みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎のラビリンスな風景

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

               獅子と白象? 福済寺の鐘楼門  長崎市筑後町

 福済寺はJR長崎駅近くの高台、筑後町にある黄檗宗の寺院。寛永5年(1628)の建立。崇福寺、興福寺とともに「長崎三福寺」、さらに聖福寺も加えて「長崎四福寺」に数えられる唐寺である。本堂(大雄宝殿)などの建造物は、国宝に指定されていたが、原子爆弾投下で焼失した。

 昭和54年(1979)、万国霊廟長崎観音が、原爆被災者と戦没者の冥福を祈って大雄宝殿跡に建立された。
 山門の鐘楼も新しいデザインで再建されている。文殊般若の門の「如意棒をくわえた獅子の面」と、普賢法界の門の「経巻を鼻に戴く白象」。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

               弁 天 橋? 松ヶ枝橋の説明は  長崎市松が枝町

 最近、長崎さるく説明板が新しく多くの場所に設置されている。古写真を掲げ、結構なことであるが、ときどき首をかしげるものがある。古写真を所蔵する資料館などの解説がそもそもおかしいものと、さるく事務局が行う古写真の選定や設置場所がどうかと思われるものがある。古写真考において数ヵ所を指摘している。

 これはつい先日、大浦海岸の松ヶ枝橋で見かけた「弁天橋と大浦川」。松ヶ枝橋を渡った先にあった。大浦川の河口で、古写真の撮影場所は松ヶ枝橋からであり、当時、大浦川両岸が居留地や船の係留場として賑わった状況を説明するため、最近、ここに設置されたのだろう。
 しかし、弁天橋は長崎市営松が枝町第2駐車場の暗渠下で確認できない。弁天橋には橋脇に「弁天橋と洋式ホテル」と別の説明板があった。

 松ヶ枝橋に設置しているのに、居留地時代の貴重な「松ヶ枝橋」の説明は何もない。橋の説明板の場所から電車通り、川の対岸の駐車場階段下を見てもらいたい。
 明治3年(1870)に木造の「松ヶ枝橋」が完成。松ヶ枝橋は当初、「下り松橋」と呼ばれていて、明治中期に鉄橋に架け替えられ、後に鉄筋コンクリート橋となった。
 鉄橋の松ヶ枝橋の姿は、次の「目録番号: 328 大浦海岸通り(1)」を参照。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/47961781.html
 鉄橋時代の橋脚が、現在の橋の東側に一部残っている(山口広助氏の丸山歴史散歩)。

 ここは松ヶ枝橋の古写真とも、2枚を載せた説明板とした方が良いではないか。
 最後は資料が古いが、平成18年2月第2版「長崎さるくマップブック」裏表紙。彩色絵葉書のタイトルは「長崎大浦松江橋通り」。これは「弁天橋通り」ではないか。そのまま、公式資料に利用しないようにお願いしたい。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

            釣鐘とプロペラ? つりがね堂薬局の目印  長崎市新地町

 元気がひびく街の健康ステーション。(有)つりがね堂薬局です。長崎新地中華街南門湊公園前に大きな釣鐘と飛行機のプロペラの看板が目印の薬局です。
 2000品目を越す医療用医薬品、一般用医薬品、漢方薬、健康食品などを取りそろえています。日中医薬研究会会員でもあり漢方相談や健康相談を行っています。どうぞお気軽にお立ち寄りください。(同店HP)

 明治43年創業。釣鐘もだが、下のは九一式戦闘機一型のプロペラ。昭和10年製で本物の珍しいものらしい。詳しくは次にある。 http://ksa.axisz.jp/a8305Nagasaki.htm
 鐘の字は「釣鐘堂総本家」「質量優越 効能顕著 天下の良薬 虫くだし」「ききめで 鳴り響く つりがね印 虫くだし」「つりがね堂薬局」か。
 ラビリンスな広告風景。他の人が多く紹介しているが、本ブログも載せないわけにはいかない。

 最後は、すぐ前の湊公園内にある造形石。顔に似ているところが多くある。

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

              美女と薔薇? ベルハウスのレリーフ  長崎市東山手町

 東山手居留地界隈。活水大学の裏坂を下って行き、大カーブのところは、そのまま左へ石橋に向けて昭和会病院後ろの通りへ入る。「みさき道」のコースだ。病院の建物の次に、グループホーム「ベルハウス東山手」がある。
 通りに沿った2階建赤屋根の細長い建物。玄関を過ぎた白い外壁の真ん中あたりに、「ベルハウス」と書いた美女2人の顔と薔薇の素晴しいレリーフが取り付けてあった。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

               5つのドンク岩?  長崎市北浦町・神の島町ほか

 岩永弘氏著「歴史散歩 長崎東南の史跡」2006春刊の76頁による説明は次のとおり。
   北浦のドンク岩
 天草行きフェリー乗り場先の防波堤から北浦の海辺を眺めると、丁度カエルが腹這いしたような大岩が見えます。さらに其の右側の崖は海食で断崖の洞穴となり奇観を呈しています。近くの人の話によると子供時代、此のドンク岩を化けもん岩と言っていたそうです。

 岩永弘氏著「歴史散歩 長崎北西の史跡」2006春刊の78頁による説明は次のとおり。
   神の島のドンク岩
 神の島海岸の岩礁から眺めると殿様蛙が座っているようです。侵食も僅か進んでいるようです。聖母像は昭和24年(1949)聖フランシスコザベリオ渡米400年を記念して信者の拠出金と労働奉仕により立てられました。此の時はコンクリート製で1.7mの高さでしたが潮風の影響で亀裂が生じ、侵食が進んだので昭和59年(1984)6月再度合成樹脂製の高さ4.6mの聖母の白像が再建されました。

 なお、聖母の白像が立つこのドンク岩から沖へ張り出した岩礁の上にも、猿か亀かこれもドンクか、大岩が乗ってあった。ドンク岩の上の聖母像は、太陽に光り写っていなかったので、以前の写真から持ってきた。

 岩永弘氏著「歴史散歩 長崎北西の史跡」2006春刊の5頁による説明は次のとおり。
   金比羅山のドンク岩
 金刀比羅神社の広い境内を通り過ぎると開け、長崎人のハタ揚げで賑わう草むらの広場にでます。ここから直ぐ近くに烏帽子に似た奇岩が見え、ドンク岩と言っています。向こうに金比羅山頂や白い鳥居が見えます。山頂まで半時間の行程です。

 後ろの2枚は、稲佐山立岩下と、岩屋山登山道途中にあるドンク岩。宮さんから情報があり、写真を送ってもらった。場所はそのうち詳しく聞いておく。


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事