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FBを通じて、30年近く音信のなかった、大学時代の友人たちと再び、繋がりました。
日本に住んでいれば、30年も音信不通とか、そういうことはなかったかもしれませんが、、、
嬉しかったですね。。。
私も、FBを始めたころは、彼らを検索したんですが、
その時はだれ一人見つかりませんでした。
みんな、最近FBをはじめたらしいです。
まあ、俺らの年代じゃ、しょうがないかな。。。^^;
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思い出amintire
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今日のサツマーレ市は、朝から雪がぱらつき、時どきその勢いが強くなったりしても、 一向に積る気配がなく、道などは普通の曇りの日のように乾いたまま。。。 「あの日も、ちょうどこんな天気だったな、月は違うけど…」 かぼそい雪を窓から眺めながら、ふとあの時のことを思った。。。 1990年、初めてルーマニアの首都ブカレストに着いたときのことを… ブカレスト北駅 (写真は古いのですが、ほとんど同じ立ち位置で私も駅を眺めた) シゲットの駅で知り合い、ブカレストまで一緒に旅をした、革命兵士のS君とその通訳をした彼女そしてボクは、朝6時ぐらいに到着をした。ロマン市へ行くという母娘は、途中のブラショフで、乗り換えのため既に降りていた。Vさんは、あれ以来全く見かけなかった。途中で降りたのか、ブカレストまで来たのかさえ分からない。 朝の駅構内は、各地からの到着客、これから地方へ出発する客で賑わっていた。S君は、すぐに目的地へ行っても早すぎるという理由で、通訳の彼女は迎えの人が来るのを待つという理由で、ぼくはホテルを探さなければならなかったが、やはり早すぎるような気がしたので彼らに付き合って待合室へ行くことにした。 待合室も混んでいて、最初は座る場所がなかったが、しばらくしていくつかベンチが空き、旅の疲れで重たい体を落ち着かせた。S君は、お別れに自作の詩を披露するというので、通訳の彼女にその詩をぼくのために書き取らせながら、朗誦した。もちろん、意味は全く分からない。でもルーマニア語のイントネーションが妙に心地よかった。ぼくの手帳に書き取られたS君の詩を見ながら、通訳の彼女ができる限り英訳をしたが、今ではどんな詩だったか覚えていない。通訳の彼女のお迎えが来て、ボクたち3人は待合室を出て、そして別れた。 ボクは、S君に教えてもらった、駅のすぐ近くにある安ホテルにチェック・インした。荷物を置き、コーヒーを飲みたいと思いホテルのレストランへ行こうとしたが、レセプションの人に、ここにはレストランはないから隣のホテルへ行けと言われ、ここのホテルより規模の大きいホテルのレストランへ行った。 月曜の、朝早い時間帯にしては人がかなりいた。ボクが空いているテーブルに座ろうとすると奥のテーブルから、ボクを呼ぶような声を上げた、少し肥った色黒の中年男が手招きをした。彼の向かいにも男がひとりいたが彼はこちらを振り向こうともしなかった。ボクは彼らのテーブルに近づき、肥った男に言われるまま彼らのテーブルへ腰かけた。 彼は片言の英語を話し、いろいろ質問してきた。そして、日本人だということが分かると、にこやかな顔がさらに明るくなったように思えた。ウェイターが注文を訊きに来たので、ボクはコーヒーを頼んだ。すると男は、それだけか、というような顔をし、自分たちが注文した飲み物やら食べ物を指さしながら、これうまいぞ、お前も注文しろとでも言うようにボクのほうを見た。そして、ウェイターを呼び何か話をしていた。ぼくのコーヒーが運ばれてきた。ここでも、あのドロドロしたトルコ式コーヒーだった。 肥った男は、自分たちはトルコ人で、ビジネスでルーマニアにいるということを言っていた。しかし、どう見てもボクたちが普通に想像する「ビジネスマン」の出で立ちとは程遠い恰好だった。革ジャンにジーパンだった。もう一人の男は、肥った男より少し若く見えたが、青い瞳で色白だった。この男は肥った男とは打って変わって、あいそうがなく、ボクのほうを見ることもなくどこか一点をただ見つめていた。ときどき、肥った男の話にうなずく程度でとても寡黙だった。 ウェイターが僕たちのテーブルにワインや食べ物を運んできた。そして、ワインのラベルを指差しながら肥った男と話し合っていた。そのとき、ボクは『ジャポネズ』という単語を聞きとった。 「もしかしたら、こいつらボクに支払いをさせようとしているのではないか」と少し、いぶかった。 ボクが彼らのところに来てからも2回ぐらい何かを注文をしていた。 コーヒーを飲み終え、ボクは席を立ちウェイターのところへ行き、コーヒー代を払って、レストランを出ようとすると、肥った男はあわてて、『どこへ行くんだ、もっといろ』とでも言うように何事か言っていた。ボクはそれを無視してレストランを出た。出際に振り返って彼らを見た。肥った男はがっかりしたように肩を落とし、下を向いていた。 |
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ロマン市に住む母子 第15回 ブカレスト行きの夜行列車が、入線した。 それを待って乗客が先を争うように乗り込み、列車内はすぐに人でいっぱいになった。ボクは、ゆっくりしたいと思い、チケットは一等のコンパートメントを買っていた。代金も、ブカレストまでの約700キロが、東京のJRや私鉄の数区間分だった。(闇両替での計算) 革命兵士のS君、ツイカのVさんそして彼らの「通訳」の彼女は、2等のチケットだったが、ボクのコンパートメントに乗り込んできた。ボクの6人がけコンパートメントには、5歳の女の子を連れた若い女性がいただけだったので、それが可能だった。 ボクは、待合室で訊きそびれた、S君のブカレストでの武勇を尋ねた。 ブカレストでの異変は、ヨーロッパ・リベラ、ヴォイス・オブ・アメリカなどのラジオを通して、徐々に各方面へ伝わり、救国戦線側がテレビ・ラジオを抑えると、一気に全国へ波及し、各都市では人々が町にでて、「Jos Ceausescu(チャウセスク打倒!)」、「Jos comunist(共産主義打倒!)」のスローガンが歓呼され、異様な熱気に包まれた。その熱気は、たくさんの地方の若者達をブカレストへと向かわせ、S君もそういう若者の一人として、シゲットからブカレストへ向かった。夜行列車は足の踏み場もないほどの人々で溢れ、S君は網棚の上に一晩中乗って行った。ブカレストでは、地下鉄のホームに寝泊りし、救国戦線側の軍隊兵士について、実際にチャウセスクの兵士=秘密警察と銃撃戦を展開したらしい。 列車はすでに発車していて、立ち席の人々が通路にたくさんいた。切符のコントロールの声が聞こえた。S君と「通訳」の彼女は、あわててコンパートメントを出て通路に立った。車掌は、S君達が一等のコンパートメントにいたことは分かっていたようで何事か話しながら、ニヤニヤして彼らの切符をチェックした。車掌が意地汚いやつなら、彼らは多少のお金を払わなければならなかったかもしれないがそれは無く、僕らのコンパートメントのドアのところに立ち、「ほー、日本人かー」というような顔をしながら、ボクたちの切符をチェックし、別のコンパートメントへ移った。S君たちは再びコンパートメントに入ってきた。Vさんは、ずっと通路に立っていて、彼の知り合いの人と話をしていたが、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。 女の子を連れた女性が、この子の写真があまりないので撮ってくれないかということを「通訳」の彼女を通して訊いて来た。ボクはもちろん快く引き受けたが、肝心の女の子がとても嫌がった。女の子のお母さん、「通訳」の彼女とで一生懸命説得したが、なかなか上手くいかなかった。しまいには泣き出してしまった。それでも、お母さんは諦めず、女の子を膝に乗せてあやしていた。しばらくして女の子は泣き止み、頃合いを見計らって、「通訳」の彼女に女の子をカメラのほうへ向けさせるように頼んで、ボクのほうを向いたその一瞬にようやく撮影できた。このお母さんは、ロマンというモルドヴァ地方の中都市に住んでいるのでそこへ送ってくれるよう、ボクの手帳に住所を書いた。彼女は、その町のの裁判所で働いているらしく、日本の裁判制度についていろいろ訪ねてきた。残念ながら、ボク自身詳しいことは知らなかったし、英語での説明もほとんどできなかったので、「通訳」の彼女を通してどれくらい伝わったのか分からなかった。 一等のコンパートメントの座席は、腰掛の部分を引き出すことができ、足置き場の中央部分で向かいの引き出した腰掛に合わせ、簡易ベットになった。六席全部を引き出すと足の置き場が無くなり、皆靴を脱いで足を伸ばさなければならなかった。煙草を吸うボクとS君は通路側に寝そべり、ボクの隣に「通訳」の彼女、窓際に女の子とお母さんが寝そべった。本来、夜行の場合は、このコンパートメントは3人だけなのだが、僕たちは5人だったのでちょっと窮屈な感じはあった。 照明が消され、皆それぞれのコートや上着を上に掛け眠りに就いた。しかし、ボクと「通訳」の彼女は、その後もかなり遅くまでいろいろな話をした。車窓から入る月明かりは、僕たちが小声で話すのに十分な明るさを持っていた。 明日は、いよいよルーマニアの首都、チャウセスク政権崩壊の地ブカレストだ・・・。 |
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革命兵士のS君とツイカをくれたVさん。 第14回 予定していたイザ川沿いの村々へ行くことができずに、小さな町のシゲットに2日もいるのは退屈だった。ホテルのレストランでチョルバを食べ、コーヒーを飲んでいるときに一人の男が、僕の席に腰掛けいろいろ話しかけてきたが、ほとんど分からなかった。でも、「家に来い」ということは身振り手振りでなんとなく理解して、退屈しのぎに彼の後についてレストランを出た。 彼の家は、鶏などの家畜がいる小さな庭がある、平屋のさほど大きくない家だった。彼の父親らしい初老の男、彼の兄弟らしい小学生の男の子と女の子がボクを迎え入れた。彼は25歳ぐらいだったと思うので、ずいぶん年の離れた兄弟だな、と思った。シク村でご馳走になった家同様、彼らもそれなりにいろいろな食べ物をボクに振る舞ってくれた。しかし、彼の母親、あるいは奥さん(彼が結婚していればだが)の姿はみることはなかった。仕事で留守にしているのだろうと思って訊いてみたりもしたが、よく分からなかった。 ***彼らの写真を撮ったのは確かだが、そのほかは、女の子から少し黄ばんだ小さなウサギのぬいぐるみを帰り際にもらったことぐらいで、ここでどんなこと、どんな話をしたのか、今ではまったく思い出せない… ホテルまでボクについてきた彼は、何か言いながら、なかなか帰ろうとはしなかった。 彼のその様子を見て、(ああそうか、何か見返りがほしいのか・・・)と察した。彼をホテルの入り口で待たせ、部屋からKentを持ってきて、2箱渡した。彼は、さほど喜んだという風でもなかったが、一応笑顔を作り、そこを立ち去った。 (現金が欲しかったのかな・・・) 翌日は、もう旧市街を散歩するのにも飽きていたので、チェックアウト時間ぎりぎりまでホテルにいて、早めに駅へ行き、そこで夕方の夜行列車を待つことにした。 駅舎につくと、昨日の切符売り場の若い女性駅員が窓口の向こうから挨拶をした。ボクも軽く会釈をし、ホールの、駅のホームへ行く出入り口付近にあった時刻表で、列車時間の確認をした。 「ジャパン?」 後ろから誰かが言ったので、ふりむくと、スラリとした背の高い若い男が立っていた。 「ロマネシュテ?(ルーマニア語は?)」 「ノー」 彼は少し困ったように考え込んだ。どこからともなく、こんどは中年男が来て、彼に何か聞いている。二人は何かを話し、辺りをきょろきょろした。彼は、駅舎ホールの隅に立っていた若い女性に何か言った。彼女はボクたちのほうへやってきて、そして、英語でボクに挨拶をした。 「彼がどこへ行くのかって訊いているわ」 「夜行で、ブカレストへ行くけど…」 「彼も同じ列車で、ブカレストへ行くそうよ」 ボクは若い男を見た。しかし、彼は荷物らしいものをなにも持っていなかった。 「彼、何しに行くの?」 「彼は、革命兵士なの、それでその集まりがブカレストであるらしいわ」 「ええ!革命兵士?」 彼女の通訳を訊いた彼は、手に持っていた賞状のようなものを僕に見せた。 それには、3ヶ月ちょっと前のルーマニア革命に尽力したことの感謝が書かれ、最後に当時の救国戦線議長の、イオン・イリエスク(後の大統領)の署名があった。 ボクは、この時初めて、あのルーマニア革命がテレビの中のものではなく、実際のものであるという実感がわいた。彼に何かを質問しようとしたとき、今度は中年男が、彼女の通訳を介して訊いてきた。 「オレ、日本人の友達がいる」 彼は紙切れを広げ、それをボクに見せた。 『Kosei Miya』と書かれ、日本の住所と電話番号も書かれていた。 「あなた、この人知っている?」彼女が訊いた。 「うん。知り合いじゃないけど。彼は、エッセイストで、写真家で…」 ボクは、みやこうせい氏について話した。それを聞いた中年男は、少し誇らしげになった。 彼は激しい手振りで、待合室のほうへボクを誘った。 ボクは、彼女に訊いた。「何があるの、いったい・・」 彼女は少し笑って、「まあ、いいから、いいから、行きましょう」とだけ言った。 ボクと彼女と革命兵士の若い男は、中年男の後に従って、待合室へ入った。 小さい待合室は人でいっぱいだった。ほとんどの人がどこかの村人のようだった。 中年男は、椅子に置いてあった自分の荷物から、何のラベルもない1リットルビンを取り出し、一口、グィと飲み、ボクの前にそれを差し出した。他の人々も好奇心でこちらを見ていた。ボクは彼女に「これ何、サケ?」 「ええ、そうよ。気を付けなさい、強いから・・」 ボクはひと口飲んだ。カーッと体が熱くなるのを感じた。パリンカ(ツイカ)はシク村で経験していたが、これはもっとアルコール度が強かった。周りの人々は、しかめっ面の僕の様子がおかしかったのか笑っていた。 「それ、50%以上あるそうよ」彼女も少し笑っていた。 中年男はもう一口いけ、という仕草をしたので、ボクはもう一口だけなら、と思い、通訳の彼女が「止めなさい、倒れちゃうわよ」と、止めるのを無視して飲んだ。周りは、やんや、やんやの騒ぎ、そして笑いで溢れた。 ***このとき、S君とVさんの通訳をしたのが、後の奥さんです。。。。^^; 奥サンもこのとき、やはりオイラと同じ列車でブカレストへ行くため、シゲットの駅にいたのですが、普通なら、彼女はこの駅ではなく、サツマーレから行きます。 彼女は急な出張だったらしく、たまたま、彼女の知り合いがシゲットへ行く用があり、シゲットのほうが時間的余裕もあったため、彼女はその人に便乗してシゲットにいたということを後で言っていました。。。 |
第13回 もう4月なのに、この日は小雨も降り、寒く、吐く息は白かった。 バスの切符売りの建物には、時刻表を見たり、待合室のようなちょっとしたスペースに座っていたり、発券窓口のまえに立っていたり、どこかの村人と思えるような人たちが数人いた。皆、疲れたような、困ったような、あきれたような、どこかさえない表情だった。 彼らの表情、この場の雰囲気で、なんとなくバスは出ないなと思った。発券の窓口に行った。小さな木枠の、内側から白いカーテンが引かれたガラス窓は閉まっていた。そばにいた村人と思われる、民族風デザインのスカーフをかぶった中年の女性が何事かを言いながら、けだるそうに首を横に振った。 『何分も待っているのに、窓口が開かない』とでも言ったのだろうか・・・。 ホテルのレセプションの人が言っていた事は、本当のようで、ボクはあきらめて列車の駅舎へ行き明日の夜行列車の切符を買うことにした。 ***あとから考えればヒッチハイクという手段もあったのですが、このときは、ヒッチハイクが交通事情の悪いルーマニアでは日常化していたことを知らなかったので、シク村のヒッチハイクはただのラッキーだと思っていましたから、そこまで頭が回りませんでした。*** 窓口に、行き先と、発車時間を書いた紙切れを差し出した。言葉の通じない国ではよくそうしていた。窓口の若い女性の駅員は、「ジャポネーズ?」と訊いてきた。ルーマニアヘ入国してから、ボクを見て、最初から「日本人か」と訊いてきたのは、はじめてだったので少し驚きながら頷くと、笑顔の若い駅員は、奥にいた中年女性の駅員にそれを言った。中年女性は、やりかけの仕事をとめることもなく、『ア~ア〜、ジャポネーズ、ジャポネーズ・・・』とトーンの低い、もう聞き飽きたというような、けだるそうな声で返事をした。 ボクは、これまでは「中国人」とばかり訊かれていたから、少しうれしくもあった。 ***マラムレシュの村には、日本人がよく訪れているようで、その拠点のシゲットでは、他のルーマニアの都市に比べ、日本人がさほど珍しい外国人ではなかったようです。共産党時代はよく知りませんが、革命後数年間は、日本のTVでも政治社会面のニュース以外にバラエティークイズ番組や、タレントなどがルーマニア人と触れ合う旅などの番組がけっこうあり、特にマラムレシュ辺りはよく紹介されていました。その関係かどうか、マラムレシュには、日本からの旅行者が多く、特に年末に行われる民俗仮面行列祭には毎年のように日本人観光客が訪れているようです。その証拠に、シゲットには1994・5年ごろから、ルーマニアで唯一、円でレイへ両替できるエキスチェンジオフィスがありました。*** 町に戻って、市内をぶらぶらした。道路の真ん中に教会と小さな公園があり、そのため道路が町の中を二本通るような状態になり、それぞれの道に歴史的な建造物が整然と並んでいた。僕が宿泊したホテルもその一角、教会の向かいにあった。旧市街と思われる建物が続くのは500メートルほどだった。ボクはその道を行ったり来たりした。寒かったので、博物館にでも入って、一休みしようとも思ったが、それらしきものが見つからなかった。公園に、民俗博物館の案内板はあったのだが・・・。 教会の裏手にあった建物の窓に「PIZZA」とかかれたところがあった。ちょうどおなかも空いていたのでお店かレストランなのか外観からはよくわからなかったが、中に入った。 かなり広かった。客がいないせいかガランとした寂寞感があった。昔、日本の安食堂などにあったようなスチール製の椅子やテーブルが少し乱雑に配置されていた。奥のガラスケースのカウンターに若い女性がいた。入ったときには気づかなかったが、3人の帽子をかぶった髭面の男達がカウンター近くのテーブルにいた。カウンターの女性はにこやかに挨拶した。白のブラウスに黒のズボンというシンプルな格好で、髪は黒いが、大きな愛くるしい瞳は鮮やかなブルーだった。 「ピザを下さい」とボクは言った。 しかし最初は分からなかったようで、僕は何度も「ピザ、ピザ」といい、ようやく彼女もボクの注文を理解した。にこやかに頷き、「空いているテーブルに腰掛けろ」とでも言うようにテーブルを指差した。ボクは先ほどの3人の男達の近くのテーブルに腰掛けた。 ピザを待っている間、先客の3人の男が、 「ヘイ、チャイナ、チャイナ」とボクを呼んだ。 ボクは首をふり「ノー、ノー」といった。 「ヘイ、ジャパン、オレ達を写真に撮ってくれ」と彼らの一人が言った。 ボクは、面倒くさいナーと思いながらも、彼らのスタイルが少し変わっているので、撮影することにした。黒の、ふちの広いテンガロンハットのような帽子、黒のジャケット、顔には豊かな口ひげ・・・ (たぶんロム(ジプシー)だな・・・) 彼らはちょっとポーズを作り、一人はマールボロを口にくわえ火をつけようとするポーズを作った。 カウンターの子が、皿にのった「ピザ」をボクの前に置いた。その四角い黄色っぽいものを見て、少し戸惑いながら彼女を見た。彼女は上体を曲げ、テーブルに両ひじを着きニコニコしていた。 「これ、ピザ?」 彼女は「そうそう」というように何度も頷いた。僕は、苦笑いをして、再びその黄色い、四角の厚みのあるものを見た。グリーンピース、コマぎりにしたニンジンがあるのはわかった。黄色くなったのは、マヨネーズみたいなものだった。しかし、ベースは蒸しパンみたいなパンだった。 シゲット市の博物館や、記念館でオイラが行った事があるのは、 いまのところ、ブログでも紹介した、ここだけです↓↓ また、年末に行われる民俗仮面行列際は、 「近いからいつでもいける」と思っていたのが間違いで、 まだ行った事がありません。。。^^; 今年はぜったい行くぞー! |






