T.F.Sルーマニア・ディヴェルス

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昨日、ニュース書庫で述べた、アドリアン・パウネスクは、1960年に詩人として文壇にデビューし、当時は期待の若手詩人のひとりでした。

1973年、『Flacara』という文学雑誌を発行し、それと平行して、自作と無名の若手のための詩の朗読会を主宰するようになりました。

さらに無名の若手フォークソング歌手などが、朗読の伴奏をしたり、詩にメロディを乗せて唄ったりするようになり、『Cenaclul Flacara(炎の文学クラブ)』と銘打って、定期的に会を開きました。
その会は口伝てに話題となり、パウネスクは自作の詩を朗読、彼に発掘された何人もの若手フォークソング歌手の歌と、通常の朗読会の域を飛び越えたものになっていきました。

パウネスク、若手歌手、そして若い聴衆が一体となったコンサートは、80年代になると、
『Generatie in Blugi(ジーンズ世代)』という若者のムーブメントとなっていきました。

このコンサートは、全国各地を巡り、各都市の若者にも熱狂的に受け入れられました。。。

定義が今一つわかりかねるのですが、『若者の自由』というニュアンスがあるようです。
舞台に立つ若い歌手たちは、長髪だったり、ヒゲを生やしたり、ジーパンをはいたりして、
「若者スタイル」の自由を訴えていたのかもしれません。

*****

YouTube動画をご覧になればおわかりの通り、詩の朗読と無名のフォークソング歌手だけのコンサートですが、すごい熱狂的なコンサートだと思います。これは何も、共産党国家によくありがちな、当局が音頭をとって行うコンサートではなく、強制されたものではない、本当にパウネスクの詩と歌手たちの歌を聴くためだけに集まった若者たちです。

1980年代というと、ルーマニアは益々、市民生活が困窮していく時期ですが、その苦しみから逃れるかようにこのコンサートは熱狂していったようです。

「たら、れば」の話になりますが、このコンサートでパウネスクが反共産主義、反チャウセスク的な言動をしたとしたならば、この時期に、革命か大惨事かのどちらかになっていたでしょうね。。。

それぐらい、このときのパウネスクはカリスマ性があったようです。
しかし、パウネスクは、チャウセスクにおべっかを使う人、チャウセスクを称賛している人と、
当時、一般に思われていたようで、当局としてもその心配はなかったのかもしれません。

いずれにしても、パウネスクは、詩人としてより、政治的立場において賛否両論があるようですが、彼が起こしたムーブメントは、現在もフォークソング歌手、ロック歌手として活躍している人たちを発掘、育て上げ、詩、あるいは文学を若い世代に読ませたこと(彼の詩集は合計で100万部以上売れています)は評価されるべきものだと思います。

後にも先にも、これほど熱狂した「朗読会」はないかもしれませんね。。。

***「Cenaclul Flacara」は1985年夏、プロイエシュティのコンサートの時、突風で舞台の一部が崩れ、5人の若者が死亡し、100人のぼるけが人を出してしまったため、それ以後の開催は中止されました。

Youtubeのどうがは、「Cenaclul Flacara」のドキュメント映像ですが、
Mishuさんお気に入りのシーンは、下の動画です。

アドリアン・パウネスクの詩『Ruga pentru Parinti(父、母のための祈り)』
を、このムーブメントに参加した無名フォークソング歌手で、
今日最も成功したシュテファン・フルシュカが自作曲で歌っているもの。





きみをさがした

詩集『戸棚の中に見つけたラブレター』からの翻訳第2弾です。

Mishuさんのルーマニア語能力では、

ストレートな表現の詩しか、翻訳できませんが、

こんな感じになりました。


きみをさがした

ほんのなかに、きみをさがした
ゆめのなかに、きみをさがした、
あんずのなかに、きみをさがした
 
なみだのなかに、きみをさがした
くものなかに、きみをさがした
とぶツルのなかに、きみをさがした
 
きみをさがした、きみをさがした
きみはどこへいったの
きみをさがした、きみをさがした
きみはどこにかくれたの
 
たぶん、
バランスの輪のなかの別の世界で、
ダンスに誘われるように、
列の一番前で、君を待つ・・・



***ルーマニア語原文***

Te-am cautat

Te-am cautat intr-o carte
Te-am cautat intr-un vis
Te-am cautat intr-o petala
de cais.

Te-am cautat intr-o lacrima
Te-am cautat intr-un nor
Te-am cautat intr-un zbor
de cocor.

Te-am cautat te-am cautat
unde te-ai dus
Te-am cautat te-am cautat
unde te-ai ascuns

poate in alta viata
intr-un cerc in balans
Te-astept in pragul serii
sa ma inviti la dans...


イメージ 1





今日、詩人本人が来て、2編の日本語翻訳詩を持っていきました。

思っていたとおり、日本語訳だけではなく、そのほか11言語ぐらいに自身の詩(任意)を訳させ、

それを原文のルーマニア語詩とともに出版するそうです。

ルーマニアでは、初めての試みだということで、かなり意気込んでいました。

そのほかの言語はどういう人が訳しているのか、ちょっと気になることですが、

Mishuさんのような素人が、訳しちゃっていいのかなぁ。。。

と、まだ不安に思っています。。。^^;

本は、来月末には出来上がるということで、私にも一部送られるというので、

その本ができたら、また、ブログにアップしたいと思います。


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生きるちから

以前の記事『戸棚の中に見つけたラブレター』で、
ルーマニア語の詩を日本語訳にすることを詩人から頼まれたことを書きました。
今日は、そのうちの一つがようやく出来ましたので、掲載します。


僕は死ねない

 
僕は死ねない、
秋の慈悲を乞いながら、
膝に落ちた枯れ葉の嘆きを
聞いたから
 
僕は死ねない、
道を失って彷徨う
鶴の悲痛な叫びが、
心に響いたから
 
僕は死ねない
悲しみをたたえた雪面を
太陽が接吻のように照らしたのを
見たから
 
僕は死ねない、
チコリの花が、煩悶の意味の無さを
笑っているかのように
聴いたから
 
僕は死ねない
夢見る乙女たちのブラウスの下から
熟したリンゴの芳ばしい香りを
感じたから



以下に、サツマーレの詩人、オヴィディウ・スウチウ氏による
オリジナルのルーマニア語詩


Eu nu mai pot smor
 
Eu nu mai pot sa mor –
am auzit
plansul frunzelor cazute in genunchi
cersind indurare toamnei
 
Eu nu mai pot sa mor –
mi-a biciuit inima
un strigat de cocor ratacit
 
Eu nu mai pot sa mor –
am  vazut
sarutul soarelui
pe obrajii tristi ai zapezii
 
Eu nu mai pot sa  mor-
am auzit
cicoarea  razand  in bobote albastre
 
Eu nu mai pot sa mor –
am simitit
sub bluza fetei visatoare
aroma de mere coapte.
 
 
de Ovidiu SUCIU


***ルーマニア語の特殊文字が、文字化けするので使用していません。***


翻訳後の、この詩に対する私の感想は、この写真です。


イメージ 1

写真で御覧のように、だだっ広い河原にポツンとある石灰質の岩。

いつから、どのようにして、このような風景があったのか、

憶測を呼ぶのに十分な、ちょっと奇妙な風景です。

こういうところには、必ず、言い伝えやら、伝説が存在するもので、

写真書庫で、先にお見せした、この「Piatra Teiului」といわれる岩にもそれがあり、

この辺りの人は、この岩を『悪魔の岩』と呼んでいるそうです。

太古の時代、神は、人間の盲目、上から下まですべての人の退廃、嘘、倦怠と偽善、羞恥心の欠如、猛禽と墜落、価値も尊敬もない尊大さを悪魔を前に嘆いていた。
悪魔は、罰として、洪水が起こるくらいの大雨を人間に降らすことを提案した。
神と悪魔が合意に至ったあと、悪魔は大きな翼を広げ、それを実行するために大気の中へ飛び立った。。。

ビストリツァ川の切り立った岸の、ブハルニツェの上方の砕石の頂上で、一人の羊飼いが、オピンチを乾かすための薪の火が激しくにゆれるのに目を覚まさせられた。羊番の犬は、怒ったようにとどろくような遠吠えを始めた。それは、すざましい恐怖の表れでもあった。

ふるえる山の木魂が、山を目覚めさせたように、断崖から断崖に反響していった。 
羊飼いは、何かおかしいと思いながら、十字を三回切り、近辺を見渡した。
チャフラウ山の頂上を、魅惑されたように視線を集中した。

月が、岩のほうへゆっくりゆっくり落ちていく。谷は、暗闇の中に沈殿していた。
わずかに、チェフラウ山の頂上の草木のない部分だけに光が当たって、夜の影の中に白いものが動いていた。チャフラウ山の冠のような岩の端に誰かが座ったり、寝そべったり、また右手だけで岩の塊に寄りかかったりしていた。目からは火花が散り、その火は山や谷をさまよい、悪意に満ちたものだった。彼の影は、ハンガリー国の山の尾根を取り囲むような、一番高い岩山を塗るように伸びていた。

夜は遅く、一日が明けようとしていた。
おおきな音を立て、影はたちあがり、急激な動きをした。悪魔は羽を広げ、岩を軽く揺らしながら持ち上げ、チェフラウ山の上にしばらく浮遊した。彼が、ビストリツァ峡谷の方へ向かったとき、峡谷中に鋭い音が鳴り響いた。それは、オンドリの朝を告げる鳴き声だった。オンドリが泣く前の夜は悪魔が活動できる時間だったが、夜が明けると、悪魔は震えだし、魔力を失ったため、手にもつ岩はあまりにも重く、下へ落としてしまった。

3日3晩、怒りの雨が降り続いた。ビストリツァ川の本流は氾濫し、村の家々を襲い、もみの木を粉砕し、巨大な樫の木の幹もずたずたにした。ただ、悪魔の落とした岩だけがそれに逆らうようにそこに佇んでいた。時々、気味の悪い夜に、悪魔がこの岩の頂上に座っている。そのときは、魔法にかかったように、沈黙とすべての明かりが消えた闇の夜だった。


この伝説は、アレク・ロッソという、ルーマニアの文学者が、この地方を旅した時に村人から聞いたものをエッセイの中で、発表したものです。

その他、『この岩は夜になると少しづつ動いている、それは悪魔がこの岩のどこかに隠れて動かしている』とか、
『この岩の頂上まで登った人はだれもいなく、皆、頂上に到達する前に岩から落ちて死んでいる』とか、いう言い伝えもあります。

イメージ 2




昨日、ヴァシーレ・ルカチウの記念館へ行ったとき、

彼が書斎として使っていた部屋も、当時のまま保存されていました。


イメージ 1

イメージ 2


そしてそこには、19世紀後半の新聞縮小版が展示されていました。

これは、『Tribuna(トリブーナ』という、当時のトランシルヴァニアの中心都市、

シビウで発行されていた新聞でした。

創刊したのは、ルーマニアの19世紀の大作家、ヨアン・スラヴィチでした。

1884年発行ということですが、日本の朝日新聞が、日本の新聞で初めて縮小版を発行したのが

1919年のようなので、30年以上も早く発行されていたのですね。。。

この新聞は、現在もシビウで発行されています。

もう一冊のほうは、『トランシルヴァニア』という雑誌です。

別の棚には『Ovserbator(オブザーバー)』の縮小版がありました。


2番目の写真の見開きの縮小版の手前のページの下段に列車の時刻表がのっているのですが、

すべて、ハンガリーのブタペスト発、というのが、

当時のトランシルヴァニア地方の現状を表していますね。

終点駅はプレデアールとなっていましたが、あの辺りがオーストリー・ハンガリー二重帝国と

ルーマニア王国の国境だったのですね。。。



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