みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (市中央)

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                 長崎グラバー園 (2)  長崎市南山手町

 JR長崎駅から路面電車またはバスで大浦方面へ行き、大浦天主堂下で下車。徒歩7分。大浦天主堂の横に「長崎グラバー園」ゲートがある。入園料は大人600円。
 南山手・東山手一帯は、日本でも最も古い洋館が多く残る国の重要伝統的建造物保存地区。中でもグラバー園は、眼下に長崎港が広がる絶景の地、南山手の丘に立地する。

 外国人居留地であったこの地にもともとあった旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅(いずれも国指定重要文化財)が保存されているほか、市内各所に点在していた6つの貴重な明治期の洋館を移築復元し、昭和49年(1974)に「グラバー園」として開園した。

 長崎グラバー園の入園パンフレットによる説明は次のとおり。
 (1)に旧リンガー住宅・旧オルト住宅、(2)に旧リンガー住宅の写真。
 長崎版画は旧スチイル記念学校に、くんち出し物は長崎伝統芸能館に展示。
 樹木は次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/45995849.html                  
                時は幕末、外国人たちの街だった、南山手の丘

 鎖国の時代、西洋への唯一の窓口となっていた長崎。
 開国後は、長崎、神奈川(横浜)、函館、兵庫(神戸)、新潟の5つの町が開港され、それぞれの町に「外国人居留地」が造られました。
 グラバー邸があるここ南山手も、眼の前に広がる長崎の港を望み、隣の東山手の丘とともに、外国の人々や文化を受け入れる居留地として栄えていたのです。
 21歳の頃、グラバーはこの辺りでももっとも見晴らしのいい場所を選び、屋敷を構えました。
 その後の大戦も、グラバーの邸宅やリンガー邸、オルト邸は奇跡的に戦禍をまぬがれました。
 現在は長崎市内から移築された6つの洋館とともに、当時の長崎の風景を今に留めています。

  K  旧グラバー住宅
 真上から見ると屋根が四葉のクローバーの形をしている旧グラバー住宅は、江戸時代末期に建てられた、日本最古の木造洋風建築で国の重要文化財に指定されています。中には愛用のステッキや釣り道具など、グラバーゆかりの品々が展示されているほか、天井裏には隠れ部屋も残されています。

  F  旧リンガー住宅
 英商フレデリック・リンガーの旧邸は、外壁石造りの木造住宅。優雅な南欧風バンガロー形式の建物で、明治初期洋風建築として貴重な建物となっています。

  G  旧オルト住宅
 江戸時代末期に天草出身の職人・小山秀之進が手がけたウィリアム・オルトの旧邸。タスカン様式の列柱が印象的で、ポーチ横には日本最古で最大級の木香バラが茂っています。重要文化財に指定され、裏手には当時の厨房や貯蔵庫がそのまま残されています。

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                 長崎グラバー園 (1)  長崎市南山手町

 JR長崎駅から路面電車またはバスで大浦方面へ行き、大浦天主堂下で下車。徒歩7分。大浦天主堂の横に「長崎グラバー園」ゲートがある。入園料は大人600円。
 南山手・東山手一帯は、日本でも最も古い洋館が多く残る国の重要伝統的建造物保存地区。中でもグラバー園は、眼下に長崎港が広がる絶景の地、南山手の丘に立地する。

 外国人居留地であったこの地にもともとあった旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅(いずれも国指定重要文化財)が保存されているほか、市内各所に点在していた6つの貴重な明治期の洋館を移築復元し、昭和49年(1974)に「グラバー園」として開園した。

 長崎グラバー園の入園パンフレットによる説明は次のとおり。
 (1)に旧リンガー住宅・旧オルト住宅、(2)に旧リンガー住宅の写真。
 樹木は次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/45995849.html                  
                時は幕末、外国人たちの街だった、南山手の丘

 鎖国の時代、西洋への唯一の窓口となっていた長崎。
 開国後は、長崎、神奈川(横浜)、函館、兵庫(神戸)、新潟の5つの町が開港され、それぞれの町に「外国人居留地」が造られました。
 グラバー邸があるここ南山手も、眼の前に広がる長崎の港を望み、隣の東山手の丘とともに、外国の人々や文化を受け入れる居留地として栄えていたのです。
 21歳の頃、グラバーはこの辺りでももっとも見晴らしのいい場所を選び、屋敷を構えました。
 その後の大戦も、グラバーの邸宅やリンガー邸、オルト邸は奇跡的に戦禍をまぬがれました。
 現在は長崎市内から移築された6つの洋館とともに、当時の長崎の風景を今に留めています。

  K  旧グラバー住宅
 真上から見ると屋根が四葉のクローバーの形をしている旧グラバー住宅は、江戸時代末期に建てられた、日本最古の木造洋風建築で国の重要文化財に指定されています。中には愛用のステッキや釣り道具など、グラバーゆかりの品々が展示されているほか、天井裏には隠れ部屋も残されています。

  F  旧リンガー住宅
 英商フレデリック・リンガーの旧邸は、外壁石造りの木造住宅。優雅な南欧風バンガロー形式の建物で、明治初期洋風建築として貴重な建物となっています。

  G  旧オルト住宅
 江戸時代末期に天草出身の職人・小山秀之進が手がけたウィリアム・オルトの旧邸。タスカン様式の列柱が印象的で、ポーチ横には日本最古で最大級の木香バラが茂っています。重要文化財に指定され、裏手には当時の厨房や貯蔵庫がそのまま残されています。

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                  長崎グラバー園と中島川岸のハートストーン

 長崎の主な神社・寺などの縁結びや安産の「陰陽石」を見たついでに、長崎観光名所の「ハートストーン」も訪ねた。見つけたら恋の願いが叶うという。写真は次のとおり。

 写 真  1〜 8  長崎市南山手町 長崎グラバー園
    2つある。小さな石で表示板はない。人だかりがないときは探すのに苦労する。
 写 真  9〜18  長崎市諏訪町 中島川岸(眼鏡橋近く)
    はっきりしたのは1つ。そのほかハートに似た砕石が5〜15個はあるという。

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                    長崎の主な神社・寺などの陰陽石

 長崎諏訪神社の長坂参道にある敷石の陰陽石を見たついでに、思い出した長崎の主な神社・寺などの同じような陰陽石を訪ねてみた。写真は次のとおり。
 長崎市内の全般と詳しい説明は、岩永弘氏著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年新春刊があるので参照。

 写 真  1〜 4  長崎市上西山町 諏訪神社の「縁結びの陰陽石」を再掲。
    一の鳥居付近に男石、四の鳥居付近に女石、拝殿前に合体石。
 写 真  5〜 8  長崎市矢上町 矢上神社。「安産股ぎ石」
    新日見トンネルの貫通石の八角形玄武岩。平成5年9月(株)間組が奉納。
 写 真  9〜12  長崎市丸山町 料亭青柳の「陰陽石」
    玄関前。上の割れているのが女石。白い浜石を挟み、その下が男石という女将の話。
 写 真 13〜15  長崎市東小島2丁目 正覚寺の「陰陽石」
    そのものズバリ。立派な表示板が設置されている。

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              トードス・オス・サントス跡  長崎市夫婦川町 春徳寺

 長崎市新大工町商店街からシーボルト通りへ向かう。長崎市立桜馬場中学校の角に出て、学校の石垣に沿った道を上がると「春徳寺」へ着く。
 トードス・オス・サントス跡。当時の遺構として井戸が残っているが、写し忘れた。
 長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

        トードス・オス・サントス跡(セミナリヨ及びコレジヨを含む)  県指定史跡

  指定年月日 昭和41年4月18日  所在地 長崎市夫婦川町135  所有者 春徳寺
 トードス・オス・サントス(Todos os Santos)ポルトガル語で「諸聖人」の意。長崎で最初に建てられた教会である。永禄12年(1569)ビレラ神父によって長崎甚左衛門がイルマン・ルイス・アルメイダに与えた土地に建てられた。
 慶長2年(1597)セミナリヨの一部コレジヨと金属活字印刷所が一時的にここに移された。その後慶長7年(1602)と慶長10年(1605)修錬院も開かれ、慶長17年(1612)有馬から追放されたセミナリヨはここに移り禁教令まで存続した。
 教会の建物は元和5年(1619)まで残り、後に春徳寺が建立された。当時の遺構として井戸が残っている。

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