みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (市中央)

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                「レジェンド オブ ザ シーズ」の長崎寄港

 「レジェンド オブ ザ シーズ」(Legend of the Seas)が4月6日、長崎港松が枝国際観光埠頭に入港していた。16時頃、通りかかり出港まで写した。上海発の日本クルーズか、中国人客が多かった。出港は17時5分頃、鹿児島へ向かったよう。

 朝の入港の様子は、女神大橋からの宮さんブログにあり。船の紹介は次のとおり。
  http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/24285990.html

 Legend of the Seas(レジェンド・オブ・ザ・シーズ)     <wikipedia>より引用
  総トン数:69,130t 船客定員:2,706名 乗組員:720名
  全長:264.0m 全幅:3.02m 喫水:7.7m 航海速力:24.0ノット
  進水:1994年9月4日 竣工:1995年4月28日 初就航年月日:1995年5月1日 船籍:バハマ
 レジェンド・オブ・ザ・シーズ級の1番船。
  3タイプ6隻建造されたヴィジョン・シリーズと呼ばれる7万総トン級の第1船でもある。1995年4月28日、フランスのアトランティーク造船所で竣工。船価は3億2,500万ドル。
6月よりアラスカクルーズに就航した。2008年よりアジア地域に配船され、日本への来航は2009年4月21日福岡に寄港したのが初。2010年5月からは横浜発のクルーズも実施予定。また、同型の2番船が1996年に建造された。

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            クルーズ船:世界最大級「クイーン・メリー2」の長崎寄港

 毎日新聞2010年2月17日付記事は次のとおり。撮影は知人川原さんと妻。人出が多く近寄れない。入港から出港までのすばらしい写真は次を参照。長崎には来年3月も寄港予定。
 ほしなべさんブログ  http://blogs.yahoo.co.jp/hoshinabedon/31340689.html
 お宮さんブログ     http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/23633567.html

 世界最大級のクルーズ船「クイーン・メリー2」(英国船籍、乗客約2600人)が17日朝、長崎市に寄港した。昨年3月以来2回目の日本寄港で、長崎は初めて。

 米国キュナード・ライン社が運航し、1月4日に米ニューヨークを出て102日間の世界一周中。上海から到着した。総トン数約15万トン、全長345メートル。水面からの高さは20階建てビルに相当する約62メートルで、長崎港入口に架かる女神大橋(けた下高65メートル)下をすれすれでくぐり、出迎えた市民らはその巨大さに圧倒されていた。

 ランタンフェスティバルを開催中の市街地を観光し、午後6時に横浜港に向けて出港した。

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                 金比羅山の高射砲陣地跡  長崎市立山5丁目

 立山から金比羅神社へ参道の石段を登る。ニノ鳥居上段から左へ5分ほどなだらかな道を登ると、かつて金比羅山の高射砲陣地があった広場に出る。現在ここは「多目的広場」として整備されている。広場の奥に「原爆戦死者之慰霊碑」の碑が建つ。原爆直後の姿を、碑文は「その惨状阿修羅地獄といわんか」と刻んでいる。

 2001年12月13日長崎新聞掲載「忘れられぬあの日 私の被爆ノート」福江市奧浦町浦清人さん(77)の証言。爆心地から約2.4キロの金比羅山の高射砲陣地で被爆した。
                    <274>  目に焼き付く「火の海」
 高射砲部隊に入隊して一年、当時、二十一歳だった。原爆が投下された日は金比羅山にあった高射砲の陣地で、上等兵の指揮で訓練をしていた。高射砲は五門あり、一門ごとに十五人くらいが付いていた。私は一番砲手で、砲身わきの照準器の眼鏡で上空の敵機の目標を確かめながら高射砲の向きを合わせるのが役目だった。
 午前十一時すぎ、訓練中に照準器で上空を見ていたとき、B29爆撃機一機が雲間から見えてきた。その瞬間、ピカッと稲妻が走り、強烈な雷鳴が響き渡った。間もなく押し寄せた爆風がそばにいた私たち隊員らを跳ね飛ばした。…

 先日、金比羅山高射砲陣地跡の現在「多目的広場」になった所へ行ってみた。原子爆弾の惨状を思い起こせる、見通しが良い新しい展望台ができていた。長崎市街の浦上方面が広がり、原爆落下中心地がすぐ下である。
 多目的広場や南側の一段下の平地、また付近の江平側の山地にも、陣地跡の砲台?や防空壕の一部とか水場と思われる遺構がまだむき出して残っている。

 古書はこのあたりの山を、「瓊杵山とも呼ばれた金比羅山、烏帽子山、狭田山、若杉山、茶臼山、万寿山などが連なる」と記している。狭田山と思われるこのピークの高射砲陣地には、昭和
19年10月頃、260人くらいの要員がいたようだ(長崎の証言 第6集 語り手浜下氏記録)。
 参考のため長崎原爆資料館所蔵、小川虎彦氏撮影の当時の「金比羅高射砲陣地兵舎と兵士たち」「倒壊した兵舎と倒れた樹木」写真を載せる。

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              現代の天井絵 諏訪神社大門西回廊  長崎市上西山町

 長崎諏訪神社の長坂を上がり大門をくぐって左側の西回廊。平成7年11月に再建竣され、現代の天井絵75作品が展示されている。その中から主な作品を写してきた。
 鎮西大社諏訪神社HPによる「天井絵」の説明は次のとおり。

   ■ 天井絵
平成3年9月に長崎地方を襲った台風17・19号により大門横の回廊は倒壊しました。それ以来氏子崇敬者の浄財をもって、また伊勢神宮の古材を賜り平成7年11月に再建竣工致しました。この西回廊の天井には元長崎美術協会会長 故諸谷義武先生を始め、協会会員の諸先生、当神社縁りの作家の方々75名の作品を展示しております。

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                   ホテル矢太樓からの展望  長崎市風頭町

 2009年9月27日、おかげさまで矢太樓は創業55周年を迎えました。ご愛顧いただいているお客様のお引き立てに感謝して、特別なご宿泊プランをご用意してスタッフ一同お待ちしております。

 ホテル矢太樓から四周の展望。長崎市風頭町だが、厳密な意味の風頭公園内「風頭山」(標高152.0m)山頂でない。手前の別のピーク。市街中心部の展望が最も良いところで、夜景がまたすごい。フロントへお願いし、参考のため写真を撮らせてもらった。古写真の項も参照。


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