みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (県 北)

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                   鬼の窟古墳  壱岐市芦辺町国分本村触

 郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面に進む。芦辺町亀石交差点から右折し、県道174号線により芦辺港へ向かうと、ほどなく県道沿い左手に「鬼の窟(いわや)古墳」がある。すぐ先に「国分寺跡」と「六面十二菩薩と顎掛け石」「へそ石」がある。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

                      鬼の窟古墳  県指定史跡  

  指定年月日 昭和36年11月24日  所在地 壱岐郡芦辺町国分本村触
  管理責任者 芦辺町
 壱岐島のほぼ中央、芦辺町の西辺にあり、壱岐循環線の北側にある。壱岐を代表する横穴式石室墳である。全体の調査を終えていないため、墳丘形状の細部や規模は明確でないが、壱岐島最大級の円墳であり、周隍(しゅうこう)をもつ可能性もある。玄室は約3m四方、天井高3.5mを計り、羨道を含めた総奥行は約16mを計る。出土品は不明であるが、構造上6世紀末から7世紀前半の構築であろう。

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        国分寺跡・六面十二菩薩と顎掛け石・へそ石  壱岐市芦辺町国分本村触

 郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面に進む。芦辺町亀石交差点から右折し、県道174号線により芦辺港へ向かうと、ほどなく「鬼の窟古墳」があり、すぐ先に「国分寺跡」と「六面十二菩薩と顎掛け石」「へそ石」がある。

 「へそ石」とあるとおり、この辺りが壱岐島の真ん中の地点。
 七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。

 国 分 寺 跡    場所 ● 芦辺町国分本村触  アクセス ● 芦辺港から車で10分

 国片主神社裏手。741年(天平13)に全国に国分寺創建の詔が発せられた。壱岐では新たに建立せず島司壱岐直の氏寺を「島分寺」とした。その後、釈迦堂を残すだけとなったが、1738年に中野郷の阿弥陀堂と合し、「国分寺」と改名。現在は数個の礎石が残る空き地になっている。発掘調査では平城宮と同じ瓦が出土して注目された。

 へそ石と顎掛け石  場所 ● 芦辺町国分本村触  アクセス ● 芦辺港から車で10分

 県道脇に木の柵で囲まれた大小2個の丸い石がある。『壱岐名勝図誌』には国分石とあり、壱岐の中心の道標にしていた。まさしくここは壱岐のど真ん中、“へそ石”の由来である。その隣に立つ石柱には、上部に六面十二菩薩の仏塔が乗っている。壱岐島の中心を定めた心の御柱であるとか、あるいはドルメン(巨石信仰)ともいわれる。柱の中ほど、ちょうど大人の顎が掛かるくらいの位置に、謎の切れ込みがある。足元を見ると子ども用であろうか、足踏台が置いてあって、思わず顎を乗せてみたくなる。でも、なぜ顎を乗せるのか不思議。

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               祥雲寺の山門(石造)   壱岐市郷ノ浦町牛方触

 郷ノ浦町の中心街から勝本方面へ国道382号線により同町北はずれの「柳田」交差点まで行き、左折して猿岩へ向かう県道59号線に入ると、まもなく右手に「祥雲寺」入口を示す石柱があるので、寺まで坂を下って行く。
 現地説明板は次のとおり。

                  市指定 有形文化財   祥雲寺の山門(石造)
 
   所在地 壱岐市郷ノ浦町牛方触904 祥雲寺  指定 昭和53年3月19日
 寺院の山門としては特異な意匠である。これがどのような考えによって設計されたのかは、伝えも資料等もなく不明であるが、明治42年(1907)に、祥雲寺5代、蓬莱広信和尚(昭和17年没)によって建てられている。当寺ではその翌年に江湖会(こうこえ 曹洞宗で四方の僧侶並びに檀信徒を集めて修行を行うこと)が催され、これを機に建立されたものといわれている。
 石工は布気(ふけ 現 勝本町百合畑触)の茶屋本初蔵(慶応元年生、大正4年没)で、初蔵44歳の年の制作である。用石は俗に布気石と呼ばれる玄武岩である。
 初蔵の作品はほかに柳田触の忠魂碑、住吉神社の石垣、水神社の石燈籠などがある。
 ところで当寺のような石燈籠の上に鯱を載く山門は島内にはなく、おそらく広信和尚の考案であったろうが、これを彫刻した初蔵は、自身の代表作をもって応え、独創性に富んだ山門を築いたのである。それは明治期における壱岐の石工の技術の高さを示す逸品を残すことともなった。
 初蔵は50歳で世を去った。惜しまれた死であったと伝えられている。
   山門の総高 4m75cm
                    平成19年5月     壱岐市教育委員会

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                     猿  岩  壱岐市郷ノ浦町新田触

 郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面へ向かう。柳田交差点から「猿岩」への県道59号線に入り、黒崎半島の先端部まで行くと「猿岩」の展望所駐車場に着く。
 山上にも展望台と案内板があり登ってみたが、歩き損。木立が高くなり、伐ってもらわないと展望がまったくきかない。
 半島の先へ回ると「壱岐出会いの村」。観音岩は最後の写真のではないだろうか。
 七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

 猿    岩  場所 ● 郷ノ浦町新田触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で20分

 黒崎半島の先端にある高さ45mの海蝕崖の玄武岩。そっぽを向いた猿にそっくりで、気紛れな自然の造形に驚かされる。壱岐島誕生の神話によると、「壱岐の国は生き島である。神様が海の中でこの島をお産みになったとき、流されてしまわないようにと八本の柱を立てて繋いだ。その柱は折れ残り、今も岩となって折柱といわれている」とある。その八本の柱のひとつが猿岩である。駐車場脇には郷ノ浦町のアンテナショップ「お猿のかご屋」がある。

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                     黒崎砲台跡  壱岐市郷ノ浦町新田触

 郷ノ浦港から国道382号線により勝本方面へ向かう。柳田交差点から「猿岩」への県道59号線に入る。猿岩展望所駐車場に着くすぐ手前に地下要塞「黒崎砲台跡」の入口があり、砲台の穴を上から覗くには猿岩展望所売店横から少し上がる。
 七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。

 黒崎砲台跡  場所 ● 郷ノ浦町新田触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で20分

 猿岩の展望所から1分。昭和3年8月から6年かけて完成。口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1t、最大射程距離約35km、同じ規模の砲台が韓国釜山と対馬にあったが、ここは一発も実弾を発射することがなかった。巨大な地下要塞であるが、猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができる。


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