無題
貧困な人々との関わりのことマロロスで僕が初めて貧困だと言われる人々と出会ったのは2014年の3月のことでした。 マロロス通いを始めてから5年ほどが経過していたことになりますが、 その日は僕のレストランで朝から沢山の ビーフンを炒め、パンを買い込み、配給の準備をしました。 自分が出した資金で開店したレストランの厨房で、その資金をもとに購入した調理器具が活躍し、 レイモンドやラニーさんがビーフンを炒めていく姿を見て、 大きな感動を覚え、目頭が熱くなりました。 そして僕は、心の中で「よかった、よかった」と何度も繰り返したのでした。 いよいよ配給が始まる直前、出資者として僕はスピーチをすることになり、 レイモンドにタガログ語の原稿を作ってもらってそれを読み上げ、 大きな拍手をもらっていよいよ配給を行いました。 しかしその時僕、は集まった人々の衣類や足元を見て、 果たして本当に彼らが貧困者なのかと疑問を持ちました。 例えば、マニラのスモーキーマウンテン周辺のスラムを通ると、 汚れた衣類を着て、裸足で歩くいかにも貧困世帯の子供達であることを認識させられますが、 この時集まって来た子供達は小綺麗な衣類を着て、裸足のこどもはいませんでした。 世界各国で貧困な人々との関わりを持ってこられたある人が、 それぞれの国の文化の程度や貧困の度合いは、 足元を見れば分かりますよと教えてくれたことがありますが、 確かにその通りだと思います。 裸足が見当たらない彼らを見ながら、 もし彼らがマロロスでの最貧困層の人々であるということなら、 大きな支援はあまり必要ではないのだろうと思いました。 本当に支援が必要な人々は裸足の人々だと僕は思ったからです。 しかしその後も訪比の都度、 アントン氏やレイモンドの案内で貧困者が多いという集落をたずね、 菓子類などの配布を行いましたが、逼迫したものは感じることなく気持ちも楽でした。 ところがそれから数ヶ月して、 アントン氏が「文人さん、大変貧しい人々が住む地域がすぐ近所にありました。 議員になるまで全く知らなかったんですが、電気もガスも水道も何にもない地域で、 一日に一食食べられるかどうかという生活をしています。 一食といっても、ご飯だけとかご飯と醤油か塩だけという食事です。 どうかこれからはこの地域の人々に食事や菓子類の配給をしてくれませんか?」と話かけました。 そこで2014年の6月僕は初めて畑文雄さんと一緒にこの地域に足を踏み入れたのでした。 これまでマロロスでは見たこともない、想像を絶するような光景が目に飛び込みました。 細い竹の柱にブルーシートやビニール袋を巻きつけて作った小屋の中に、 大勢の家族が身を寄せ合って暮らしているのです。 この実態を見て僕はなんとか少しでも彼らの役に立つことを始めたいと決意しました。 そして、その次の年に計画している日本の高校生のマロロス派遣事業では、 必ずこの地域に学生を連れてきて、貧困の実態に触れさせようと思いました。 ところが、この僕の思いを知っていた畑さんは、 「多感な高校生をこの実態に突然触れさせたら、トラウマを生じるだけではないですか?と、 いささか消極的な感想を僕に伝えました。 しかし僕は彼の意見は聞くだけで、日本の高校生をこの地域に連れてくることを秘かに決め、 事業実施に向けて、ライオンズクラブの理解と協力が得られるような作戦を練り始めていました。 それとは別に、ビーフンや菓子類の定期的な配布にはそこそこの資金が必要であり、 その活動母体としてカワセミクラブという組織を立ち上げることにしました。 会の活動として最初に取り組んだのは、古着をはじめ不要な日用品を集め、 それらを現地に送り、レイモンド達がそれを売りさばき資金を得るという算段です。 このカワセミクラブという名前にはいささか由来があって、 僕が政治に関わっていた時代に、本当に気があう仲間と仲良し会を作っていて、 その会の名前をカワセミクラブと呼んでいたので、それをまた復活させたのでした。 カワセミという鳥は、獲物に狙いを定めると、
全神経をそれに集中させ、一瞬のうちに獲物を見事に捉えますが、 我々の活動が、一点に集中し、素早く行動して成果をあげるという願いも含まれています。 |








