みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎の風景・史跡 (市中央)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

                     城の古址の石切り場跡  長崎市片淵2丁目

 長崎の江戸時代の主な石切り場跡、風頭山・城の古址・豊前坊の3箇所を訪ねた。これは、城の古址の現況。
 城の古址(しろのこし)の石切り場跡は、夫婦川町春徳寺右から同寺墓地の最上段駐車場まで車道を登る。城の古址への坂段途中から左の山道へ入るとある。布袋厚著「長崎石物語 石が語る長崎の生いたち」長崎文献社2005年刊の52〜55頁による説明は、次のとおり。

      春徳寺と「城の古址」―最初の教会跡、最大規模の唐人墓がみどころ

 …「東海の墓」の百メートルほど北東にある西向き斜面には、幅四十・五十メートル、奥行き十五・二十メートルの凹地があって、片側は高さ十メートルほどの垂直な崖になっている。ここが江戸時代に石材を切り出した採石場あとのひとつである。現在はうっそうとした森に包まれていて、外からはまったくみえない。しかし、西(山頂に向かって左側)のほうにまわりこむ小道があるので、これにそって歩いていけば、かんたんになかまではいることができる。そのすぐ裏山が「城の古址」(しろのこし)である。…

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

                       風頭山の石切り場跡  長崎市風頭町

 長崎の江戸時代の主な石切り場跡、風頭山・城の古址・豊前坊の3箇所を訪ねた。まず、風頭山の現況。
 風頭山の石切り場跡は、風頭町の風頭公園内展望台の西と北側に残る。布袋厚著「長崎石物語 石が語る長崎の生いたち」長崎文献社2005年刊の102〜104頁による説明は、次のとおり。

      風頭山の石切り場跡―坂本龍馬も歩いた溶岩の山

 江戸時代の長崎で最大の石材産地は風頭山(かざがしらやま)である。現在、石切り場のあとは公園となっていて、その全容をかんたんにみることができる。風頭山は寺町の背後にある標高百五十二メートルの丘…
 公園の園路を200メートルほど歩くと、左に「坂本龍馬の像」や展望台がみえてくる。それらのまわりにある一段低いところが石切り場のあとである。まわりをかこむように切り立った岩肌が露出しており、展望台の下には、石を割るときにクサビを打ちこんだあとのくぼみがのこっている。とくに運動広場から上る階段の近くにはたくさんみられる。
 崖からみると、数十センチメートルの間隔で、たて方向に割れ目がはいっているのがわかる。しかし、水平方向の割れ目はあまりないので、長い柱状の石がとれるのである。岩肌には、ところどころ、直径数センチメートルほどのまるいかたまりがはいっていて、眼鏡橋などの石材と同じものであることがわかる。
 風頭山は厚さが百メートル以上もある溶岩でできており、市街地付近の溶岩としては最大規模である。…
 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

                 幣振坂1〜3・ピントコ坂・ドンドン坂  長崎市寺町ほか

 長崎市の坂で有名なのは、「オランダ坂」「天満坂」のほか、寺町や筑後町に3つの「幣振坂」、上小島1丁目に「ピントコ坂」、南山手町に「ドンドン坂」があるので、現況を報告する。
 現地説明板や長崎市公式観光サイト「あっ!とながさき」、HP「長崎県の坂」リストによる説明は、次のとおり。

幣振坂 1  (皓台寺側 長崎市寺町と鍛冶屋町の間から寺町と高平町の間まで 一部階段 下部は車道コンクリート化)
 晧台寺と大音寺の間の坂道。幣振坂の名前は,寛永11年(1634),諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に下ろした際,宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って,人夫達をこぶしたことに由来するとも言われています。長崎では,この坂のほか延命寺と長照寺の間や東本願寺横の坂も幣振坂と呼ばれています。この坂は,長崎でロケがおこなわれた映画「解夏」の冒頭やラストシーンに出でてきます。   管理者:長崎市

幣振坂 2   (長照寺側 長崎市寺町 階段 下部はコンクリート化)
 風頭山頂へと続く坂道。幣振坂の名前は,寛永11年(1634),諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に下ろした際,宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って,人夫達を鼓舞したことに由来するとも言われています。長崎では,この坂のほか晧台寺と大音寺の間や東本願寺横の坂も幣振坂と呼ばれています。   管理者:長崎市

幣振坂 3   (東本願寺側 長崎市筑後町 階段 ほとんどコンクリート化)
 幣振坂の名前は,寛永11年(1634),諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に下ろした際,宰領が御幣(紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って,人夫達を鼓舞したことに由来するとも言われています。長崎では,この坂のほか晧大寺と大音寺の間や延命寺と長照寺の間の坂も幣振坂と呼ばれています。長崎でロケがおこなわれた映画「解夏(げげ)」の冒頭に登場する「井戸」が坂の途中にあります。   管理者:長崎市

ピントコ坂   (長崎市上小島1丁目 斜度=10°/道幅=3.1m ほとんどコンクリート化)
 ピントコ坂とは、旧茂木街道にあたる上小島の墓域から長崎県立南高等学校正門前まで続く坂段のこと。
 寛永年中(1624〜1643)、贋金作りの唐人・何旻徳(か・ぴんとく)が処刑された場所で、彼を慕った悲恋の遊女、阿登倭(おとわ)がここで自死。この遊女を葬った傾城塚(けいせいづか)があることからこの名で親しまれるようになったという。
 下部にあるピントコ坂と表示板の場所から南高前にある表示板まで、それにしてもピントコ坂は結構険しくて長い。古く長崎では険しい坂段を上り下りするときに“ぴんとこどっこいしょ”というからピントコ坂という説もあるのだとか。

ドンドン坂   (長崎市南山手町 一部階段)
 坂の特徴 坂の方向  南東に向かって上る。長さ 110m,道幅=1.7m 傾斜 急坂(高低差27m,平均斜度14度)
 形態  直線の狭い坂。坂の頂上部で短い階段になる。
 由来他  南山手に残る居留地時代の坂道。オランダ坂に匹敵する歴史的な遺構で,今なお居留地時代の雰囲気が残っている。石畳で,石材は建設当時のまま,舗装されたのは1877(明治10)年以降と考えらる。(「ARCHITECTURAL MAP」」より)
 雨が降ると流れ落ちる水が途中でどんどん速くなることから,こんな名がついた。両脇の溝の形がU字・三角溝・四角溝など違っているのも水量とスピードを調整するためという。(「長崎さかみち散歩」より)
 命名時期  明治時代
 参考文献  『長崎さかみち散歩』真木雄司 春光社 2006 『ARCHITECTURAL MAP ドンドン坂』

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

                      立山役所の境界石  長崎市立山1丁目

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストのデータは、次のとおり。長崎公園六角堂近くの立山側の自然石に「従是御立山」と刻む。
 笹やぶの中にあり場所が分かりにくいから、所在図参照。カーブミラーの真下くらいの遊歩道脇にある。
 本ブログ次も参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/66129455.html

      立山役所の境界石 たてやま
長崎市 長崎公園六角堂近くの立山側 役所の境界石 (自然石) 延宝元(1673)以降 WEB(みさき道人) (正面)「従是御立山…」 -

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

                     元・立山役所(石階段)  長崎市立山1丁目

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストのデータは、次のとおり。

      元・立山役所(石階段) たてやま
長崎市 長崎歴史文化博物館<長崎奉行所立山役所> 石階段 24段 延宝元(1673) WEB(みさき道人)/WEB 平成17に長崎歴史文化博物館が開館した際、石階段、石垣、井戸等を修復・復元 長崎奉行所の東役所/寛文3(1663)の大火で焼失したため東役所・西役所に分けて再建(隣接)、10年後に火災時の類焼を避けるため東役所を立山に移したもの/西役所は現・長崎県庁(遺構なし) 3 B

 ウィキペディアフリー百科事典の「長崎歴史文化博物館」による説明は、次のとおり。

概略
 2005年(平成17年)11月に開館。長崎県と長崎市が行政の垣根を越え予算と収蔵品を出し合い設置した。
建築
 長崎県立美術博物館が閉鎖され、当博物館と長崎県美術館とに分離される際に、旧美術博物館の敷地と、同館に隣接していた旧長崎県知事公舎の敷地に建てられた。3階建。建設時には旧長崎奉行所の石段や庭園などの遺構が出土した。石段は補強され、奉行所門側のエントランスとして活用されている。設計は日本を代表する建築家黒川紀章。同館の西側には長崎原爆投下時に、第一報を政府や軍に打電した立山防空壕(旧長崎県防空本部)が残っている。同館のオープンにあわせ壕内を整備、周辺が公園化され、一般公開されている(無料)。


.
みさき/michito
みさき/michito
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事