みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

■写真ブログ/長崎・佐賀ほか ●風景・史跡・古写真・巨樹・石橋・滝・山野歩き・標石・戦跡 ●江戸期の「みさき道」

九州(薩南諸島)

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                         屋 川(ヤゴー)  与論町麦屋

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。与論町役場から県道623号を南回りし与論小学校角まで向かい、南の町道へ右折すると「屋川」の洞井(湧水)はあるようである。
 画像提供は、(社)ヨロン島観光協会。「奄水」(アマンジョウ)とも所在図も、同協会「ヨロン島まるごとマップ」から。

      屋川 ヤゴー
(大島)与論町(与論島) 洞井(湧水) 永正9(1512) 町史跡 WEB 非現役 与論世之主(又吉按司)による与論城跡築城の際、来朝した沖縄の石積工が発見したという伝承/昭和45頃まで、城集落の飲料用水として利用されていた 2 C

 与論町教育委員会HPの文化財による説明は、次のとおり。

      屋川(ヤゴー)
 この地下のわき水は、与論世之主が築城時代より使用されたという説があり、城集落の生活用水として利用されていたが、水道施設がなされてからは使用されていない。 ちなみに、この流水は南海岸のウジジ浜に流れ出ている。

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                        奄水(アマンジョウ)  与論町麦屋

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。与論島の南東の赤崎海岸の近くにある小さな井戸。
 画像提供は、(社)ヨロン島観光協会。

      奄水 アマンジョウ
(大島)与論町(与論島) 湧水 大宝元(701)以前 町史跡 WEB 一部C改修 与論島に初めて人が渡来したとき、この水を発見し島に住みついたと言われている 2 B

 与論町教育委員会HPの文化財による説明は、次のとおり。

       アマンジョウ [天然記念物]
 与論島に初めて人類が渡来したとき、この水を発見し、それからこの島に住みついたといわれている。

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                        ジッキョヌホー  知名町瀬利覚

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。知名町役場から県道84号により北東へ向かうと、「瀬利覚」バス停の下にある。
 画像提供は、(社)おきのえらぶ島観光協会。

      ジッキョヌホー
(大島)知名町(沖永良部島) 石積井(湧水) 湧水量1907t/日 江戸期? 町有形民俗 WEB 一部C改修/昭和30年代まで現役/公園整備 集落の中央・地表近くに湧き出る島内最大の井戸/現在も集落のシンボルとして崇拝を受け、「ホーまつり」も行われている 2 B

 知名町HPの観光ガイドによる説明は、次のとおり。

      ◆ジッキョヌホー (Jkkyo-nu-ho *spring Serikaku)
 「ジッキョヌホー」とは「瀬利覚の川」という意味です。知名町の有形文化財・瀬利覚字指定民俗文化財に指定されており、 平成の名水百選にも選ばれました。
 水道が普及する以前は貴重な水源として住民の生活を支えていました。現在、飲料用としての利用はなくなりましたが、農業用水や子どもたちのあそび場などとして、瀬利覚字のシンボルとなっています。毎年7月には川への感謝をこめた「ジッキョヌホー祭り」が開催されています。

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                          諸 田 池  徳之島町諸田

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。天城町役場の北方、天城交差点から右折して、県道80号により島の東側、徳之島町諸田まで行く。諸田または次の諸田池バス停から西側へ入ると「諸田池」に出る。
 県道は諸田を過ぎると亀徳港に着き、夕方発のフェリー波之上により私は鹿児島新港へ戻った。

      諸田池 しょだ
(大島)徳之島町(徳之島) 溜池 寛文10(1670) 町史跡 WEB(みさき道人) /WEB 現在、南西糖業・徳和瀬工場の冷却用水施設/製糖期が終わると水が抜かれる/堰堤部C補強 薩摩藩の新田開発奨励策により、代官・伊地知筑右衛門が築造/嘉永4年(1851)、代官所の命で井之川の役人達が自費で池を掘り直したとの記録あり 3 C

 徳之島町HPによる説明は、次のとおり。

      諸田池  史跡区分 史跡  所在集落 徳之島町諸田
 諸田池は薩摩藩の新田開発奨励策にのっとって、寛文10年(1670)代官 伊地知 筑右衛門(いじち ちくえもん)の時に竣工しました。道の島(大島郡)で最初に施行された大事業でした。水面面積3町8反余(約3.7ヘクタール)の広さもあり、この貯水によって40町歩の田地が開発され、併せて諸田村に観音堂が初めて建てられました。これを機に藩の指導の下、島内全域で新田開発等が進められ、同時に農民の監視・指導にあたる横目といわれる島役人も配置されるようになります。また、1690年には沖永良部島にも新たに代官を置くなど、この頃から薩摩藩による離島支配の体制が徐々に変わっていきました。諸田池横のシキントウ墓に葬られている文書奉行 伊地知 重張(いじち しげはる。1692年死去)らによる系図や古史料調査・収集が始まったのもこのすぐ後のことでした。なお諸田池は周辺から土砂が流れ込み、貯水量が減ったことから、嘉永4年(1851)、代官所の命により井之川の役人たちが自費で池を掘り直したとの記録もあります。

 現在、南西糖業徳和瀬(とくわせ)工場の冷却用水施設として使用される諸田池は、製糖期が終わると水が抜かれ、渡り鳥たちの格好の餌場となる浅瀬が広がるため、野鳥観察の場としても知られています。

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                     古源泉(ふるげんごーいじゅん)  天城町松原

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。徳之島平土野港から県道
83、80、629号を直進して北上。天城町松原漁港近くの港橋まで行くと、橋脇に「松原神社 ふるげんごーいじゅん 約100m先左折」の案内板があり、松原神社まで標識に従い進む。
 神社境内に、「古源泉の由緒」を書いた銘板が立つ。「古源泉」とは神社後ろ側の町道沿いにあり、泉の形から「子宝泉」とされているものである。 

      古源泉 ふるげんごー、いじゅん
(大島)天城町(徳之島) 松原 湧水 古代 WEB(みさき道人)/現地解説板 保存状態良好/現役 航海安全の守り神として代々受け継がれてきた「神の泉」で、遣唐使への水の供給にも使われた 1 B

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