みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

四国(愛媛・香川)

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                石鎚山登山  愛媛県西条市・久万高原町

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。
 石鎚山は、私は20代から久し振りの登山。快晴を待ち2012年7月27日(金)、面河渓から石鎚スカイラインを土小屋遥拝殿(標高1492m)まで行き、山頂へ登山道を往復した。
 「二の鎖」「三の鎖」を上り、天狗岳(標高1982m)まで登ったため、往復6時間を要した。山頂はガスがかかって、遠くの展望はきかなかった。登山客は多かった。
 土小屋から帰りは、石鎚スカイラインを北東へ瓶ヶ森や伊予富士の方へ向かい、寒風山トンネル口へ出た。夕方近くこちらもガスがひどく、景色は見えなかった。

   石鎚山

 石鎚山(いしづちさん、いしづちやま)は、四国山地西部に位置する標高1,982mの山で、近畿以西の西日本最高峰である[1]。愛媛県西条市と久万高原町の境界に位置する。
 石鉄山、石鈇山、石土山、石槌山あるいは伊予の高嶺などとも表記される。『日本霊異記』には「石槌山」と記され、延喜式の神名帳では「石鉄神社」と記されている。前神寺および横峰寺では「石鈇山(しゃくまざん)」とも呼ぶ[2]。

概 要
 石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られる。日本百名山、日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。石鎚山脈の中心的な山であり、石鎚国定公園に指定されている。
 正確には、最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ、標高1,982m)・石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974m)・南尖峰(なんせんぽう、標高1,982m)の一連の総体山を石鎚山と呼ぶ。

 三角点は天狗岳や弥山には設置されておらず、弥山の北西にある1,920.63mのピークに三等三角点「石鎚山」が設置されている[3]。神社の敷地を避けたものと思われる。石鎚山系の一等三角点「面河山」は南西側の二ノ森山頂(1,929.24m)に設置されている。

 第三紀の1500万年前ごろまで、活火山として活動しており、山体は三波川変性帯を覆う、安山岩からなる[4]。この安山岩は山頂の南側の面河渓谷を中心とする直径約7kmに分布しており、カルデラを形成していた。ちなみに、このカルデラは日本で一般的なじょうご型カルデラではなく、環状割れ目噴火によるバイアス式カルデラである。約2万年前の最終氷期にこの辺りは周氷河作用がはたらき、岩石が砕かれ岩稜の山が形成されたと推定される[4]。

山岳信仰
 石鎚山は奈良時代から修行道場として知れ渡り、空海も修行したとされる。信仰の拠点として石鎚神社、前神寺、極楽寺、および横峰寺がある。また成就社は奥前神寺とも呼ばれていた。(中略)

 1871年(明治4年)の神仏分離により、石鎚蔵王権現は石鎚神社に、前神寺および横峰寺は真言宗に所属することとなった。明治時代以降は石鎚神社、前神寺、横峰寺はさらに多くの信者を集めるに至った。毎年、7月1日から10日までの間に「お山開き」の神事が執り行われ、多くの信者が参拝登山に訪れる。古くからお山開きの期間中は女人禁制とされてきたが、現在では7月1日だけが女人禁制となり、女性は山頂まで登る事が出来ない。

登 山
 石鎚山の鎖場石鎚山の頂は、通常は天狗岳のことを指すが、弥山から天狗岳までが岩場であることや、天狗岳に多人数がとどまれるスペースがないこともあり、天狗岳直前(約200m手前)の弥山までの登山者も多い。弥山には石鎚神社の鎮座のほか山頂小屋がある。

 弥山まで3箇所の鎖場があり、下から「一の鎖」(33メートル)、「二の鎖」(65メートル)、最後は「三の鎖」(67メートル)と続くが迂回路もある。「一の鎖」の手前に前社ヶ森(1,592m)の岩峰にかかる「試しの鎖」(74メートル)があり、これが最も急勾配である。弥山への鎖は近世頃より掛けられたとされ、1779年(安永8年)に鎖が切れ、翌1780年(安永9年)に鎖の掛け替えを行ったとする記録である『石鉄山弥山鎖筋之覚』が前神寺旧記に残されている。山頂からは瀬戸内海、および土佐湾、見通しのよい日には大山を始めとする中国山地、九州の九重連山まで望むことができる。

 主な登山口は、石鎚登山ロープウェイから石鎚神社成就社、土小屋、面河渓谷。成就からの登山道が表参道、面河からが裏参道と呼ばれる[8]。天狗岳直下には傾斜が強くオーバーハングした北壁が落ちており、四国一といってもよいロッククライミングのフィールドを提供している。南西斜面の中の沢・南沢は沢登りのルートとして知られる。堂ケ森から二ノ森経由で石鎚まで縦走するルートもある。

動植物
 石鎚山及びその周辺の森林は、暖帯林(カシ林)から温帯林(ブナ林)、標高1,700メートル以上の亜寒帯林(ダケカンバ林、シラビソ(シコクシラベ)林)と変化に富んでいる。この亜高山帯針葉樹林は日本最南端のものであり[4]、多様な動物相を呈しており、クマタカやハヤブサ、ヤマネなどの生息地として重要であることから、国指定石鎚山系鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積10,858ha、うち特別保護地区802ha)。また林野庁の森林生態系保護地域にも指定されている。

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                 御来光の滝  愛媛県上浮穴郡久万高原町

 久万高原町公式サイトによる解説は、次のとおり。面河渓から上がる石鎚スカイライン途中の長尾尾根展望所から御来光の滝と石鎚山の遠望。
 滝へは、ここから沢伝いに3時間は要する難路。滝の直近写真は展望所説明板から写した。

   御来光の滝 (日本の滝 100選に選定)

 霊峰石鎚山に源を発する御来光の滝は仁淀川の源流で、面河渓谷の上流約7kmの地点にあります。朝日に映えて純白に光り輝く様は荘厳そのもので、信仰の山石鎚に詣でる行者達は、『神』とあがめています。
 日本の滝100選の選定委員の一人でもあられる三島昭男先生からも、ご来光の滝は名瀑中の名瀑と絶賛戴いています。
 落差101.6m 延長150.9m 幅34m

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。

   御来光の滝

御来光の滝(ごらいこうのたき)とは、愛媛県上浮穴郡久万高原町にある滝。

概 要  仁淀川の最源流部面河渓にあり、霊峰石鎚山のほぼ直下から流れ落ちる神秘的な滝で、落差は102mほどある日本の滝百選にも選ばれている名瀑である。
 石鎚スカイラインの途中にある長尾尾根展望所から遠望することができる。また、滝を直接見るためには、長尾尾根展望所から急激な斜面を下り、谷沿いや崖沿いのアップダウンの多い登山道を片道3時間近く歩いて行くことができる。滝は南向きで明るく、晴れた日の午前中には滝に架かる虹を見ることができる。
 なお、登山道の途中には危険な箇所もあり、道に迷いやすい場所もあるので、注意が必要である。

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                  面河渓  愛媛県上浮穴郡久万高原町

 国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 面河渓
ふりがな: おもごけい
種別1: 名勝
指定年月日: 1933.02.28(昭和8.02.28)
追加年月日: 1937.12.13(昭和12.12.13)
指定基準: 五.岩石、洞穴,六.峡谷、爆布、漢流、深淵
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 上浮穴郡久万高原町
解説文:
 面河川本流ノ上流ヲナセル石鎚山南麓ノ溪谷ニシテ其大部分ハ堅緻ニシテ粗キ節理ヲ有セル石英閃緑岩ヨリ成リ溪間致ル處ニ斷崖壁立シ危険聳峙シ岩石美ニ富メルノミナラス満山原始ニ近キ大森林ヲ以テ蔽ハレ溪流ハ水清ク流急ニシテ所々ニ瀑布ヲナシ深潭碧淵其ノ間ニ交錯シテ景觀ノ變化ニ富ミ稀ニ見ルノ峽谷美ヲ構造ス就中、関門屏風岩兜岩鎧岩等ノ絶壁ト御來光瀑霧迫瀑熊淵紅葉淵等ノ瀑布淵潭ハ局部的景勝ノ尤ナルモノナリ

  (愛媛県解説)
 面河渓は、節理が見られる岩石、それに屏風岩・兜岩・鎧岩などの絶壁、御来光の滝・霧迫滝などの滝、紅葉淵の深淵など変化に富んでおり、その渓谷美をいっそう引き立ててみごとである。渓谷は、モミ、ツガ帯と呼ばれる中間温暖林で、植物相や動物相にも恵まれ、春の新緑、秋の紅葉は全国的にも有名である。
 渓谷をうるおす清水の一部は、昭和38年(1963)に建設された笠方ダムに集められ、発電用水・農業用水に利用されている。
 面河の名は、天明年間(1781〜1789)松山の円光寺の僧明月の断簡に「面子」と見られるのが最初といわれている。

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             岩屋寺大師堂・岩屋・古岩屋  愛媛県上浮穴郡久万高原町

 国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 岩屋寺大師堂
ふりがな: いわやじだいしどう
員数: 1棟
種別: 近代/宗教
時代: 大正
年代: 大正9
西暦: 1920
構造及び形式等: 木造、建築面積83.91平方メートル、宝形造、銅板葺、正面向拝付
指定番号: 02508
国宝・重文区分: 重要文化財
重文指定年月日: 2007.06.18(平成19.06.18)
重文指定基準1: (一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2: (三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県: 愛媛県
所在地: 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1467番地
所有者名: 岩屋寺
解説文:
 四国霊場第四十五番札所である岩屋寺は、愛媛県中央部の高知県県境近く、直瀬川右岸の屹立した隆起礫岩峰群を背負った崖地に南北に細長い平場を造り、境内を構える。大師堂は、本堂の南に位置し、東面して建つ。
岩屋寺は、明治三一年の火災により主要堂宇を失い、現在の大師堂は、大正四年五月に起工、同九年一一月に竣工したものである。設計監督は愛媛県温泉郡余土村出身で大蔵省臨時議院建築局技手の河口庄一、大工は窪田文治郎らである。…
 岩屋寺大師堂は、九・二メートル四方規模の宝形造、銅板葺で、四周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻し、正面と北面に木階を配し、正面には向拝を付ける。屋頂には、高欄付き露盤の上に八角形の宝傘を重ねて相輪と宝珠を戴き、宝傘に風鐸を吊す。平面は、各面両端部に双子柱を配した方四間のつくりで、正背面の中央の柱を抜き、正面側一間分を吹き放ちの外陣とし、後三間を内陣とする。
 柱は礎石建ちの円柱とし、貫、虹梁等で固め、組物は尾垂木・支輪・軒天井を備えた三手先斗?、中備は人字形の束と大瓶束とする。軒は、二軒疎垂木で、垂木先を蛇口状に仕上げる。向拝柱は、角柱を二本組で用い、柱身にエンタシスを付け、柱頭部にバラと組紐飾り状の装飾を配し、柱身下部にはフルーティングを施す。
 内部は畳敷きとし、内陣後方に須弥壇を置く。身舎の円柱頭部は挿肘木を輪で繋ぐ独特の構成とし、虹梁に載る大瓶束左右の笈形は木質を変え、花と組紐の装飾模様をあしらって際立たせる。天井は、身舎部が格天井、身舎周囲は化粧垂木を見せる。柱間は、正面中央間を双折桟唐戸、その両脇を両開板戸とし、側面前端間と背面中央に両開板戸を配し、側面中央間には火灯窓に連子を建て込み、他は板壁とする。
 
名称: 岩屋
ふりがな: いわや
種別1: 名勝
指定年月日: 1944.11.07(昭和19.11.07)
指定基準: 五.岩石、洞穴
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 上浮穴郡久万高原町
解説文:
 なし

名称: 古岩屋
ふりがな: ふるいわや
種別1: 名勝
指定年月日: 1944.11.07(昭和19.11.07)
指定基準: 五.岩石、洞穴
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 上浮穴郡久万高原町
解説文:
 結晶片岩を基盤として第三紀礫岩之を被覆し列立する數十の圓柱形若は圓錐状を成せる岩峰は水蝕作用に依って何れも岩壁の奇觀を恣にし略々東西に連亙す岩下の溪流亦岩列に沿ふて東し其の間に平坦なる草地の一帶を形成す、就中洞ヶ岳、不動岳、大岩岳、古岩屋岳等を推して最哨の奇勝となす、殊に天柱岳の圓柱状を成して頂に松樹の僅に生ずるは景觀の一奇たり其の他の諸岩亦矮松を叢生せしむるあり春季にセキコクの花開き其の妍美賞すべし岩壁の諸處に大小の竅穴を見る大なるは數メートルの横穴を成し小なるは蜂■の如くにして無數なり「島の臺」とする奇岩「千丈敷」と稱する岩穴亦驚異に値す。

  (愛媛県解説)
 岩屋寺は、四国霊場四十五番の札所として知られている。大師堂は、本県出身で大蔵省臨時議院建築局技手であった河口庄一が設計監督し、大工は窪田文治郎らで、大正9(1920)年に建築された。
 大師堂は宝形造で銅板葺である。構成は伝統的な寺院建築を基調としているが、向拝柱にはエンタシスを付け、柱頭部にはバラと組紐飾り状の装飾を施すなど細部意匠に西洋建築の手法を採りいれながらまとめられており、我が国の近代建築意匠上、高い価値が認められる。

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                上黒岩岩陰遺跡  愛媛県上浮穴郡久万高原町

 国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 上黒岩岩陰遺跡
ふりがな: かみくろいわいわかげいせき
種別1: 史跡
指定年月日: 1971.05.27(昭和46.05.27)
指定基準: 一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 上浮穴郡久万高原町
解説文:
 四国の高峰の1つである石槌山の西南麓に源を発する[[面河溪]おもごけい]が、久万川と合流する地点から久万川を約3キロさかのぼった右岸に所在する。岩陰は比高約20メートルの石灰岩の岩脈の先端部にあり、遺跡の中心は岩壁の両北端から西南側面である。  昭和36年から5回にわたる調査の結果、第1層から第9層までに遺物が包含されていた。とくに第4層の繩文時代早期における20体を越える埋葬人骨や第9層の繩文時代創草期における細隆線文土器、有舌尖頭器、削器、礫器、礫石に線刻した岩版等の一括遺物は、この時代の最古の遺物であり貴重な資料である。
 なお、岩陰内の遺物包含層を科学的処理により固め、断面の観察ができるような措置がとられ保存に万全を期している。

  (愛媛県解説)
 遺跡付近は、標高400mほどで、遺跡は東北面に高さ20mの石灰岩の切り立つ断崖を背負う。西南に開いた岩陰遺跡で、昭和36(1961)年に中学1年生によって発見された。本遺跡は14層までの堆積層序を確認し、第4層から第9層までに縄文時代草創期及び早期の遺物が層位的に発見された。
 出土品の中で最も貴重と思われるものは、約12,000年前と推定された第9層から出土した8個の長径約5cmの扁平な緑泥片岩川原石で製作した線刻女性像である。これは日本最古の人物像である。また同じく日本最古の土器の一つと考えられる細隆起線文土器、有舌尖頭器、礫器などのほか、大型ニホンザルの下あごの骨も発見されている。第4層からは10体以上の人骨や、2頭の日本犬の埋葬骨も発見された。その他、無文土器、石鏃、骨角器、貝類も多数発見され、最古の縄文文化のようすを知る貴重な遺跡である。

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