みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (三和野母崎)

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            三和の散策 (7) 川原の風景・史跡  長崎市川原町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(7)は、川原の風景・史跡。
 年崎へ架橋中の工事現場、年崎海岸の礫質片岩、川原本村の蛇紋岩の円礫浜、恵美須山砲台台場跡、宮崎川(モウタレ川)渡りの祠と石橋跡、秋葉山の秋葉神社、同神社からの遠望
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。

 写真  2〜    年崎海岸の礫質片岩
 「礫質片岩」は礫岩を原石とした結晶片岩で、全国的にも珍しいといわれています。特に、年崎海岸の礫質片岩は原石の礫も明瞭に観察できる露頭したもので、地質学的にも学術的にも貴重なものです。

 写真  5〜    蛇紋岩の円礫浜
 蛇紋岩はかんらん岩が水を含んで変質してできた岩石です。脂肪光沢を持った濃緑色の岩石で、栄上を中心に三和地区一帯に広く分布します。この蛇紋岩の礫だけでなる円礫浜は日本でも珍しい貴重なもの。川原本村海浜と川原海水浴場一帯に広がっています。

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            三和の散策 (6) 川原の風景・史跡  長崎市川原町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(6)は、川原の風景・史跡。川原住吉神社のクスノキと狛犬、城山の古城址、大聖寺跡の墓碑群、薬師寺、八幡神社、法音寺
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 長崎さるくマップブック「三和界隈」82〜83頁による説明は次のとおり。

 写真  1〜   住吉川原神社のクスノキ(市指定天然記念物)と狛犬
 川原地区の守り神として千年以上の歴史を持つといわれている住吉神社の境内には、樹齢約500年といわれる大クスノキがあり目を惹きます(目通り幹囲5.75m、樹高26m)。
 また、社殿前には趣がある一風変わった石彫一対の狛犬が社殿を護っています。

 写真  6〜   城山の古城址
 三和地区唯一の在地豪族・河原氏古城址といわれている場所で、約千年前、始祖河原大蔵太夫高満が家臣を伴ってこの地に入部したと伝えられています。城構えとしては古川堀を境に大聖寺跡及びマッテン様一帯と考えられ、半開きの井戸が残っています。

 写真 10〜   大聖寺跡の墓碑群
 在地豪族河原氏の古城址「城山」の斜面一列に並んでいる五輪塔約28基、宝篋印塔約20基の古墳群です。最も新しい五輪塔には、享禄4年(1531)の年記銘があり、最も古いのは15世紀の中頃の物と推測されています。五輪塔は宇宙の五大要素(空・風・火・水・地)を象徴した石造物です。

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            三和の散策 (5) 藤田尾の風景・史跡  長崎市藤田尾町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(5)は、藤田尾の風景・史跡。藤田尾は寺岳の裏側。為石から県道34号線で行く。
 茂木村であった藤田尾名は、昔から為石村と日常生活のあらゆる面で関わりが深く、昭和22年茂木町と住民の懇願によって為石村に編入された。
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 藤田尾古道の国道出口付近、飛瀬海岸の三ツ瀬、飛瀬海岸道に残る公領・佐賀藩の天保8年(1837)領界目印石(2本ある)、藤田尾金山海岸の金鉱坑道跡、藤田尾コミュニティーバス終点、藤田尾海岸の釣岩場を望む、氏神の1人三浦水源を祭る八幡さまの屋敷跡、藤田尾のヤブツバキ(長崎市指定天然記念物)、橋名に残る夫婦石、部落の氏神三氏を祭る森山神社、藤田尾川河口の大正7年石橋架橋記念碑、大水害ですぐ流された石橋の築石跡、堤の内の大石垣(猪垣)跡、干藤尋常小学校跡と藤田尾トンネル、津々谷の滝、水量があるときの同滝の姿

 「藤田尾のヤブツバキ」「津々谷の滝」の現地説明板は次のとおり。ほかは荒木新氏稿「藤田尾余聞」ほか各記事を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/30121231.html

 写真 11〜   市指定天然記念物  藤田尾のヤブツバキ
  指定年月日 平成17年8月22日(旧町指定年月日 平成元年3月16日)
  所在地 長崎市藤田尾町472番地
 樹齢約300年(推定)、樹高約11m、根回り約2.8mを測る。根元より幹は2つに分かれ、地上約2mのところから大枝を出している。樹勢は極めて旺盛である。この地域はヤブツバキの古木が多く、その中でもこの木は最大のものである。  長崎市教育委員会(平成20年2月設置)

 写真 20〜   津々谷の滝(つづやのたき)
 津々谷の滝は、新四国霊場であり、昭和2年に薬師如来像が建立されたのを初め、昭和7年から昭和9年にかけて普賢菩薩像、弘法大師像、不動尊像が建立されている。また、最近では十三仏の石像が寄進され、霊場としての崇敬地となっているほか、八郎岳の鹿が水を飲みに姿を見せることもある。 ●4月21日…弘法大師の命日  ●9月28日…不動明王の命日

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       三和の散策 (4) 為石と椿が丘の風景・史跡  長崎市為石町・椿が丘町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(4)は、為石の続きと椿が丘団地の風景・史跡。
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 為石神社、言代主神社、為石海岸、国道沿いのアコウと枯れたエノキ、国道からの見た為石海岸、寺岳山腹の白川稲荷神社とアコウ、石鍋遺跡の岩、三和公民館の石鍋展示品、寺岳登山道途中の石祠と同前からの展望、椿が丘団地の住宅、椿が丘保育所

 岩永弘氏著「歴史散歩 長崎北西の史跡」2006春刊の111〜113頁による説明は次のとおり。

 写真  1〜     為石神社
 為石地区公民館は海岸線道路の所にあります。その先方岩崖の頂上に言代主神社が見えますが、為石神社は少し手前から入った所にあります。祭神は奥津比古命と奥津比売命。…二神はカマドの神様として又、海の神航海安全の神様として崇拝されています。初めは大王社といわれたそうです。昔10回も火災にあい、由緒物件はすべて焼滅してしまいました。

 写真  2〜     言代主神社
 言代主神社は、岩崖の上にあります。一般の字は事代主ですが、此処では「言」の字になっています。岩には侵食泡があり、昔ここまで海が迫っていたのでしょう。神社の勧進年代は不明。祠に恵比須様が祭られています。戦前まで奉納相撲が行われていたそうです。

 写真  7〜     白川稲荷神社
 三和中学校右の坂道を上がった墓地から寺岳の登山道を行くと、白川稲荷神社の赤鳥居があります。稲荷神社は鳥居から急峻な坂段が150段ほど続いています。頂上広場には20坪?の赤いお堂があります。文政9年(1826)京都より分霊勧進し村内安全繁栄を祈りました。

 写真 10〜     石鍋遺跡の岩
 白川稲荷神社の裏から右の道へ下ると、すぐ左方10m先の先の竹林に大岩地帯が見えます。ここが石鍋遺跡で、近郊の人しか通らない秘境の地といえるでしょう。大岩地帯はざっと見て高さ15m、長さ30mほどでしょうか。滑石を多く含む蛇紋岩の岩壁に、円形の蓋のようなものが掘られて残っています。
 平安末期から鎌倉期(11世紀〜14世紀)にかけて煮炊き用具に使用されたといわれます。

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             三和の散策 (3) 為石の風景・史跡  長崎市為石町

 長崎市の三和地区は、市街から南西に突き出した長崎半島の中央部に位置する。三和の散策(3)は、為石の風景・史跡。為石町は次項も続く。
 昭和30年2月、蚊焼・為石・川原三村合併で「三和町」が誕生。平成17年1月4日、長崎市に編入された。

 高島浄水場の貯水池、どんどん坂があった渕の岩場、長崎市立三和中学校と大川の鯉流し、為石橋とさんとぴあ21、大川河口と大川橋、サンプラザさんわ、女島遭難供養碑等、西教寺、同寺裏のアコウ、長崎市立為石小学校、宝性寺、浜川の地蔵

 長崎さるくマップブック「三和界隈」82頁による説明は次のとおり。

 写真 11〜   8 女島遭難供養碑等
 「女島遭難供養碑」「溺死万霊塔」「群霊塔」の供養塔3基があります。明治後期、女島付近に豊富な珊瑚礁が発見され、為石は珊瑚ブームに沸き多くの珊瑚船が出漁しました。しかし明治39年(1906)の台風襲来で71隻が転覆。197名が溺死する大惨事となりました。慰霊碑には朝夕、参拝者の香煙が絶えません。

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