みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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長崎の風景・史跡 (市北西)

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           本ブログ「琴海の史跡など」が、村松小学校PTA広報紙に載る

 長崎市立村松小学校PTA「広報 むらまつ 第388号」が、2学期終業式に発行、配布された。表紙面の”まだまだあるばい 琴海自慢”は、本ブログの次の記事から写真とも取り上げてもらっている。写真は琴海村松町城尾橋手前の「村松村古城跡」。
 長崎さるくコースマップに「32 琴海界隈」があるが、琴海村松町方面の史跡案内はない。その点から本ブログが目にとまり、紹介されたと思う。光栄なことである。

  琴海の主な史跡など (1) http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/65086532.html
  琴海の主な史跡など (2) http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/65089033.html
  琴海の主な史跡など (3) http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/65093730.html

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            浦上川通りと長崎県立長崎西高等学校  長崎市竹の久保町

 きのう江山楼で昼食後、浦上川通りから長崎県立長崎西高等学校へと歩いた。浦上川に架かる橋は、梁川橋、浦上歩道橋(JR浦上駅に通じる歩行者専用道路。1986年(昭和61年)12月19日に開通)、竹岩橋。
 浦上歩道橋の上から、長崎ブリックホール、日赤長崎原爆病院、活水高校・中学校、長崎市立渕中学校、稲佐山などが見える。

 長崎県立長崎西高等学校は、1948年(昭和23年)11月1日の創立。旧制長崎県立瓊浦中学校跡へ移転。爆心地から約800m南西の長崎県立瓊浦中学校校舎は、原爆投下により壊滅。多数の死亡者を出した。

 長崎県立長崎西高等学校HPによる学校沿革は、次のとおり。近況を知らせる。有名なのは正門前の「遅刻坂」。被爆クスの木がこんなに大きくなっている。門を入ると「自律の像」「自律の鐘」「自律の碑」が設置されている。西川食堂や春木まんじゅうももうない。
 私は落ちこぼれ。同窓会にまったく失礼をしている。

   沿 革
昭和23年11月 旧制中学校が統廃合、県立長崎西高等学校として、シーボルトで名高い長崎市内の鳴滝の地に開校。
昭和25年 8月 現在の所在地、長崎市竹の久保町に移転。
昭和26年12月 校歌「眉秀でたる若人よ」を制定。
昭和53年11月 創立30周年記念式典を挙行。「自律の像」が建立され「柏の森」が造園される。
平成10年11月 創立50周年記念式典を挙行。「自律の鐘」と「自律の碑」が設置され「自律の像」とあわせて「自律三林」と命名。

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              長崎大学医学部のポンペ会館  長崎市坂本1丁目

 長崎大学医学部を12月14日に再訪。医学部構内の記事(4)に、「ポンペ会館」の2Fホール展示物を追加。被爆50周年(平成7年 1995年)特別企画の医学部年表や関係写真のパネルがあった。

 ポンペ会館を写生中は、先輩の水彩画家松林重宗氏。1作目”名残りの紅葉(長崎大学医学部構内)”はできあがっていた。
 最後は、2作目の完成作”ポンペ会館”。12月29日追加した。

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        長崎大学医学部の原爆医学資料展示室と被爆遺構  長崎市坂本1丁目

 先日の記事「開院150周年長崎大学病院」に続き、12月12日長崎大学医学部構内を訪れてみた。医学部構内の記事(3)は、「原爆医学資料展示室」及び「長崎医科大学の門柱」や「配電室」の被爆遺構。
 キャンパスマップによる説明は、次のとおり。

     1 原爆医学資料展示室
 原爆医学資料展示室では、長崎医科大学が原爆により壊滅状態になった際の貴重な資料である血染めの白衣、原子爆弾救護報告、原爆被災復興日誌や原爆の医学的影響のパネルを展示しています。小中高生、一般市民、研究者に公開され、平和教育に活用されています。
 ◎見学時間 9;00〜16:00(平日)

     8 長崎医科大学の門柱
 医学部の図書館裏には、かつて長崎医科大学の正門だった二本の門柱があり、その一つ(左側)が傾いたままになっています。これは原爆の爆風によるものです。大きな石材でつくられた門柱のその姿は、原爆の凄まじさを物語っています。

     9 被爆した配電室
 医学部正門そばの良順会館裏手にある旧配電室は、爆心地から東約600メートルという近距離にありましたが、当時としては珍しい堅固なコンクリート造りだったため、被爆による難を逃れました。

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      長崎大学医学部の150周年ミュージアム(良順会館内)  長崎市坂本1丁目

 先日の記事「開院150周年長崎大学病院」に続き、12月12日長崎大学医学部構内を訪れてみた。医学部構内の記事(2)は、正門を入り右側にある「良順会館」内の150周年ミュージアム(史料展示室)。

 長崎大学医学部は日本最古の医学部として、2007年11月12日に創立150周年を迎えた。「良順会館」は記念事業として建設された。キャンパスマップによる説明は、次のとおり。

     10 150周年ミュージアム
 良順会館内の史料展示室は、16世紀からの南蛮医学と紅毛医学の伝来から近代西洋医学の発祥に至る歴史と、長崎大学医学部150周年の歩みを紹介する目的で設けられました。日本における西洋医学の伝承と発展の歴史を見ることができます。
 ◎見学時間 9:00〜17:00(平日)


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