みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎学さるく行事ほか

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

         長崎学さるく”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”  平成22年3月

 平成22年3月14日(日)晴。長崎市南部八郎岳山系寺岳の裏側、橘湾に面する藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり。途中にある石鍋製作所跡、領界目印石、金鉱跡、大ツバキ、石橋架橋碑を見学する。参加30人。
 為石バス停9時30分発ー白川稲荷神社ー石鍋製作所跡ー藤田尾古道ー飛瀬領界目印石ー金山金鉱跡ー藤田尾ー大ツバキー千々古道ー千々14時5分着。

 三和中学校横の坂を上がり寺岳登山道の途中にある白川稲荷神社へ登る。石鍋製作所跡はこの裏手にある。為石海岸の浜川橋近くまで行って藤田尾古道に入る。昔の道が2kmほど残っている。寺岳を左上に見ながら藤田尾近くで県道34号線と合い、県道を少し戻って飛瀬海岸に降りる。寺岳から下ったこの尾根が御領(茂木村藤田尾)と佐賀藩領(為石村)の境。天保8年(1837)領界争いを解決した目印石(無刻)が2本残っている。

 飛瀬よりそのまま海岸の岩場伝いに20分ほど歩いて、字金山の金鉱跡まで行く。海岸の黄色がかった層の岩場の中段に、ポッカリと穴が空いている。坑口は2か所。中で通じ、広場となって5mほど奥へ入れる。金脈に賭けたはかない夢。採鉱は思わしくなかった。
 藤田尾へ上がり、長崎市指定天然記念物の大ツバキを見学。樹齢約300年、根回り約2.8m。市内一の大木である。海岸が見える所にもう1本の大木がある。花はまだ付いていた。下の海岸近くの川口にあるのは、かつての石橋架橋記念碑。ゲートボール場で昼食

 午後はゲートボール場前から千々古道へ入る。登って行くと、旧県道の道へ出る。桃ハウスがあり、天草灘を望む枇杷畑が多い中の道から、眼下にニッ岳崎が見える。竹林内のカーブが連続する道を下ると、千々先のきれいな浜と岩場に着く。大潮でワカメ採りが多かった。集落まで歩いて、千々14時45分発のバスに十分間に合った。
 宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23968331.html
 次回の学さるくは、4月11日(日)に”三重樫山などの藩境石とゆうこうの古木めぐり”。10時三重バス停集合。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

     長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(2) 平成22年3月

 平成22年3月6日(土)曇り。居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり。参加16人。
 湊公園9時30分発ー広場場ー館内ー東山手ー大浦天主堂ー南山手レストハウス(昼食)ーグラバー園ー東琴平ー浪の平ー南山手地区町並み保存センター15時着(徒歩距離約8km)

 安政6年(1859)の長崎開港により長崎市内に外国人居留地が造られ明治32年まで存続した。大浦・東山手・南山手・浪の平などに残る居留地時代の主な保存洋館群と、居留地境や地番標の標石約80本を訪ねた。講師はさるくガイド西岡悟氏ほか。
 各標石の写真と所在地図は、本ブログの「長崎の外国人居留地跡標石」の項を参照。

 今回、新たに浪の平のドンドン坂の途中で、南山手「十七番」の地番標が見つかった。アパート入口の三角溝に渡した板石の下に隠れていた。
 次回は3月14日(日)に”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”午前9時30分為石バス停集合。
 宮さんの参加記事は、  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23858267.html

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

     長崎学さるく”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”(1) 平成22年3月

 平成22年3月6日(土)曇り。居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり。参加16人。
 湊公園9時30分発ー広場場ー館内ー東山手ー大浦天主堂ー南山手レストハウス(昼食)ーグラバー園ー東琴平ー浪の平ー南山手地区町並み保存センター15時着(徒歩距離約8km)

 安政6年(1859)の長崎開港により長崎市内に外国人居留地が造られ明治32年まで存続した。大浦・東山手・南山手・浪の平などに残る居留地時代の主な保存洋館群と、居留地境や地番標の標石約80本を訪ねた。講師はさるくガイド西岡悟氏ほか。
 各標石の写真と所在地図は、本ブログの「長崎の外国人居留地跡標石」の項を参照。

 今回、新たに浪の平のドンドン坂の途中で、南山手「十七番」の地番標が見つかった。アパート入口の三角溝に渡した板石の下に隠れていた。
 次回は3月14日(日)に”藤田尾・千々古道と自然史跡めぐり”午前9時30分為石バス停集合。
 宮さんの参加記事は、  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23858267.html

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

         長崎学さるく”新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)”   平成22年1月

 平成22年1月2日(土)曇り一時小雨。正月恒例の脇岬観音寺まで岬木場経由「みさき道」の初歩き。長崎学さるく行事幕末編で実施。参加スタッフとも27人。
 長崎市三和行政センター前9時半発ー蚊焼峠ー徳道ー野母崎ゴルフ場管理事務所(昼食)ー岬木場ー殿隠山ー遠見山ー堂山峠ー脇岬観音寺16時着(徒歩距離約16km)。

 元日と違って暖かく天気は良くなった。当日参加が多く27人の多彩な顔ぶれ。初めての人もおり、蚊焼入口から西大道へ戻り道塚2本を見てから出発した。
 蚊焼峠から徳道までの山道は坦々とした稜線歩き。今の季節は歩きやすい。水仙畑は咲きかけ、ゆうこうが実っていた。野母崎ゴルフ場管理事務所の構内で昼食。

 サイクリング道路を1時間歩いて、岬木場に出る。生目八幡神社前から殿隠山の登リ口までは川原回りみさき道となる。風車近くを通り殿隠山登り口で脇岬へそのまま下るみさき道と分かれ、殿隠山・遠見山へ登って堂山峠へ出た。
 脇岬観音寺は、正月は4日まで開帳。本堂の観音像や天上絵を見られる。毎回のコースなので、写真を目新しくした。今回の主役は小さな観音様Kちゃん。小4なのに笑顔で元気に歩いた。

 お宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/22998149.html 
 のりさんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/11121116.html

 次回の学さるくは、3月6日(日)”居留地界隈の洋館群と標石(境・地番標)めぐり”
 午前9時30分に新地町「湊公園」集合。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

        長崎学さるく "橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり" (2)  平成21年11月

 平成21年11月29日(日)曇り。長崎学さるく幕末編行事 "橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり" 参加スタッフとも20人。講師は、諌早市郷土館の織田正人先生。
 東望道バス停9時半発ー東望陣屋跡ー東望山台場跡ー蛎道台場跡ー戸石地区公民館(昼食)ー飯盛経ヶ岳台場跡ー結の浜(一部解散)ー田結観音寺ー大門バス停15時着(徒歩約10km)

 江戸時代、佐賀藩諫早領は異国船来航に備え、橘湾沿岸の警備のため多くの台場を築いた。藩史料からわかっている各台場の配備状況と主な台場跡を訪ねる。
 織田先生作成資料は詳しい研究と図があるが、写真説明に必要な部分のみ簡単に載せる。

 写真  2〜 11   4 経ヶ岳(経読岳・きょんだけ)台場跡
  東望山台場と同じ目的で設置された。幕末の文久年間(1861〜1863)に経ヶ岳台場として設置、その後、慶応3年(1867)に南手に2台場・北手に2台場が設置された。馬蹄形の台座が見られる。

 ・それぞれの台座の寸法 (経ヶ岳台座の中心軸石の上に乗っている丸石は正体不明)
  東 望 山  直径(内径) 360cm  縁石 23.5cm
  経 ヶ 岳   直径(内径) 740cm  縁石 33cm 
  蛎   道   整理されて原型を留めない  縁石 23cm 

 写真 な し       5 田結(高岳)の遠見番所跡
  佐賀藩が長崎港の警備を担当した頃より、長崎港出入りの船が、長崎半島の突端椛島が遠望でき見渡せるため、この遠見番所と有喜遠見番所を設置した。

 写真 12〜 14   結の浜マリンパーク

 写真 15〜 16   補3 田結山観音寺
  曹洞宗。本尊は行基作 聖観世音菩薩(諌早市指定有形文化財)。

 宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html
 のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html

 次回の学さるくは、1月2日(土)に”新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)” 午前9時30分三和行政センター前広場集合。

(追 記 2015年8月22日)
 飯盛町池下「経ヶ岳台場・跡」の場所は、追加の地形図+地点あたり。2枚目写真が台場登り口を撮影していると思われる。サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。詳しい文献は、「諫早史談No.40」にあるようです。

      経ヶ岳台場・跡 きょうがたけ
諫早市 飯盛町池下 台場(佐賀台場) 内径7.4m(円形台座:300度) 慶応3(1867) 諫早史談40 直径7.4mの円形台座が残る/中心軸受けに丸石(後から置かれた) 肥前・佐嘉藩が領内の東望・牧島・蠣道の3ヶ所に築いた砲台の1つ/円形台座の上に2個2組の「ころ」(現存せず)で支えた「応変台」を置き、中心軸受けに入れた軸(現存せず)の回りに大砲を回転させたとされる→県内では長崎市の「東望山砲台」の倍の大きさ 2 B  


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事