みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎市の石橋

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           アーチ石橋が新たに見つかる 長崎市三ツ山町に残る「小谷橋」

 きっかけは、長崎街道ネットワークの会会長、江越弘人先生の話。先日大瀬戸へ行ったとき、勤め先の大瀬戸歴史民俗資料館に寄った。大瀬戸の眼鏡橋以外の石橋を知らないか尋ねたところ、かえって長崎市内の石橋を教えられた。
 流合橋上の畦別当町側の本流4つの石橋は知られている。まだ下流の支沢、三ツ山町の方にも石橋があるという。付近を歩いて以前から知っておられた。
 この橋は、県内の石橋を詳しく調査しているHP「長崎県の石橋を訪ねて」に表われていない。場所を聞いたので、3月8日調べに行った。長崎大水害にもめげず、見事なアーチ石橋が残っていた。

 県道44号線を犬継教会(カトリック三ツ山教会)まで行く。長崎バイパスを挟んで、この対面の小沢に架かる。肉眼ではもうアーチが建設会社の青い倉庫の左脇に小さく見える。
 バス停先の高政建設から県道を分かれる。右へ下るとバイパス上の新平床橋に出る。そのまま行き、黒川宅角でコンクリート道を右へ下ると橋に着く。県道から200mほどの距離。
 
 橋は標柱が両脇にあり、「小谷橋」「昭和九年十二月 石工 河浪」。長さ5.2m、幅員3.18m。あまり損傷がない。下から覗くと真ん中の底石が1つだけ少しへこんでいた。中央要石か。
 この道は高台の畑地を越して六枚板へ通じる。すぐ先に教会墓地がある。このため架けられた橋であろう。ただ先はすぐ細い赤道だ。
 今までなぜ知られなかったのだろう。人や車がほとんど通らないせいか。私どもの思い違いがあるかも知れない。川平金山の坑口跡はこの上流にある。

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          あぐりの丘に移築されている畦別当の二号橋  長崎市四杖町

 前の項でふれたように、畦別当のアーチ石橋「二号橋」は、県道拡幅工事のため解体され、平成10年(1998)に長崎市四杖町”あぐりの丘”の西側池に移築、復元されている。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり

  第 106 番 アグリの丘2号橋  アグリの丘街のゾーン
  大正中期に架橋された畔別当から移築された橋。 長さ 約7.0m 幅員 約3.0m
  五島灘をバックに良い雰囲気です。長崎在住のyoukoさんがメールで教えてくれました。移築に関与された、布袋 厚氏から掲示板で教えていただいた。感謝!!

 石橋の検索をやっていて,たまたま貴サイトに行き当たりました.石橋一覧表を拝見したら,あぐりの丘の二号橋のことが調査中と書かれておりました。
 この橋は浦上川上流の畦別当橋のシリーズのひとつだったもので,県道拡幅工事に伴って,1996年に解体され,1998年にあぐりの丘内に復元されたものです。

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          三ツ山・畦別当に残るアーチ石橋  長崎市三ツ山町・畦別当町

 浦上川の最上流となる三ツ山・畦別当に残るアーチ石橋が、3橋ある。長崎バイパスに沿った県道45号東長崎長与線の流合橋から畦別当のバス停間。改良前の廃道に残る。
 同じ名の新橋が脇に架けられ、そこから前の石橋は川へ下りよく見ないと石橋とわからない。橋の番号は上流側から付けられているようだ。
 五号橋は昭和52年撤去されている。新橋は「昭和55年3月架」とあった。二号橋はあぐりの丘の西側池へ移築されている(次項へ)。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。四号橋は「畦別当四号橋」としているが、三ツ山町である。

 写真 1  第 54 番  畦別当4号橋  長崎市畦別当町
 大正中頃  長さ 7.2m 幅員 3.0m
 みつやま4号橋隣の旧道に架かる。コンクリートで拡幅して使用していたが、現状は廃道同然の状態。農作業中の地元の方から付近の石橋について親切に教えていただいた。なお、この下流の5号橋は昭和52年に撤去となった。

 写真 2  第 55 番  畦別当3号橋  長崎市畦別当町
 大正中頃  長さ 6.0m 幅員 2.8m
 3号橋向かいの旧道に架かる。コンクリートで拡幅して使用していたが、現状は廃道同然の状態。農作業中の地元の方から付近の石橋について親切に教えていただいた。橋の上は駐車場になっていた。

 写真 3  第 56 番  畦別当1号橋  長崎市畦別当町
 大正中頃  長さ 5.5m 幅員 2.9m
 畦別当橋向かいの旧道に架かる。コンクリートで拡幅して使用していたが、現状は廃道の状態。農作業中の地元の方から付近の石橋について親切に教えていただいた。橋の上は駐車場同様になっていた。蛍の里の看板が有る。

 写真 4  現在の五号橋の写真。石橋は昭和52年撤去。

 写真 5  あぐりの丘池へ移築された二号橋

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          長崎の住宅地などに残るアーチ石橋  長崎市伊良林2丁目ほか

 長崎市の中島川石橋群は有名であるので、これら以外の長崎の住宅地などに残るアーチ石橋。最近の橋の姿を写した。
 西山川・古賀・船石・平野・坂本はすでに紹介している。畦別当・出島・あぐりの丘は後日訪ねたい。HP「長崎県の石橋を訪ねて」リストによる順序。説明は次のとおり。

 写真 1  第 68 番 若宮神社参道橋   長崎市伊良林2丁目
  元治2(1865)年  長さ2.8m  幅員約2.4m
  竹の芸で有名な若宮稲荷神社の参道に架かる橋。
  小さいが端正な石橋だ。写真中央の左下に見える穴は、川の断面積を広げるためのバイパス。橋の保護のための手法の一つ。

 写真 2  第 85 番 森   橋      長崎市館内町18〜十人町11
  明治25年 長さ約2.5m  幅員 約2.0m
  森伊三次氏が寄贈した橋。地元出身の森伊三次氏が寄贈した橋は、同じ川の上流に、もう2橋ある。アーチ橋ではないのだが、これも石橋。榮(さかえ)橋とが森伊橋。

 写真 3  第 51 番 杉の上橋      長崎市手熊町
  大正5年  長さ4.6m  幅員1.8m
  手熊川の河口から50m程上流の支流との合流点に架かる。
  河口の手熊橋も石造アーチ橋で有ったが、昭和57年の水害後撤去してしまった。杉の上橋は気をつけていないと、ただの歩道に見えてしまう。

 写真 4  第 160 番 三原町2号橋    長崎市三原1丁目13番地(浦上川支流)
  年代は未確認  長さ6.0m  幅員2.7m
  浦上川の支流だが正式には下の川都市下水路という。
  西山線のバス停、登立口バス停から下る。付近の車は通るが、外部の人間には通行が難しい。10

 写真 5  第 161 番 山 口 橋       長崎市虹が丘町6番地(岩屋川)
  年代は未確認  長さ4.9m  幅員3.8m
  親柱が4本とも残っているが、橋の上部は嵩上げされていて判りにくい。
  道の尾から、長崎工業高校に向けて走って、並行する岩屋川に沿って旧道にはいる。橋の向こうは岩屋山公園の上り口。だから山(の)口橋かも。

 写真 6  第 153 番 本河内3号橋    長崎市本河内1丁目トンネル西口バス停そば
  年代は未確認  長さ3.52m  幅員2.52m
  長崎街道に架かる橋
  日見トンネル西口から、峠の入り口に架かるこの橋は、長崎街道の通過点。

(追 記  2010年11月17日)

 写真 7  第 209 番 下向の橋      長崎市向町
  長さ2.0m  幅員2.1m  径間1.6m
  向町といっても馴染みが少ないが式見漁港の住宅街の小道に架かる橋。径間僅か1.6m、長い石材が少ない地域とはいえ道路に架かる橋としては最小径間クラスの橋だ。
  次の記事を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/63244357.html

 写真 8           若宮神社参道の桁橋  長崎市伊良林2丁目
  長さ2.3m  幅員3.0m
  若宮神社の大鳥居がある参道石段の途中に架かる。アーチ式石橋の下流側。

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      長崎大学附属病院横に赤レンガのミニ石橋?があった  長崎市坂本1丁目

 最初は、長崎市平野町22街区にある赤レンガと切石の「階段橋」写真。長崎大学附属病院前から医学部正門の方へバス道路はカーブする。すぐ左に富士医科精器長崎支店ビルと看板があり、歩道から下方の小川を覗くと階段橋はある。
 階段部分は崩落しかけている。原爆落下中心地は間近か。よく耐え、灼熱地獄を見たであろうと思われる年代の不思議な橋。
 HP「長崎県の石橋を訪ねて」の説明は次のとおり。

  第 100 番 平野町の階段橋   長崎市平野町22番の旧道(裏道)
  年代は未確認   長さ 約3.0m 幅員 約1.2m
  赤レンガと切石の階段橋。長崎大学付属病院からの小川にかかる。
  もとはどんな役目の階段だったんだろうか? 行き場の無くなった橋は哀しい。

 源流は、坂本小学校上の穴弘法寺の山。下流と上流をたどった。下流はすぐ暗渠となって、九電工ビルからバス通りの下をくぐっているようだ。バス道路を渡って上流の旧道を行く。「清水橋」「大正十三年八月竣工」と銘があるコンクリート橋があった。
 川の先はすぐ右から枝川がある。合流点にコンクリートの堰堤が築かれ、2本の小川の流れを集めている。

 大学病院が現在地の坂本にあるのは、第五高等中学校医学部時代の明治24年(1891)から。堰堤は水を溜めてない。大雨時に右道路下暗渠?へ川の流れを変えるよう鉄柵の落し口がある。この上方の枝川流れ込み出口が赤レンガのアーチ式ミニ石橋?となっている。
 上は大学正門左横から坂本小学校へ上がるれっきとした広い市道。底に降りて調べた。

 アーチ部分は、長さ6.3m、幅員1.1m。奥は現在、大学の駐車場と正門道となり、暗渠か真っ暗である。赤レンガはただ張っているようであり、厳密なアーチ式石造橋とは言えないかも知れない。下水路のような橋であるが、HPを作成している方のリストには表われてないので、見てもらいたい。
 橋の場所は、長崎市坂本1丁目8街区。大学病院前交差点から30mほど市道を入った木谷内科ビルのすぐ先角である。

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