みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (県 北)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

                 阿弥陀寺万日堂  北松浦郡小値賀町笛吹郷

 小値賀港ターミナルから笛吹大通りを行き、親和銀行小値賀支店の1つ手前の角から左方の道に入ると小値賀町歴史民俗資料館前に出る。ここから左手に阿弥陀寺が見えるので、車はまっすぐに、徒歩では坂道へ下って寺を目指す。

 堂内は本尊佛阿弥陀佛像が安置され(現在は阿弥陀寺に移設)、その周囲を小田家歴代当主の塑像坐像が安置されていた(現在歴史民族資料館展示)。
 毎月25日及び見学希望者あった場合、内部公開。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

                 阿弥陀寺万日堂  県指定有形文化財・建造物

  指定年月日 平成12年2月22日  所在地 北松浦郡小値賀町笛吹郷1512番地イ
  所有者 阿弥陀寺
 万日堂は、江戸時代初期から小値賀を根拠地として鯨組(捕鯨業)等を展開した小田家の、二代目当主・小田伝次兵衛重利(1671〜1724)が自家の私堂として正徳6年(1716)に建立した念仏堂である。記録等により建立年が明確なもので県内に現存する木造建築物としては、五島列島で最古の木造建築物である。幸いにも火災に免れて現代に伝えられ、昭和36年に小田家から阿弥陀寺に寄進された。
 方三間の念仏堂であり、堂内全体の空間構成はよく引き締まっていて秀逸である。床は畳を敷き、正面両脇は半蔀(はじとみ)を建て込み、その上半は室内側に吊り上げて開く。中央の須弥壇(しゅみだん)に安置されている阿弥陀仏座像は、正徳5年(1715)、泉州堺の仏師・村田與三兵衛の作であることが墨書によって判明している。
 当初の部材の残存率が高く、内外観とも意匠的・空間的に優れており、建築史上の価値が高い。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

                小値賀町歴史民俗資料館  北松浦郡小値賀町笛吹郷

 小値賀港ターミナルから笛吹大通りに行き、親和銀行小値賀支店の1つ手前の角から左方へ入ると小値賀町歴史民俗資料館に出る。
 築山の奥にエノキが大木があった。火山弾(大島の項で後掲)が通りの石垣上に並べられている。大きなものが道路工事で撤去され、裏庭にまとめられてあった。
 HP「観光よかとこ」による説明は次のとおり。

                       小値賀町歴史民俗資料館

 江戸時代、西海捕鯨に活躍した旧小田家の母屋、土蔵、を修復し、鉄筋二階建新館、江戸時代に造園された石州流庭園、屋外展示場等を有し平成2年に開館した。五島列島唯一の歴史民俗資料館で、考古資料を中心に歴史、民俗、地質など約30万点を収蔵している。
 特に小値賀島は古事記や肥前風土記に記載された『値嘉島』の中心地と目され、数々の豊富な考古資料や捕鯨関係等の近世古文書等が注目されている。
 新館一階では、年1回展示内容の総入れ替えをおこなっている。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

                 長泉寺の鯨供養石造五重塔  平戸市前津吉町

 津吉は平戸島の南部。平戸市街から国道383号線により宮の浦方面へ下る。前津吉町は相浦・佐世保航路がある所で、国道の津吉交差点から左折して「前津吉港」の方へ入る。
 「長泉寺」入口は、前津吉の町へ出る前、右方に案内標識があり、この道に入って進むと本堂横の駐車場へ着く。
 鯨供養石造五重塔の前に立つイチョウも大木だった。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

               長泉寺の鯨供養石造五重塔  県指定有形民俗文化財

  指定年月日 昭和59年9月18日  所在地 平戸市前津吉町1274長泉寺境内
  所有者 長泉寺
 この五重石塔は、砂岩の基礎(2石)、塔身の軸部(第1層2石、計6石)と笠(5石)、相輪部(1石)の14石からなり、総高460cm。基壇は切石の三段積み、合計高さ539cm。
 第1層軸部に龕を抉り、多宝如来(合掌印)と釈迦如来(禅定印)の高さ20cmの座像(砂岩)を安置し、法華経見宝塔品の諸仏の名を刻む。側面の銘文に元文4年(1739)、鯨供養のため財を募り、長泉寺第8代海純大和尚が建てたと刻んである。
 平戸島前津吉の浜は、元禄5年(1692)、小値賀島の小田組が捕鯨の基地を定めてから、安政の開港ごろ(1859)、捕鯨の休止まで167年間、鯨組で繁昌していた。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

            根獅子(ねしこ)の浜海水浴場と周辺  平戸市根獅子町ほか

 平戸市街から国道383号線などにより紐差町へ行く。紐差交差点を過ぎ、しばらくまだ国道を宮の浦方面へ進むと、途中に「根獅子入口」分岐とバス停があり、右へ道へ入り、山手を越して下ると根獅子町へ着く。同町には「切支丹資料館」がある。

 これから大石脇町・獅子町へと海岸沿いを北上すると、根獅子の浜のほか無名(?)の浜・人津久の浜と3つの美しい砂浜と海水浴場がある。白砂のきれいな浜も殉教の歴史がある。
 途中の小さな浜で、製塩している小屋を見た。
 平戸市発行「平戸まるわかり本 とっとこ平戸」25頁による説明は次のとおり。

                       根獅子の浜海水浴場

 日本の海水浴場88選にも選ばれた美しい海水浴場。白い砂浜は約1kmにも及び、遠方から多くの人々が訪れています。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

                    式内社志々伎神社跡  平戸市野子町

 平戸市街から国道383号線により平戸島の南端、野子町の国道終点「宮の浦」へ向かう。宮の浦まで車は約1時間。
 宮の浦漁港へ出、左方へ行くと角に橋があり小さな川が流れ、川脇にフェンスによって囲まれた一角があり、「式内社志々伎神社跡」碑が新旧石燈籠とともにある。

 現在の志自伎神社地の宮と沖の宮は、この地を挟みすぐ近くの山手と湾内の小島にある。
 志々伎山は途中の野子から写す。標高347m。古期安山岩でできた山。山頂が鋭く尖る。五島列島が一望できる。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

                    式内社志々伎神社跡  県指定史跡

  指定年月日 昭和49年7月2日  所在地 平戸市野子町3172ほか
  所有者 志自伎神社
 式内社志々伎神社は、志々伎山を中心にして上宮、中宮、地の宮、沖の宮の4社と別当寺(円満寺=現在の中宮社)の5つの社殿があり、祭神は仲哀天皇の皇弟十城別王(とわきわけのみこと)である。
 志々伎神社は古代朝鮮との交易、中世における松浦氏との関係において崇敬された神社で、肥前国における式内三社の一つであり、壱岐、対馬の式内社に比べ規模が大きく、式内社としての形を現在までよく伝えている点など歴史的価値が高い。


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事