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皆さまこんにちは。
昨年朝霧高原さまのブログを拝見していて、雪の御殿場線を行く小田急から乗り入れMSEのスカイブルーのお写真「雪晴れの朝」を拝見して、どこかで見た覚えがあると思い、小生の昔撮影したポジを繰って見ました。 雪の大糸線のが出て来ました。 また、朝霧高原さまからいただきました返コメ >サハシ付きの165も走っていたんでしょうか?見てみたかったです。 この写真も撮影しておりましたので34年前とかなり古いものですがご披露したいと思います。 まずは大糸線旧型国電最後の冬の画像から 大糸線旧型国電6連 クハ+クモハ54 101+サハ45+クモハ+クモハ+クハ55 1981年3月撮影 見づらいですが、左の先頭クハはサロハ改造で窓の割付が非対称です。左から2両目は唯一の押し込みベンチレーター改造車なので、仙石線の陸前原ノ町区から転入のクモハ54 101とわかります。その隣は横須賀線のサロ格下げのサハ45、クモハ2両を挟んで右端の先頭車はサハ57先頭化改造のトイレ付きクハ55 430番台でしょう。撮影メモが出て来たら車番入れます。 北アルプスの麓を、吊り掛けモーターの音を響かせながらのんびり走っていました。 今度は佐野坂の分水嶺を越えて、信濃大町以北の姿 信濃大町以北に乗り入れる旧型国電の本数は少なく、特に長い6連は貴重で、時間を選んで撮影した記憶があります。この区間は ポジのコダクロームで撮っていたのは我ながら偉いと思いますが、雪+夕方の悪条件で色合いも厳しいですね ピンが全く来ていないのでお蔵入りしようかと思いましたが、雰囲気だけ感じていただければと恥を忍んで掲載します モノクロで撮影したものは、きちんと写っていたんですがねえ。 大糸線は松本付近では山が遠いのですが、北上して信濃大町が近づくに従って接近して来ます そして朝霧高原さまのコメントにあった急行アルプス 当時の標準的な仕様として、急行ながらサロ2両とサハシを連結しています。 見づらいので他の列車でアップ 左端にちょっと見えているのがサハシ、中央と右2両がサロですが、G帯が消されつつある過渡期が珍しくて撮影したものと思われます。ただ、トレーラーが3両も続くと、密連とはいえ発進などの時の衝撃が強いはずで、運転には神経使ったはずです。 サハシでは中央東線内でそばを食べた記憶があります。 今回スキャンしていなかった大糸線旧型国電の画像もありますので、後日修正でここに付け加えるか、別に掲載したいと思います。ご覧いただきましてありがとうございます。 |
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こんにちは
34年前の写真ですか。
この頃は6両編成なんですね。
白馬のスキー場帰りに撮りはったんですか。
2015/3/16(月) 午後 5:42 [ プリウス おじちゃん ]
こんばんは
これら旧型国電の所属は長キマだったと思いますが、今は随分周辺の姿が変わってしまいましたね。
2015/3/16(月) 午後 7:45 [ takekyu ]
こんばんは。
サブブログもお持ちだったとは、今日分かりました(汗)
写真でしか見たことがない、スカイブルーの旧国。
しかも6連で走っていたんですね。
急行アルプスもサロ、サハシが入った王道の編成で痺れます!
2015/3/16(月) 午後 8:05 [ 特別急行 ]
プリウスおじちゃんさま、こんばんは。
ええ、34年前の写真です(笑)
大糸線は飯田線みたいな短編成は少なく、基本4両編成、これに2両増結して6連が長い列車でした。夕方の松本発の下りに、4+2+2の8両編成というすごいのが1本だけあり、たまたま訪れた日に荷電のクモユニ81を除き唯一の両運車クモハ40 077が先頭でやって来た時は感動ものでした。これはあいにくモノクロしかありません。
これはスキー帰りではなく純粋な撮り鉄旅行で、北陸周遊券を使って北陸線のEF70の客貨、485ボンネット、475系、城端線のDE10、氷見線気動車、富山港線のスカイブルー73系、高山線DD51を撮影の途中で、糸魚川から南小谷乗換えで入り込んで撮影したものです。早春賦の曲の発祥の地この安曇野で雪解けの季節に旧型国電を堪能しました
2015/3/16(月) 午後 11:51 [ ミスター54c ]
takekyuさま、こんばんは。
さすがお詳しいですね、大糸南線の前身、信濃鉄道以来の北松本区にも撮影に行きました。狭い構内には貨物ホームなどもあって賑やかでしたが、115系1500湘南色の新製車に置き換えられてからしばらくして松本運転所に統合されて北松本区は更地になってしまい、こんなに狭隘な土地にあったのだと改めて驚きました。
あずさで幕張区の183系も白馬まで乗り入れて来ていましたね
2015/3/16(月) 午後 11:57 [ ミスター54c ]
特別急行さま、こんばんは。
メインブログは北海道のDL貨物でやっていますので、その他のネタは基本こちらにしていますが、ごった煮なので統一したテーマがありません(笑)
大糸南線の走る安曇野は、比較的人家が散在していて乗客も多く、身延線や飯田線にくらべ連結両数も多かったです。朝のアルバイト運行で、一往復が松本を越えて、篠ノ井線を塩尻まで乗り入れていました。
信越線の169系急行信州は横軽通過のため連結両数に制約がありましたが、中央線のアルプスは優雅にサハシ+G車2両連結でした。もっとも乗客はもっぱらあずさの方が多く、末期のサハシは客が少なくがらんとしていました
2015/3/17(火) 午前 0:04 [ ミスター54c ]
※ まつしまさま、 押忍番長 さま、 特別急行 さま、 ふみきりマン さまほかナイス!いただきました皆さま、ありがとうございました!
2015/3/17(火) 午前 0:10 [ ミスター54c ]
毎日楽しみに拝見。常総線のキハ35スカイブルー塗装も3月下旬にフィリピンへ。お世話になったキハ35、しかし、スカイブルー車が走てきたは驚愕でした。
79年3月に一度急行白馬に乗車。行きは金沢よりの3両に乗らないと大変なことに。当時、白馬号に連結は白雪号だったのでしょうか。
2015/4/3(金) 午後 7:32 [ mom12 ]
すみません。やっとお邪魔する時間が出来ました。遅くなってしまい大変申し訳ありませんでした。
弊板の作品とイメージが重なります。というか元祖のお写真を発掘していただきありがとうございました。これはこれはお見事な大糸線。そして私が見たかったサハシ165の姿です。覚えていていただき感謝しております。またいい物を見せていただきました。もう見られない風景を見せていただくきっかけになり私も感謝しております。
2015/4/5(日) 午前 6:46
mom12さま、こんばんは。
拙いブログを毎日ご覧いただき恐縮です。常総線のキハ35はフィリピンですか! 一時転勤で常総線沿いに住んでいた事があり、当時はオリジナルの社型キハ500型・800型も健在でした。車両基地も水海道駅に隣接した狭い車庫の時代で、肥前山口などの方向幕の国鉄キハ35系がぞくぞく転入してきつつありました。その頃を思い出しました
急行白馬にお乗りになったのですね! 金沢−青森間運転の長距離昼行急行「しらゆき」に糸魚川まで併結で、乗り間違えると大変でしたね。しらゆき、上りが金沢に到着すると、まだ乗客の降車が済んでいないうちに車内の照明を落として非常灯だけにしていたのを見たことがあります。もちろん高架化前の金沢駅です。
大糸線で当時南小谷以南に乗り入れる気動車列車は、松本行きのキハ58系急行白馬と、ローカル気動車の朝夕信濃大町行きだけでした。
2015/4/9(木) 午前 1:52 [ ミスター54c ]
朝霧高原さま、こんばんは。
山をバックにした雪景色を行くスカイブルーのしかも同じ6連! ここまで一致しているのが驚異でした。ポジを発掘するのに時間がかかり、お待たせしてしまいました。御殿場線は四季それぞれ趣があっていいですねえ。
サハシ165、編成写真には写っていますけど、アップでは片隅しかなくて済みません。恐らく当時、付いているのが当たり前のサハシには興味がなく、G帯が消されて行くサロに興味が行ってしまったのだと思います。
お褒めの言葉ありがとうございました!
2015/4/9(木) 午前 2:02 [ ミスター54c ]
こんばんわ。
旧国の南小谷への直通列車は少なかったのですね。晩年の115系も信濃大町以北への直通はなしでした。
165系急行アルプスに、サハシも連結されていたとはまだ急行列車も活気があった時代かと思います。急行アルプスは2002年冬に、快速ムーンライト信州へと生まれ変わり、今や数少ない夜行列車の1つとして現役ですね。
大糸線は2003年頃まで、冬場は関西方面からキハ181やキハ65エ―デル、14系客車などを用いたシュプール号が乗り入れていましたね。しかし列車のシュプール号は、ダイヤ上のネック等が問題となり長続きはしませんでした。
今春で北陸線金沢―直江津間が経営分離され、大糸線糸魚川―南小谷間は、JR西の在来線としては、離れ小島となりましたね。(汗)
2015/9/27(日) 午後 9:24 [ 爽(SAYAKA) ]
爽(SAYAKA)さま、こんにちは。
当時の旧国運用図表がすぐ出ないので記憶になりますが、確か信濃大町-南小谷は3往復旧国運用があってそのうち6連運用は夕方の一往復だけでした。その他の普通は、白馬や信濃森上、南小谷で終着となった急行(アルプス・ちくま)くずれの165系と、糸魚川側から信濃大町・白馬までキハ52気動車が直通で乗り入れていました。
国鉄民営化の時に、同一の線を会社で分断されたのは、東海道線、中央線、関西本線、紀勢本線とここだったかと思いますが、こんな短距離の線区で分けられたことが良かったのかどうかわかりません。
2015/9/28(月) 午後 4:51 [ ミスター54c ]
こんばんは。
ご訪問&ご案内ありがとうございました。
自分はブルーの旧国は見たことがありませんでした。
コメントにございました両毛線のクハ77ですが
以前アップしたことがありましたのでTBさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
2015/12/23(水) 午後 9:54 [ SL-10 ]
こんばんは。(2)
TBがうまくできていないようです。
URLを記載させていただきますので
お暇な時にでもご覧いただければ幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tn063018/11624529.html
2015/12/23(水) 午後 10:01 [ SL-10 ]
SL-10さま、こんばんは。
トラックバック、うまく行っておりますので心配ございません。ありがとうございました。
スカイブルーの旧国は大糸線と富山港線で見られました。新前橋区はスカ色でしたが、当時水上まで行けば、新潟色(黄/朱)の旧国が見られたのですよね。小生、戦後の旧国の色で直に見ていないのはこの新潟色と、福塩線のクモハ51などが塗っていた濃い青(旧型客車の青)なので、見たかったです
クハ77、拝見しました。そう、これ、これです。戦前の旧国より遥かに新しいのに、興味深い車両でした。大糸線ですと、横須賀線のサロ45を格下げしたサハ45が座席のモケットや扉数はそのままで、乗り得車両でした
2015/12/23(水) 午後 11:39 [ ミスター54c ]
こんにちは。
大糸線を走る旧型国電の姿、本当に魅力的ですね。私もいちど見てみたかったものだと思います。
急行形電車も今では全く見ることがなくなりましたが、ローカル線にもこのような長い編成が、しかも食堂車付きで走っていたとは、いい時代だったのだろうと想像しています。
今では長野エリアもステンレスの列車ばかりになりました。時代が本当に変わったのだと実感致します。爽やかなブルーの帯が見ていて飽きることのない今の列車も、お写真の当時の旧型国電の風情に比べると、やはり物足りなさを感じてしまいます。
お写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
2016/6/18(土) 午後 6:08 [ 風旅記 ]
風旅記さま、おはようございます。
レス遅くなりまして申し訳ございません。
この当時の大糸線は二つの性格がありました。東京・新宿と、大阪からの直通列車の走る観光路線と、地元安曇野に密着した線内ローカル輸送です。東京からは毎日複数の夜行急行電車が運転されていて、新宿からのあずさもスキーシーズンは松本から白馬まで延長運転されるなどそれは華やかでした
これらのうち急行は線内の終着駅(信濃森上、白馬、南小谷など)へ到着後、普通列車として折り返すものもありました。しかし大半の普通列車はこれら北松本区の旧型国電が担っていました。生まれも育ちも異なる横須賀線や、関西急電生まれの車両がスカイブルーの色をまとって手を繋いで北アルプスの麓を走るさまは画になりました
ブログで大糸北線の旅を拝見しました。この当時は糸魚川から普通気動車列車が信濃大町まで乗り入れる運用があり、また、キハ58系急行白馬が全線通して運転されていました。民営化でこんな短い路線が二社に分断されたところはそうないでしょう。いまでは南小谷を越えて直通する列車の運転もありません
ブログでは京王線が主体ですね。訪問させていただきます
2016/6/29(水) 午前 6:33 [ ミスター54c ]