不詳(江戸時代と言われる)  長さ 約3.5m  幅員 約1.3m
   大村藩の殿様道(長崎往還)に架かっていた橋だといわれる。
   橋のすぐ上にお住まいの、前川さん(68歳)にうかがうと、この橋は往還であり、琴ノ尾岳の烽火台に、向かう大切な橋だそうで、前川さんの祖父の時代にはすでにあったそうだ。
   大村のお殿様は、諫早領を通るのを嫌い、大村湾を渡って伊木力船津の海岸から、この橋を渡り長与・川平経由で長崎に赴いたと言われる。
   〜県の河川課川内係長の情報で多良見町社会教育課の荒木氏から教えていただいた。

全16ページ

[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16]

[ 前のページ ]


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事