岡田茂吉の言霊

医学の正体に気づいた時いろんな事が見えてきます!

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次に今一つの例であるが、これは医博小川勇氏著「科学と信仰」中にある一文で一患者の手記である。
「私が日赤病院へ肺壊疽(えそ)で入院当時の体験談を御話します。
この病気も軽重はありましょうが、私のは最も重患でした。
頃は大正十二年九月九日と覚えています。
肺壊疽で入院、十三年三月十九日退院と覚えていますが全治して退院したのではないのです。
入院中は院内自炊でやや堅い目の「オジヤ」ねぎ、野菜の色々を交ぜた味噌の「オジヤ」を食事とし、間食に食パン一個を毎日喰べました。
なぜ食パンを喰べたかと申しますと「オジヤ」だけではどうも便通がよくないのでパンを喰べてみたら実に加減のよい便通が出るので(寝臥したまま大便するからです)
毎日一個ずつ喰べていましたが病勢は昂進するのみ、恢復の見込みたたず同時に経済に行詰り、病院にいたくもいられなくなった。
さりとて自宅へ帰りても医術の施しようがない。
私の病気の手当のみでなく一家一族が生活難に苦しむ状態でした。
米屋、八百屋、魚屋の支払不納のため停止となった。
金は借りられるだけ借り、もういずれからも借りる手筈もつかず、どうする事も出来ないから致し方無く自分は死を神に誓って一刻も早くこの世を去らして下さいと一心不乱に祈ったと同時に退院を申込んだ。
すると院長のいわく「あなたはそんな無茶な事をいわれてもいけません。
今退院する時ではない。無理に退院せんとして動かせばこの寝台から担架へ移すその時直ちに死んでしまうぞ」と申された。
そこで私は院長に申しました。
「先生、私は直ちに死ぬ事を希望しています。
今の今としてはすべて行詰り最早どうする事も出来ません。
決して御医者さんがわるいとも病院が悪いとも思いません。
いずれにしても助からぬ命とあきらめた以上一日先へ生き長らえばそれだけ苦痛を忍ばねばなりません。
一刻も早くこの世を去る事が私も楽になり残る家族も何とかなります。
それで十分ですから御願は叶いませんか」と聞きました。
院長いわく「ヨロシイ引受けました」と申されて私は有がとうそれで安心ですと御礼を申して直ちに退院準備、そして私は合掌して目をつぶりただただ一途に死を神に祈りつついつの間にか自宅へ移ったが神は私の願をきき入れられず、不幸にして自宅へ行っても死に至らずためにその当時在職中の先生が、病院から往診してくれました。
ところで決心ほど偉大なものはない。
決心したら苦痛が一切合切無くなった。同時に熱が一度急に下った。
死の決心ですから心に持つものは何一つない。
前後左右なし欲得なし同時に苦も楽もない。
その楽さ加減は口で語れません。何とも語りようのない楽さかげんでした。
さりとて覚えがないわけでもないのです。
まずいわば神様の懐中へ抱かれたような気持がしたのです。
それからまあ退院後四、五日も経った頃食欲がつきまして、何か喰べたいという気持が出ましてその時まだ死なんといるわい。
はてなどうしたのだろうと思ったが以前のような病苦は一切ない。
同時にたんせきも余程少なくなった。喰べるものもうまい。
熱は日々下る。退院後一ケ月も経った頃には半身起きる事が出来た。
二ケ月目には便所へはいまわって行く事が出来た。
三ケ月目には乳母車へ乗せて貰って町の状景を見に行くまでになった。
こうした順序でずうっとよくなった。
こうして一旦身心共に神に捧げた命、よくなったとて最早私的生涯はこれ限りさらりと去って、余生幾ばく生きるかは知らんが、以上は神より与えられた命、これからは公的生涯となって一切合初世のため人のために、余生を捧げるという決心に心境が一変したのです」

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