みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (市中央)

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                     崇 福 寺  長崎市鍛冶屋町

 長崎市鍛冶屋町、崇福寺通りのメイン「崇福寺」。入り口の赤門は、その華麗な形から「竜宮門」と呼ばれる。楼門にある扁額「聖寿山」は黄檗宗(禅宗)の祖・隠元の書によるもの。崇福寺は国宝や重要文化財がズラリ揃っている。拝観料 大人300円。
 長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
                       聖寿山 崇福寺(黄檗宗)

 寛永6年渡来した唐僧超然が寛永9年(1632)、官許を得て創建した。檀家に福州出身の人が多いことから「福州寺」ともいう。
 正保3年(1646)に上棟の「大雄宝殿」と元禄後期に改築の「第一峰門」は国宝に指定。 文化財は次のとおり。

崇福寺大雄宝殿(国宝)、崇福寺第一峰門(国宝)(海天門・唐門・二の門・中門・赤門)、崇福寺三門(国指定重要文化財)(楼門)、崇福寺鐘鼓楼(国指定重要文化財)、
崇福寺護法堂(国指定重要文化財)(天王殿・関帝堂・韋駄殿・観音堂)、崇福寺媽祖門(国指定重要文化財)
 崇福寺本堂の聯額(れんがく)(県指定有形文化財)、崇福寺の梵鐘(県指定有形文化財) 、崇福寺本堂の仏像群(県指定有形文化財)(釈迦三尊と十八羅漢)、崇福寺の媽祖堂(県指定史跡)
 崇福寺大釜(市指定有形文化財)、仏涅槃図(市指定有形文化財)、即非禅師書火化(ひけ)の偈(げ)(市指定有形文化財)、即非禅師書規条六則(きじょうろくそく)(市指定有形文化財)、即非禅師書落成(らくじょう)の偈(げ)(市指定有形文化財)、即非禅師書中天紅日麗(市指定有形文化財)、崇福寺蔵 仏舎利塔並びに舎利殿(市指定有形文化財)、崇福寺三塔(市指定史跡)、即老和尚闍維處(じゃいしょ)(市指定史跡)、仏師氾道生(はんどうせい)の墓(市指定史跡)、唐僧玉岡の墓(市指定史跡)

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                    清 水 寺  長崎市鍛冶屋町

 長崎市鍛冶屋町、清水寺の中門となる石門を訪ねた。本堂は現在、改築工事中。寺裏の墓地までも何とか行けた。
 清水寺のこの石門には、明和(江戸末期)の文字が刻まれているらしいが、確認できない。
 長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
              長崎山 清水寺(清水観音 清水寺)(真言宗霊雲寺派)

 元和9年(1623)創建。山城国の僧(京都清水寺の真言僧)慶順が仏像を抱いて来崎し、薬師石(瑞光石)が光った場所に寺を開いたと言い伝えられている。
 清水寺本堂(県指定有形文化財)、清水寺の梵鐘(市指定有形文化財)、絹本著色不動明王三童子像(国指定重要文化財)
 長い坂段、本堂前の石畳、石造りの欄干、清水寺内に使われているほとんどが 風頭の石を使用。京都清水寺の僧だった開基の慶順は、この寺を京都の清水寺以上の名所にしたいと考え、清水の舞台に模した石の舞台を造ったと言われている。
 瑞光石は本堂裏にあり、石の裏に千手観音の種子(頭文字)が梵字で刻まれている。

 参道途中に江戸末期、製茶貿易で名をはせた長崎の女傑「大浦お慶」が信仰していた「歓喜天」が祀ってある聖天堂がある。お慶は油屋町の油問屋・大浦太平次の娘。利益で国事に奔走していた坂本龍馬、高杉晋作、大隈重信などを援助したことで知られる。
 明治17年56歳で死去。お慶の墓石は清水寺本堂から100m程上った隣町の高平町にある。

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                 晧 台 寺 (2)墓地の主な墓  長崎市寺町

 長崎市寺町通りの晧台寺。(1)は、仁王門、山門、大仏殿の建築物が県文化財に指定されたニュース。(2)は、墓地の主な墓など訪ねる。
 長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
                        海雲山 晧台寺(曹洞宗)

 慶長13年、肥前国松浦郡山口村(現在の佐世保市相浦町)洪徳寺の第7代住持・亀翁良鶴が創建。はじめは洪泰寺と称し岩原郷にあったが寛永3年(1626)に寺町に移り晧台寺と改称。
 晧台寺の墓域は広範囲にまたがり、上は風頭公園内の敷地に日本の写真の開祖・上野彦馬の墓、へいふり坂沿いにはシーボルトと深く関わりのあった楠本お滝、イネの墓がある。市指定史跡として、唐通事林(りん)・官梅(かんばい)家墓地、高島家墓地、後藤家墓地もある。

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               晧 台 寺 (1)仁王門など県文化財に  長崎市寺町

 長崎市寺町通りの晧台寺。(1)は、仁王門、山門、大仏殿の建築物が県文化財に指定されたニュース。(2)は、墓地の主な墓など訪ねる。
 長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による寺の説明は次のとおり。
                       海雲山 晧台寺(曹洞宗)

 慶長13年、肥前国松浦郡山口村(現在の佐世保市相浦町)洪徳寺の第7代住持・亀翁良鶴が創建。はじめは洪泰寺と称し岩原郷にあったが寛永3年(1626)に寺町に移り晧台寺と改称。
 晧台寺の墓域は広範囲にまたがり、上は風頭公園内の敷地に日本の写真の開祖・上野彦馬の墓、へいふり坂沿いにはシーボルトと深く関わりのあった楠本お滝、イネの墓がある。市指定史跡として、唐通事林(りん)・官梅(かんばい)家墓地、高島家墓地、後藤家墓地もある。

 =2009/04/04付 西日本新聞朝刊=の記事は次のとおり。

   県文化財 轆轤成形技術を指定 長崎市の晧台寺仁王門も 波佐見町の陶芸職人 中村平三さん(75)
 県教委は3日、県文化財保護条例に基づく新たな有形文化財として長崎市寺町の晧台(こうたい)寺の仁王門などを、無形文化財として波佐見町の陶芸職人中村平三さん(75)の轆轤(ろくろ)成形技術をそれぞれ指定した。一方、県外移転のため1件の指定が解除され、県指定文化財は計365件になった。
  ■建築時の姿とどめる 晧台寺の3点
 晧台寺の建造物のうち、今回指定を受けたのは、仁王門、山門、大仏殿の3点。このうち仁王門は、1680年の建築と伝えられ、残存する県内の社寺の門としては最古という。寺院中枢部への入り口の「中門」に当たり、門の両脇には一対の仁王像が置かれている。
 寺院の「表門」に当たる山門は1837年、大仏殿は1768年の建築とされ、いずれも建築時の姿をとどめている点や、造形の価値の高さなどが評価された。

 晧台寺HPによる伽藍案内のうち、「山門(仁王門)」の紹介は次のとおり。

 桜上正面には中国福建省の鼓山に住していた為霖道霈の書いた「晧臺禅寺」という大きな横額が掲げてあります。階下の門柱には、「法門無遮擱鳳毛麟角来入室、禅開有機用鳶飛魚躍悉契宗」という対聯が掛かります。
 この門は、延宝8年(1680)長崎奉行牛込忠左衛門の寄進によって五世逆流禎順が創建したものです。 その後改修され、昭和60年(1985)には腐食の甚だしかった仁王像も新調しました。

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                     延命寺・長照寺  長崎市寺町

 長崎市寺町通り。延命寺へアーチ型の中門を訪ねた。風格ある石門は「明治三十三年庚子三月建之」(1900)と刻む。山門も長崎奉行所の門が移築されていることが有名。現在の山門は修復されたもので、扉だけが当時のままだという(「長崎県の石門を訪ねて」から)。
 同寺の前に料亭「一力」。長照寺との間の坂は、もう1つの「幣振坂」。背後の墓地に大クスが数本見える。長照寺も訪ねた。
 長崎webマガジン「ナガジン」の、発見!長崎の歩き方「寺町界隈ぶらり散歩道」による両寺の説明は次のとおり。
                   医王山遍照院 延命寺(真言宗御室派)

 元和2年(1616)長崎奉行 竹中采女正重次の援助で僧・阿門利(あじゃり)龍宣が開山。
 境内には、手に数珠を持ち静かな祈りを捧げる弘法大師が88体並ぶ「八十八大師」がある。それぞれに表情や大きさは微妙に違い、味わい深い。
 実話から今に伝わる「健康観音」は、昭和の初期、自分の病気回復を祈願して毎日寺に参拝する事を日課に決め、10年間続けた男性が10年毎に3つの観音像を寄進。健康になった話から名付けられた。
                       光栄山 長照寺(日蓮宗)

 元は寛永8年(1631)本蓮寺開山、日恵が創建。弟子の日與を開基とした。西川如見(じょけん)の墓(市指定史跡)。境内にある水徳浄行菩薩は、この菩薩様の頭から水をかけて清め、体の治してほしい所と同じ所をタワシでこすると病気が治るといれているとか。


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