みさき道人 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”

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九州(沖 縄 県)

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                       なごみの塔の星見石  武富町武富

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港から島の中心、仲筋集落へ向かう。武富郵便局から西側の路地へ右折しまっすぐ進むと、赤山公園「なごみの塔」入口に出る。所在図参照。反対側の登り口のところに「星見石」は立つ。

      なごみの塔の星見石 ほしみ
(八重山)竹富町(竹富島) 赤山公園 天体観測石 不明 WEB 竹富島北部の與那国家の畑→昭和28移設 農作業の時期を知るための星の観測に用いられていた石 2 B

 HP「八重山の星見石」による説明は、次のとおり。

      赤山公園の星見石
 立石状の珊瑚石灰岩でできた星見石で、中央下に穴が開いています。かつては竹富島北部の與那国家の畑にあったそうですが、1953年(昭和28年)に赤山丘を公園として整備した際に移設され、現在は赤山公園(なごみの塔の下)にあります。
 この星見石の右側にはモルタルが塗られ、そこには「星見石ノ由来:往古ハ暦ナク草木ノ緑ノ模様星ノ出没ノ模様等デ春夏秋冬ノ季節ヲ定メ以テ作物ヲシタト言フ」と、記されています。

※この星見石は一時「石垣島川平の星見石」と混同されていた時期がありました。

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                           幸本井戸  武富町武富

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港から島の中心、仲筋集落へ向かう。武富小中学校前の乗合バス発着場広場のところは直進して坂道を上がる。幸本御嶽前を過ぎ、次の右車道角からレンタサイクル武富の方へ入る。柵のある畑内の草場右奥に「幸本井戸」はある。
 案内標識や説明板はないから、井戸の場所はわかりにくい。所在図参照。

      幸本井戸 コントゥ・カー
(八重山)竹富町(竹富島) 石積井(石灰岩、方形) 不明 町教委 非現役 階段部以外を石灰岩で覆った石積み井戸/上記の「仲筋井戸」に類似 2 B

 HP「竹富島のカー(井戸)」による説明は、次のとおり。

     16.コントゥカー
 仲筋集落の北西部に位置する、割と大きな井戸です。豊かに水を湛えた井戸で(特に雨後は水位が上がり池の様になります)、井戸に降りる石階段(約4m)もよく遺されています。
 家並みから少し離れた所に位置しています。訪れた時は、写真中央のマーニ(クロツグ)の花の甘い香りが辺り一面に漂っていました。 付近には、平成8(1996)年、国立歴史民俗博物館により調査された「フージャヌクミ遺跡」があります。同遺跡はコントゥカーを中心に発祥した幸本村に関係する遺跡と考えられ、八重山先史・古代編年の第三期に当ります。
 シチニガイ(節祭)では関係者による水恩感謝の祭祀と清掃が行なわれています。

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                           仲筋井戸  武富町武富

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港から島の中心、仲筋集落まで行く。武富小中学校前の乗合バス発着場広場のところに「仲筋井戸」はある。所在図参照。

      仲筋井戸 ナージ・カー
(八重山)竹富町(竹富島) 石積井(石灰岩、すり鉢状) 長径5m,深7.5m 不明 町教委 観光的整備 ひしゃげた円形をした、急勾配の石積み井戸/竹富島で最大の井戸/底に水が残る 2 B

 HP「竹富島のカー(井戸)」による説明は、次のとおり。

      10.ナージカー(仲筋カー)
 島のほぼ中心部にある井戸で、1976年に石垣島からの海底送水が行われるまでは、島内の飲料水の供給源として利用されていた貴重な井戸です。 大昔は、この井戸の水を使い稲作が行われていたそうです。
 この井戸には犬が発見したという伝説があります。それは、昔、犬を連れて井戸を探していた人が、犬のしっぽの先が濡れていることに気がつき、付近を探してこの井戸を見つけたそうです。 そのため、この井戸の石垣は犬が座った形に作られています。この井戸の水は、今では出産祝いの水や元旦の若水などに使われているそうです。

 現地説明板は、HP「竹富島の石碑・説明看板 (東集落・北&東)」によると、次のとおり。

      仲筋井戸(ナージカー)
 その昔、仲筋村の村建ての神である新志花重成(アラシバナカサナリ)が飼っていた犬が、干ばつにもかかわらず尻尾を濡らしていたことで、発見された井戸と伝えられています。島人は、正月の若水や産湯としてこの井戸水を利用してきました。
 一九七六(昭和五一)年に石垣島からの海底送水が引かれるまでは、飲料水の供給源として利用されていた貴重な井戸でした。

Naji Ka(Nakasuji well)
Legend tells that Naji Ka was discovered long ago when Arashibana Kasanari's dog, (kasanari is the deity who built Nakasuji Village), was found with its tail wet, although the island was suffering from a drought. Water from this well has long been used by islandsers to give newborn babies their first bath, and as wakamizu (the first water drawn on New Year's Day).
It was also important for islanders as drinking water until 1976 when an underwater pipe was laid to provide fresh water from Ishigaki Island.

※ 現在は周囲が塀で囲われていますが、当初はウリカー(降り井戸)でした。

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                           ミーナ井戸  武富町武富

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港から集落内に行き、武富郵便局角から東へアイヤル浜の方へ向かう。外周道路を横断したすぐ先右側に「ミーナ井戸」はある。所在図参照。

      ミーナ井戸 ミーナ・カー
(八重山)竹富町(竹富島) 洞井(湧水) 不明 町史跡 WEB/町教委 未整備 自然洞窟/細い竪穴式の井戸階段が付いているが、暗くて滑りやすくハブが出るため危険 3 C

 HP「竹富島のカー(井戸)」による説明は、次のとおり。

      9.ミーナカー
 ミーナカーは周回道路からアイヤル浜へ続くアイヤルミチに入ってすぐの南(右手)側、国仲原(フイナーバル)にある降り井戸で、手前右側の石碑には「ここを下った谷間に泉がある。往昔島人はこの泉を飲料水として用いたと伝えられている。」と記されています。 ミーナカーとは、神が見つけた井戸の意味です。その昔、女神・マリツと男神・ソコツが協力して掘り当てた井戸とされます。その後、人々が利用するようになり、井戸に降りる際は小石を2個投げて「マリツ・ソコツのミーナカー」と唱え水を汲みました。ひと昔までは、住民が冷たい清水を氷のうにするため、夜道を通ったそうです。1972(昭和47)年に竹富町の文化財(史跡)に指定されました。。

 現地の標柱、由来の碑などは、HP「竹富島の石碑・説明看板 (東集落・北&東)」によると、次のとおり。

      9.ミーナ井戸
記念物  ミーナ井戸
 ここを下った谷間に泉があった 往昔島人は この泉を飲料水として 用いたと伝えられている
標 柱  記念物ミーナ井戸
 (右面)竹富町教育委員会 (裏面)建設昭和四八年二月二八日 (左面)指定昭和四十七年八月三十日
由来の碑  この碑の前には、青い陶製の香炉が置かれています。
(正面)天降りめをと井戸ミーナカ マリツ女神ソコツ男神  此の岩屋に住み岩の底を掘りて ●所の清水を湧かしめて使用された これが竹富に初めての泉である
 これ以来この井戸に降りる時は 二神への合図として小石を二個 投下して井戸水を使用する 習慣になっている(伝説記)
 (裏面)一九六四年八月十二日建立  株式会社竹富牧場

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                           花城井戸  武富町武富

 サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港からすぐの公園先道路(「新里村遺跡」へ行く標識がある)により西に向かう。新里村遺跡内左奥に「花城井戸」はある。所在図参照。

      花城井戸 ハナックン・ガー
(八重山)竹富町(竹富島) 洞井(湧水) 不明 町史跡 町教委 非現役(水なし) 自然洞穴の奥にある 2 C

 HP「竹富島のカー(井戸)」による説明は、次のとおり。

      1.ハナックンガー
 大舛原(ホーシ)にある東新里村遺跡の西端、イシャーグチの道沿い(東側)にあるハナックンガー(花城井戸)は、島で最も古い井戸です。井戸の傍には「はなすく井戸」と記された石碑が建てられています。そしてその前には丸いサンゴ石をくり抜いた香炉が置かれています。
 島建てに関わる重要なウリカー(降り井戸)で、この井戸を中心に新里村は栄えたと言われています。 伝承では、昔、花城村の創始者・タガニドゥンの氏子の娘が新里村に嫁ぎましたが、村に井戸がないため里に戻ってきました。事情を知ったタガニドゥンは新里村で井戸を掘り、嫁いだ娘の記念として与えました。
神里村の井戸ですが、花城村の人が掘ったためハナックンガーと呼ばれるようになりました。

 現地説明板「新里村遺跡」は、HP「竹富島の石碑・説明看板 (東集落・北&東)」によると、次のとおり。

      竹富町指定史跡 新里村(シンザトムラ)遺跡  平成3年9月11日指定
 本遺跡は「花城井戸(ハナックンガー)」という井戸を中心にして、その東側と西側に広がる集落遺跡で竹富島の集落の発祥の地といわれています。
 昭和61年度・62年度に沖縄県教育委員会により発掘調査が実施され、遺跡からは大量の土器をはじめ、中国製陶磁器(白磁碗、青磁碗、褐釉陶器)、須恵器、鉄鍋、鉄製のヘラ、刀子(小刀)が出土しています。
 これらの出土遺物から井戸の東側は12世紀末〜13世紀、西側は14世紀に形成された集落であることが明らかになりました。
 井戸の西側、14世紀の集落には石積みが残っており、その石垣で囲まれた各屋敷と屋敷は通用門(出入口)で結ばれていて現在の集落とは異なった形態をなしています。
  [地図]     竹富町教育委員会

根志原(ニシャール)と大舛原(ホーシ)にまたがる新里村遺跡は、タカニドゥンが掘ったと伝えられている花城井戸(ハナックンガー)を中心にした集落です。現在の集落形態と異なり、竹富島の集落の変遷を知る上で貴重な学術的価値のある遺跡です。平成3(1991)年、竹富町の史跡に指定されました。


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