みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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九州(鹿児島県)

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                        枕崎飛行場  枕崎市あけぼの町

 ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。

      枕崎飛行場
 
 枕崎飛行場(まくらざきひこうじょう)、枕崎空港、(まくらざきくうこう)は鹿児島県枕崎市にかつて存在した公共用飛行場。

概要
 第四次全国総合開発計画において高速交通体系の一環として構想され、1991年1月に、国内初の地域空港(コミューター空港)として開港。1998年、県消防・防災ヘリコプター配備[1]。当初は不定期路線の開設を目指して鹿児島空港や県内離島とのチャーター便の運航や、他にヘリコプターの操縦訓練等にも利用されていた。

 だが、需要予測が過大であったところに不況が重なり、事業会社が2003年までに撤退。刑務所の誘致に失敗(後述)した2006年以降、滑走路がほとんど使用されなくなったことに着目した航空スポーツ団体による小型機の飛行競技会の実施や、グライダーの運航が試みられるなど、スカイスポーツの拠点とする動きもあったが、このような利用は本来の設置目的と異なることから、必ずしも飛行場を設置管理する枕崎市の理解が得られているとは言えず、機材が常駐するまでには至っていなかった。

 空港開設以来累積赤字が8億3,500万円になり、空港存続のための施設維持費用として年間8,000万円の費用がかかることから2013年3月31日をもって飛行場は廃止[2]となった。廃港後は消防防災機能維持のため格納庫前のエプロンにヘリポートを設置、滑走路跡地をメガソーラー事業者に賃借することとなった[3]。空港管理会社の南薩エアポートは防災ヘリへの給油のために存続している。

 2010年度の着陸回数は865回[4]だった。

航空管制
 枕崎フライトサービス 129.800MHz
(実際には使用されておらず、離着陸する航空機は航空機相互周波数 122.6MHzで一方送信していた)

鹿児島県防災航空隊
 鹿児島県防災航空隊の基地があり、消防・防災ヘリコプターベル412EP「さつま」JA97KG が常駐している。

刑務所誘致
 累積赤字を解消するため、2003年から2005年にかけて、国のPFI方式による刑務所新設の計画に対し、枕崎市は本空港を廃止して跡地に刑務所を誘致しようと候補地に名乗りをあげた[5]。他に名乗りを上げた多くの自治体と激しい誘致合戦を繰り広げた結果、新設刑務所の設置予定地は山口県美祢市(美祢社会復帰促進センター)と島根県那賀郡旭町(現:浜田市)(島根あさひ社会復帰促進センター)に決定し、枕崎市への誘致はならなかった。

メガソーラー誘致
 2012年9月、枕崎市は空港を廃止して滑走路を大規模ソーラー発電所として運用すべく検討に入っていることを明らかにした[6]。
 2013年3月、空港を廃止し跡地をメガソーラー事業者に貸すことを決定した。年間8500万円の賃料により22年間で約8億3500万円の累積損失を解消できる見通しとなった。[7]

空港内事務所
・南薩エアポート株式会社 - 定期航空券の予約・発券や旅行斡旋業務・航空機燃料販売。
・鹿児島県防災航空センター
・大阪航空株式会社 枕崎事業所 - 航空機整備事業。

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               松ヶ浦のヘヤッガマ(石灰焼窯)  南九州市知覧町南別府

 現地説明板は、次のとおり。指定地の海浜は、「松ヶ浦シーサイドパーク」として整備されている。

       南九州市指定文化財(史跡)  ヘヤッガマ(石灰焼窯)

 菊紋石と呼ばれるサンゴ石を焼いて石灰を生産していた窯で、明治時代後期に自然の岩場をくりぬいて造り、高さ約2.5m、直径約2mあり、窯の内部はろうと状になっている。窯の横には、階段で、作業場とみられる洞?がある(現在は四角場浜の造成により、窯の上部だけを見ることができる)。
 

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                     竹迫川交易跡  南九州市知覧町南別府

 知覧町東塩屋の相之浦湊から少し市道を東へ竹迫橋まで進む。相之浦湊と同じような竹迫川河口を利用した「竹迫川交易跡」史跡説明板があった。

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                   相之浦のめくい(舟繋穴)   南九州市知覧町南別府

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。後ろは「相之浦」現地説明板から。

     相之浦のめくい  あいのうら
 南九州市 東塩屋 舟繋穴 10数ヶ所 江戸期 市教委(文化財ガイド・知覧p163) 保存状態やや良好 2 B

     相之浦(東塩屋の海運業)
 東シナ海に面し、硫黄島や遠く屋久島まで望め、河口を利用し陸地へ深く切れ込んだこの港は、相之浦・藍之浦・逢之浦・饗之浦などいくつかの表記を持つ江戸から明治にかけて海上交易で栄えた港です。
 わずか4Km余りの知覧町海岸には、古くから交易のあったことを示す史跡が多く残されています。港の岩をくり貫いて、もやい綱を結びつけるための「めくい」、13世紀からの貿易陶磁器の散布地、海運の繁栄を思わせる蔵の並ぶ町並み、交易船の往来を管理した浦役所跡、琉球から伝えられた石敢當、船から荷を揚げるために岩場を掘り下げた掘り割りなどがそうです。
 東塩屋で1月3日に歌われる「乗り初め歌」は、中世からの「御船歌」の影響がうかがえるとか、平安時代に僧俊寛が鬼界ケ島(現在の硫黄島)に流された逢之湊は、この湊ではないかという興味深い意見もあります。

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                     相之浦の掘割り  南九州市知覧町南別府

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。後ろは「相之浦」現地説明板から。満潮時写真は、後日、宮崎市贄田様が訪ねて撮影。

     相之浦の掘割り あいのうら
鹿児島/南九州市 東塩屋 すべり 幅約5m 江戸期 市教委(文化財ガイド・知覧p162) 保存状態やや良好 艀を引き上げるため、海岸の岩盤を開削した斜路/現存例は極めて稀 2 B


     相之浦(東塩屋の海運業)
 東シナ海に面し、硫黄島や遠く屋久島まで望め、河口を利用し陸地へ深く切れ込んだこの港は、相之浦・藍之浦・逢之浦・饗之浦などいくつかの表記を持つ江戸から明治にかけて海上交易で栄えた港です。
 わずか4Km余りの知覧町海岸には、古くから交易のあったことを示す史跡が多く残されています。港の岩をくり貫いて、もやい綱を結びつけるための「めくい」、13世紀からの貿易陶磁器の散布地、海運の繁栄を思わせる蔵の並ぶ町並み、交易船の往来を管理した浦役所跡、琉球から伝えられた石敢當、船から荷を揚げるために岩場を掘り下げた掘り割りなどがそうです。
 東塩屋で1月3日に歌われる「乗り初め歌」は、中世からの「御船歌」の影響がうかがえるとか、平安時代に僧俊寛が鬼界ケ島(現在の硫黄島)に流された逢之湊は、この湊ではないかという興味深い意見もあります。


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