みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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                          石 山 池  杵築市船部

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。杵築高校近くから県道49号により大分空港道路の杵築ICの方へ向かう。白水池、ICを過ぎた県道をなお山手へ進むと、「石山池」(石山ダム)がある。
 石山ダム上の架橋工事は、大分空港道路に繋ぐ大分県の工事と聞いた。

 この池については、水土里レポーターの「改良区に関係する池の紹介」(Adobe PDF)を参照。
   http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/01jigyoukankei/kikaku/midorireportar/0909rekisiteki.pdf#search='%E7%9F%B3%E5%B1%B1%E6%B1%A0%E6%9D%B5%E7%AF%89%E5%B8%82';

      石山池 いしやま
杵築市 (船部) 溜池 堤長約130m 延宝年間(1673-81) WEB 昭和51に石山池を取り込む形で石山ダムとなる 杵築藩初代藩主・松平英親の命により築造された溜池 5 C

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                          白 水 池  杵築市馬場尾

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。杵築高校近くから県道49号により大分空港道路の杵築ICに向かうと、杵築ICの手前にあるのが「白水池」である。

 この池については、水土里レポーターの「改良区に関係する池の紹介」(Adobe PDF)を参照。
   http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/01jigyoukankei/kikaku/midorireportar/0613rekisi.pdf#search='%E7%99%BD%E6%B0%B4%E6%B1%A0%E6%9D%B5%E7%AF%89%E5%B8%

      白水池 しろみず
杵築市 (馬場尾) 溜池 堤長約200m 延宝年間(1673-81) WEB 大改修 杵築藩初代藩主・松平英親の命により築造された最大の溜池(ただし、松平英親が藩主だった頃の名称は木付藩、以下略) 4 B   

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                        迫 池・西迫池  杵築市南杵築

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。杵築市街の中心部、杵築市役所前の通りを西へ進み、新道バス停から住宅地の中を道なりに南に行くと、2つの池がある。地図によっては、「東谷池」「西谷池」と表記するのもある。

 この両池については、水土里レポーターの「改良区に関係する池の紹介」(Adobe PDF)を参照。
  http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/01jigyoukankei/kikaku/midorireportar/0826ooita1.pdf#search='%E8%BF%AB%E6%B1%A0%E6%9D%B5%E7%AF%89%E5%B8%82';
 私の撮影写真は、写真1〜4が迫池(東下司溜池)、写真5〜13が西迫池(西下司溜池)。後ろの写真14〜16は、新道ロータリーに残る(移設?)この付近の井路紀念碑。関連が不明だが、「迫池」の文字も刻む。

      迫池 さこ
杵築市 (南杵築・東下司) 溜池 堤長約60m 延宝年間(1673-81)?、 文久2(1862) WEB 杵築藩初代藩主・松平英親の命により築造された溜池/文久2、白水池の余り水を補給する目的で、中溝〜下原間540mを地下水路に設けて迫池と西迫池に引水/両池で26haを灌漑 2 C

      西迫池 にしさこ
杵築市 (南杵築・西下司) 溜池 堤長約50m 延宝年間(1673-81)?、 文久2(1862) WEB 杵築藩初代藩主・松平英親の命により築造された溜池/文久2、白水池の余り水を補給する目的で、中溝〜下原間540mを地下水路に設けて迫池と西迫池に引水/両池で26haを灌漑 2 C

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                  伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡などの碑  杵築市杵築

 杵築市街の中心部、杵築市役所前の通りを東へ進む。途中で見た伊能忠敬測量隊本陣・別宿跡の碑、旧藩時代の町役所跡の碑、杵築驛からの明治里程道標。

 入江氏の研究によると、この日の伊能忠敬「測量日記」の原文を解読したものは次のとおり。

文化七年(1810年)
二月七日 朝晴天。先手後手六ッ頃浦下原村出立。後手(あとて)我等(われ、忠敬自身)、青木、永井、上田、長蔵、別手昨日仕越、奈多村字仕口より初、奈多村、狩宿村、野部(野辺)村、守江村 右村々人家海辺に隔る、御茶屋迄測 領主の茶屋。奈多村字仕口より海辺二里一十町四十三間四尺。守江村中食 庄屋兵作。

それより乗船。先手(さきて)坂部、下河辺、梁田、箱田、平介、守江村御茶屋前より初、灘手村、大内山村、字屋木ノ下、同本村、草場村、字塩江崎、それより速見郡木田村 守末村入会へ堤印を残し、字札ノ辻を経て、杵築城下、馬場村尾口門より市中(冨坂町、新町、仲町、谷町)北印迄測(守江村御茶屋前より二里五町五十九間三尺)。
(付箋)二里五町五十九間三尺、内、守江村より堤印迄一里二十二町八間、堤より北印迄一十九町五十一間三尺。

奈多村仕口より杵築谷町迄合四里一十六町四十三間一尺。先手九ッ、後手九ッ半に杵築城下へ着 松平備中守居城。止宿(ししゅく)本陣 中町(仲町)佐伯屋小助。別宿谷町伊予屋兵右衛門。

着後、日出木下主計頭代官有村広作、同所止宿南部屋録十郎、島原御預所庄屋格之丞、同速見郡真那井村庄屋仙助、島原御預所高松御役所付原村庄屋藤兵衛、野田村庄屋逸平、中川修理大夫領三佐浦大庄屋加藤式平、河村仙次郎来る。杵築侯より使者岡田仙三郎出る。宿老塩屋叔蔵、冬木屋金十郎出る。

此夜宵より五ッ頃迄曇る。木星測量、恒星測量共不測。

 杵築市の例は、本ブログ次を参照。長崎市も早く設置するよう要望しているが、進展がないので、参考事例として写してきた。
 伊能忠敬長崎測量の止宿(ししゅく)は、諏訪神社下の地
   http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/70162268.html

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                          油屋水道  杵築市杵築

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。杵築市街の中心部、杵築市役所前の通りを志保屋の坂まで行く。角に菓子舗松山堂があり、店横の水路を覗くと、本流から北へ分岐する小さな水路口が2つ並んで見える。
 右側のが「油屋水道」という素掘りトンネルの呑口のようだが、この方は水門で塞がれ内部は写せなかった。これから道路対面の有名な酢屋の坂地下を行き、高台を越した北浜口番所の坂下に吐口があった。

      油屋水道 あぶらや
杵築市 酢屋・坂西〜北浜口番所 素掘トンネル(水路) 長290m 宝永3(1706)頃 WEB(みさき道人)/市教委 写真は吐口/呑口はC水門に改修 油屋孫左衛門がトンネルを掘り抜いて北浜新田を開発→命名の由来 2 C


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