硬貨がマネーとして市場で目立つようになってきた頃、神殿組織の中の新たに「特別な職能集団」を設置すべく職員が再構成された。273人の男から成るエリート集団が、「イスラエル(レビ族)の第1子」から選ばれ、新しい要職となった。この新しい地位の一団は、「レビ族を超えた」と認識されるようになった。273人の特別に抜擢された男による新しいカルトは、レビ族からは独立した存在にしようと意図的に選ばれたのだ。彼等は神殿の特別任務を行うこととなった。民数記3章を読み進めていくと、47節〜51節に、273人の男のカルトは即座に資本を蓄積する作業に着手したとあり、この新しいカルトはマネーに関する特別な職務を担うために編成されたことが分かる。各メンバーがそれぞれ「5シゲルの徴収額」を調達した。この金額から1365シゲルの資本の蓄積が得られる。これは、神殿の指導者層が、出現しつつある「経済霊主導のマネー経済」の中で神殿が主軸となって有効に機能するためにはマネー資本掌握が絶対必要不可欠なことを認識していたことを示唆する。出現しつつあるマネー経済のために創業資本金を調達せよとのさらなる勧告は、出エジプト記30章12節〜16節に記されている。今度は20歳以上の全員から半シゲルが徴収されることとなった。
 このような「マネーの職務」についての聖書の言及は、「カルト273」が、市場にマネーが出現した後に結成されたと伝わる第2神殿の職務と結び付いていたものと思われる。さらに聖書によると、元祖レビ族はエジプト脱出の物語の時に選ばれた人々である。伝統的解釈では紀元前1350年頃として時代特定しているが、ヴェリコフスキーが『混乱の時代』で述べているように、ミケーネとギリシャ時代の間には暗黒の時代はなかったので、先述の通り、エジプト脱出は後世の紀元前9世紀と7世紀の間の火山活動の時期に起きたものと認識しておく。
 営利主義の亡霊たる「経済霊」が「呪われた」マネーを世に送り出したのは、エルサレムの都市であることは不思議ではないでだろう。聖書の物語においても同様にエルサレムにマネーの存在が認められている。マネーが使用されるようになる以前から、エルサレムが位置する場所は、商業の要衝路が交差する土地であった。当時知られていた商業圏を結ぶ交易路は地中海に沿っていた。後にエルサレムと呼ばれるようになったこの聖都を囲む地域は、海賊と隊商襲撃者から適度に安全な距離を保ちながらも、海港と陸の交易路と便利に接続していたため、特別な場所であった。互恵的な交易が日常的になされていて、一種の中立地帯のように見られていた。紀元前7世紀頃、貨幣という形態で経済霊が招聘されたのは、地中海周辺のトルコ西部にあるリディアという土地だった。
 古代の文書には、このマネー・パワーが社会に到来したことを明確に記す文章が残っていない。古代の金融や商業のことを述べる時に、現代用語を使用すると、しばしば誤解を招くことになる。「マネー」という言葉は、依然として辞書になかった。たとえば、「マネー」とか時には「ローン」と間違って翻訳されている言葉は、単に「カプス」という銀を意味する言葉である。今日の意味でのマネーではない。同様に、地代・家賃・と翻訳されてきた言葉は、実際には「10分の1税」を意味している。ワインは売買されたというよりも、ワイン1単位が穀物1単位として交換に使用された。現代金融用語を使用して翻訳すると、完全に間違ったものになることがある。
 もともと商業は、現代の市場と一般に言われているようなものではなかった。「需要と供給の圧力にさらされた価格はなかった。売りも買いも、マネーもなかった。交易の等価性は神聖な命令によって確立されていた。マネー以前の古代世界は、ビジネスの利益や損失とは無縁に繁栄していた」。マネー以前の時代は、物々交換だった。交易と商業に「利益」が考慮されるようになったのは、人間の意識に変化があったことを示す。この変化は経済霊の到来と同時期に発生した。その当然の帰結は、「詐欺の価値」を会得することであった。
 この詐欺的な特質について概に、エジプト脱出の物語と、ヤコブが「イスラエル」になった取引のエピソードで説明した。経済霊の到来と、現在のマネーの発明される以前、商業は、神殿の権威によって確立され、強制力をもった神聖な命令のルールの下に行われていた。聖職者の役割は、「公平な価値で交換することを確かにすること」だった。この聖職者の権力を担った「レビ族」の役割について聖書は詳しく記載している。このエリート集団は、人々のために神殿を通じて、必要な事項を管理する責任があった。
 国の債務の存在と現代マネーの中央銀行組織に現れたモロク神の仮想神殿は、一度も敗北したことがないようである。実は、モロク神の債務への飽くなき執念は、たとえ「カルト273」の身内であっても金貸しをしないメンバーには呪をかけている。申命記28章22節〜44節に、もし貸し手でないならば、「お前は借り手になるだろう、頭ではなく尻尾になるだろう、そしてお前が破滅するまで、呪いがかけられるであろう」と述べられている。この考え方によれば、国が中央銀行の債務奴隷になることを毅然として拒否すれば、いかなる金融システムもモロク神へ深刻な脅威となり、彼の神殿(中央銀行)に対する許すべからざる大反逆になる。
 俗世の存在に対する戦いは、心霊界の戦いが中心となる。神殿の問題に、カバラは神秘的な考察で迫る。「神殿の意義は、神殿を破壊することにある。神殿を建築したことにあるのではない」という。この考察は、「自然と調和した繁栄という地球の世話人契約を締結している聖書の信仰者は、所得税で支払いが賄われている利子の付いた国の債務の束縛に自主的に服従して、騙されている」という本書の論旨を支持している。自身の信奉する宗教の教義を注意深く見直し、どうして知らない間に信頼すべき自らの宗教が、モロク神の神殿である中央銀行による束縛を支援することになってしまっているのか、今一度確認してみるべきである。 
※11章まで終了、続きはオームページの方に掲載しておきます。よろしければご覧ください。

 利子付きマネー・ローンの高利貸しの複雑な仕組みを理解し、割引付きの神殿シケル交換取引を習得する作業は、数百年の歳月を要し、時折、挑戦を受けることになった。おそらく最も危険な脅威は紀元前330年頃、アレキサンダー大王がその帝国のために最初の共通貨幣を導入した時である。もしも彼が生き延びて、マネーは不毛であり利子という実を結ぶことはないというまともなギリシャ哲学が成就していたならば、アブラハムの夢に映し出された神殿の発見は何の意味も持たなかっただろう。アレキサンダーの早過ぎた死は、彼の政治経済的な重要性(施策の正しさ)を証明する品質保証書である。アレキサンダー以来、モロクの神殿と利子マネーの経済霊にとって脅威となる実力ある政治家リーダーたちは例外なく変死を遂げている(第3章註参照)。今のところ唯一の例外は、辞職することで生命からがら逃げたリチャード・ニクソン大統領だけである。
 先述の通り、聖書の主要な人物像は実在せず、寓話と比喩としてのみ存在している。ダビデとソロモンの2人もそうである。有名なソロモンの神殿も本書では寓話であると考える。エズラとネヘミアのいわゆる第2神殿は、重要な神殿であり、実際には最初の神殿であると本書では考える。この神殿の際立った特徴は、現在の経済霊の時代の幕開けとなる意識の変化を表現していることである。
 本書で採用した年代特定の見直しを前提とすれば、聖書のダビデは第2神殿と同時期である。エズラとネヘミアの第2神殿は、ローン事業で最終的に大成功したようである。20%の利率での貸付金はあまりに負担が重く、「誰も困窮し、誰もが借金漬けになった。そして不平不満は神殿の権力への抵抗を始めた。1人の首領の下に400人の集団を組織した」。借金から解放されることを望み、高利貸しローンの条件に抗議して公正さを求めた人々に対して神殿が返した答えは、モロク神の精神そのものの頑ななものであった。「誓約をした後にあれこれ詮索するのは卑怯である」。言い換えると、ローン契約が良くない内容であることが判明しても、借り手は聖職者に対して言い逃れしてはいけないということだ。モロクは「決して赦すことのない神」であるという先述の部分で思い起こしてもらいたい。
 借り手たちは、ローンのために差し出した担保を消費してはならないという警告もされている。債務者たちは、誓約を行う(ローンを受け取る)ということは、神への献身であることを忘れてはならないと言われる。債務を返済しないことは、神殿に対する罪であると同時に、「焼き尽くす焔の神」への反逆でもある。レビ記でモロク神が紹介されている箇所に焔のことが言及されているが、それは焼き尽くす焔という意味であることは特筆しておくべきである。神殿に立ち向かい、反乱に決起した400人の首領が、外ならぬ聖書のダビデである。ダビデはゲリラ隊を率いて、神殿の不正義に対抗して立ち上がった。しかしながら、勝利者ダビデという人物を歴史学的に調査した結果、勝利を導いた指揮官ではなく、「敗走、そして破滅的な敗北」であったことが判明している。
このブログ明日で終了ですのできりの良いところで終了させます。
 聖書によると、誓約も、教会の信徒が神殿で持っていた4つの主要な教会との関係の一つであった。教会の聖職者たちは、神殿に物質的な支援を行うよう日頃から信徒会衆を指導していた。儀式的な生け贄、特別な供物、会衆の全ての生産物に強制的に課される10分の1税などを納めるように指導がなされていた。
 信徒たちにとって、誓約は違っていった。経済霊がいかにして今までの慈悲深く受容的な神殿政治の力を包み込み、それに取って代わったのかを理解する鍵は、いかに誓約が10分の1税、生け贄、供物と異なっていたかを理解することである。誓約は、現在ローンと呼ばれているものと同等のものであると認識しておくことが大事である。神殿が誓約を引き受けるということは、神殿への債務が発生することである。誓約には将来におよぶ支払いの義務が含まれている。この義務は、現代の金融商品で「債務」と呼ばれる長期債務の前身である。この債券は。主なる神(モロク)が民数記30章2節〜15節で命令したものである。誓約(ローン)における未成年者や女の法的責任や適格性の制限に関する、聖職者たちの基本方針もここに詳しく記述されている。さらに申命記23章18節〜22節には誓約(ローン)の担保の品質に関する基準が詳述されている。当然ながた、犬や売春婦の見込み稼ぎはローンの担保としては不適格であった。借りないこと自体は罪ではなかったが、もし借りたならば「返済を滞らせてはならない」(申命記23章22節)。誓約は、即座に財産を引き渡す生け贄や供物や10分の1税とは全く異なっている。経済霊を理解するための鍵は、神殿の誓約がいかにしてマネー・ローンとなり変異したかを知ることである。
 経済霊とモロク神以前には、借り手が誓約を行い、ローンを受け取る時の支払いは、神殿にあった現物でなされた。神殿は貸した物品そのものを引き渡したのである。10エファの穀物の誓約に対して神殿は10エファを提供すればよかった。後になって、マネーの創造方法が発見されたために、神殿は物資を表した「トークン(札)」を引き渡すだけになった。トークンは市場に持ち込めば、希望したエファ分だけ入手することが出来た。もちろん、市場が利用可能であること、価格が安定していることが前提である。マネーが存在する前の時代には、神殿に在庫の無い物品は借りる事が出来なかった。ローンの返済の時も、神殿に実際の物品を届ける必要があった。
 今日のローンと同じような形態のマネー・ローンになった最初の誓約を借りた人は、物品で返済する物品のローンと比較して、マネー・ローンに関連する力は大きく違ったものであることに気付かない。現代のマネーを早い時期に発見した神殿の書記官や聖職者たちは、マネー・ローンを創造した時に初めて手に入れたパワーの大きさに、雷のような衝撃を受けたに違いない。
 聖職者たちは、あまり多くの人が借りない(誓約しない)ことを望んだであろう。というのも、元本と利子の支払いを満たすことの困難さとリスクが理解できる借り手は極めて少数であったからである。レビ記27章31節に記述されている「5分の1」つまり20%に利率が設定されていれば、返済のプロセスは非常に重荷になる。借り手は神殿の会衆の常連メンバーであることが、聖職者によって要求されたに違いない。誓約からの収入を神殿の不利益となるように逸脱されてしまった借り手は、2度とローンを借りる資格は与えられなかった。

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