みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

長崎外の古写真考

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        長崎外の幕末・明治期古写真考 ベアトの幕末 140頁 駕籠が行く

 長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 レンズが撮らえた F・ベアトの幕末
  140頁  駕籠が行く (放送大学附属図書館蔵)
   〔画像解説〕 
   東海道を行く旅人と松並木の風景。

  113頁  戸塚 (横浜美術館蔵)
   〔画像解説〕
   東海道、日本橋から5番目、距離にして10里半(約42キロメートル)の宿場町戸塚宿の風景。

  ■ 確認結果

 書評は、2013年1月20日付朝日新聞。山川図書出版企画・編集「レンズが撮らえた F・ベアトの幕末」が2012年11月発行されている。
 以下、疑問がある作品を、数点取り上げる。

 140頁「駕籠が行く」(放送大学附属図書館蔵)は、東海道を行く旅人と松並木の風景である。
 113頁「戸塚」(横浜美術館蔵)と、同じ近くの場所ではないか。遠い背景が似ているし、松の木の同じような枝ぶり?が確認できる。
 140頁「駕籠が行く」も、宿場町「戸塚」付近の風景と思われるので、検証願いたい。

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            長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6490 竹川町

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号:6490 竹川町
  〔画像解説〕  なし

 明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋
  208頁  E06 共同社
  〔画像解説〕
  「共同社」「近事評論」「与論新論」と書かれた看板がかかる。共同社は尾張町2丁目の南端(現銀座6丁目)にあった新聞社。手前の道は現6丁目と7丁目の間の現交詢社通りである。「近事評論」は、明治9年6月創刊で、同16年5月終刊。明治9〜15年頃。M

  ■ 確認結果

 目録番号:6490「竹川町」は、ボードインコレクションだが、タイトル「竹川町」以外、画像解説がない。
 石黒敬章著「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」角川学芸出版平成23年発行の208頁「E06 共同社」に掲載があり、画像解説は上記のとおり。

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          長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 382 東京の道路

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 目録番号: 382 東京の道路
  〔画像解説〕
  英語で「東京」という解説だけである。

 明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋
  22頁  F08 吹上御苑を囲む段堀
  〔画像解説〕
  吹上御苑の西側と北側の内堀(半蔵門と千鳥ヶ淵)には、その内側にもう一筋、半蔵門から三日月堀まで段堀がめぐらされていた。正徳年間(1711〜1716)に掘られたらしい。写真は北側の段堀で代官町の側から西に向かって写したもの。明治10年頃か。C

  ■ 確認結果

 目録番号: 382「東京の道路」は、英語で「東京」という解説だけである。
 石黒敬章著「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」角川学芸出版平成23年発行の22頁「F08 吹上御苑を囲む段堀」に掲載がある同段堀周りの直線部分の道路を、逆向きに撮影しているのではないか。

 これだけの同じような長い赤レンガ塀囲みの内部は、「吹上御苑」が十分考えられる。堀の幅が狭いのは、内堀(半蔵門と千鳥ヶ淵)の内側にもう一筋、めぐらされていた「半蔵門から三日月堀までの段堀」のためだろう。
 道路は広いが舗装がなく、車の多く通るような道ではない。橋が架かった入り口門もあり、場所特定を地元にお願いしたい。

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         長崎外の幕末・明治期古写真考 幕末・明治 107頁 瀬戸内海

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 写真で見る 幕末・明治
   107頁  瀬戸内海  1880年代 金幣アルバム
  〔画像解説〕
  小島が点在する美しい景観は瀬戸内海の特色。遠くに小舟が浮かぶこの写真は、静かさを感じさせる。瀬戸内海は国立公園として、今も美しさを保っているが、瀬戸大橋が架かるなど、景観は変わりつつある。
 
 目録番号:3221 備後鞆津(2)
  〔画像解説〕
  福山・鞆港の東側にある大可島を東浜から望む。大可島は南北朝期に南朝方の拠点として大可島城が築かれた。江戸時代には,円福寺や鞆港出入りする船舶を監視するための船番所が置かれた。写真では現在では干拓により消滅した各商家からの突出し突堤や階段を写されている。

  ■ 確認結果

 世界文化社「写真で見る 幕末・明治」1990年発行の107頁「瀬戸内海」は、瀬戸内海でも具体的な撮影場所の説明がない。
 データベースの目録番号:3221「備後鞆津(2)」の解説どおり、福山・鞆港の東側にある大可島を東浜から望んでいる。

 横浜開港資料館・(財)横浜開港資料普及協会編「彩色アルバム 明治の日本 <横浜写真>の世界」平成2年発行の157頁「西日本 4 鞆津」の解説も、次のとおり。
  4 鞆 津
  〔画像解説〕
  〔4〕〔5〕は尾道の東方沼隈半島先に位置する鞆津(現福山市内)で、〔4〕は鞆の湊入口北に突出した陸繋島の大可(おおが)島。南北朝の動乱期に南朝方が城を占拠したことで知られる。現在、城跡は円福寺境内となっている。…

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        長崎外の幕末・明治期古写真考 幕末・明治 69頁 街道からの富士

 HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

 写真で見る 幕末・明治
   69頁  街道からの富士  ファサリ商会
  〔画像解説〕
  優美な富士山と松並木、美しい杉橋と農家の組み合わせがすばらしい。現在ではほとんど見られなくなった風景である。
 
 目録番号: 169 鈴川河合橋からの富士山(1)
  〔画像解説〕
  鈴川は駿河湾に面し、潤井川河口左岸に位置する旧幕府領。富士、松並木、木橋、藁葺きの家、川船と船頭と、美しく、凝った構図になっている。なお、この角度、構図の富士の別の写真が、小沢健志監修『写真で見る幕末・明治』(69頁)に「街道からの富士 ファサリ商会」として紹介されている。

目録番号:4233 東海道の橋からの富士山
  〔画像解説〕
  富士市鈴川にある河合橋(かわいばし)から北方の富士山を遠望したもの。河合橋は沼川を渡る東海道に架けられた橋である。西側の橋の袂には特徴的な松が生え、東側の袂は船着場となり茅葺き屋根の小屋が建つ。橋上に馬車鉄道の軌道がないため、明治23年以前の撮影である。

  ■ 確認結果

 世界文化社「写真で見る 幕末・明治」1990年発行の69頁「街道からの富士  ファサリ商会」は、街道は東海道だが、どこの橋か説明していない。

 データベースの目録番号: 169「鈴川河合橋からの富士山(1)」や、目録番号:4233「東海道の橋からの富士山」の解説どおり、現富士市鈴川にあった河合橋(かわいばし)である。
 データベースのタイトルは、統一が必要。


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