みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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ふるさと古写真考

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                大正十一年頃のガラス写真 191 島原の眉山

 「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 「大正十一年頃のガラス写真」
  191  (島原の眉山)

  ■ 確認結果

 「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
 スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。
 
 整理番号191は、 島原市内から見た「眉山」であろう。現在の写真は中尾川から写している。
 「眉山」(まゆやま)は、長崎県島原市にある山。雲仙岳の東山麓に付属する溶岩円頂丘。主峰となる七面山(標高818.7m)の他、天狗山(695m)・南峰(708m)の三峰を合わせた全体を「眉山」と総称する。
 1792年(寛政4年)群発地震と普賢岳の噴火の後、火山性地震を直接の原因とした山体崩壊が発生し、多量の土砂が有明海に流れ込んだことにより島原大変肥後迷惑が発生した。(ウィキペディア)

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                大正十一年頃のガラス写真 177 茂木桟橋

 「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 「大正十一年頃のガラス写真」
  177  (茂木桟橋)

 目録番号:5262 茂木桟橋(3)
  〔画像解説〕
   3826から後ろに撮影ポイントを変えた絵葉書写真。茂木村本郷の九州商船小浜航路の桟橋。大正3(1914)年長崎商船茂木〜小浜航路が開設され、長崎から雲仙方面に向かう観光客がこれを利用した。海上には帆船が浮かぶ。海岸の家並みの屋根は藁葺きの昔に比べて瓦葺に変わっている。

  ■ 確認結果

 「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
 スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。
 
 整理番号177は、「茂木桟橋」を後ろの弁天山の高台から撮影した写真であろう。
 長崎大学データベースに、目録番号:5262「茂木桟橋(3)」などの作品がある。

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             大正十一年頃のガラス写真 171 本河内低部水源池

 「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 「大正十一年頃のガラス写真」
  171  (本河内低部水源池)

  ■ 確認結果

 「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
 スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。
 
 整理番号171は、地形的な景色から見て「本河内低部水源池」ではないだろうか。
 一瀬橋の少し先の方から撮影していると思われるが、現在では高いアパートなどが建ち、ダムがはっきり写らず同じような景色が撮れない。ダムが見える「水神社」からの写真を掲げる。

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              大正十一年頃のガラス写真 168ほか 十軒蔵

 「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 「大正十一年頃のガラス写真」
  168,170,175  (十軒蔵)

  ■ 確認結果

 「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
 スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。
 
 整理番号168,170,175は、新地籠町通りの日浦海岸にあった「十軒蔵」でなかろうか。
 168は、まだ検証する必要があるが、これだけの倉庫群があり、遠くの風頭山の稜線は、同じように感じる。
 170は、銅座橋側から広馬場方向を望む。さるく説明板にもこの向きの写真がある。焼肉店「喜楽園」の屋根上に、今でも倉庫の屋根かたわれの一部が残っている。
 175は、逆に広馬場側から新地籠町通りを望む。同じような道の造りが確認できるだろう。

 「十軒蔵」については、本ブログ次の記事を参照。
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/67888147.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/66518928.html
  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/66247122.html

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             大正十一年頃のガラス写真 166 浦上川の白魚とり

 「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

 「大正十一年頃のガラス写真」
  166  (浦上川の白魚とり)

  ■ 確認結果

 「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
 スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。
 
 整理番号166は、「浦上川の白魚とり」の風景。背景の岩屋山の位置から、浦上川と下の川が合流する現川口町の川岸から、撮影したと思われる。
 この写真は、長崎文献社「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」平成11年発行の102頁にも掲載されている。

 「ながさき浪漫」解説者は気付いていないが、この写真で注目するのは、対岸高台に写った白い建物。大正12年に九州初のコンクリート3階建て校舎として完成した開校当時の「城山尋常小学校」(現在は長崎市立城山小学校)の姿を撮影した貴重な写真である。
 長崎原爆の被爆遺構として、現在も一部が保存されている。城山小学校も、開校当時を写したこの写真の存在を知らないだろう。
 この項は、本ブログ次を参照。  http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/66214074.html


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