岡田茂吉の言霊

医学の正体に気づいた時いろんな事が見えてきます!

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全166ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

私が永い経験上、何年も薬剤を服用し、又は頻繁なる注射をなしたる人の皮膚をみれば能く判るのである。
一見するに、皮膚は黄色を帯び、光沢なく、弾力も無く、三四十にして、すでに老人の皮膚のごとくである。
かくのごとき人は、常に憂欝にして元気なく、これと言う病気が無いに拘わらず、何となく優れず、随って、年が年中、薬餌に親しむという具合で、本人は飽くまで、薬に依らざれば、健康は回復しないものと、信じ切っているから、あちこちの病院を彷い、又は種々の薬剤を物色しつつ、年を経る毎に、漸次、衰弱の度を増し、ついには、生命を失うまでに到るのである。
嗚呼、かくのごとき薬剤中毒者が、年々増加の傾向を認むるにおいては、結核や伝染病よりも恐るべきものがあるのであって、しかも、何人もこれに気が付かないというにおいては、人類社会の大問題である。
私はこういう患者へ対して、薬剤中毒のいかに恐るべきかを教えるのである。
幸にもそれを信じ、実行する人は、時日の経るに従い、薬剤中毒の自然消滅によって血行の循環は良くなり、胃腸は活力を益し、全体的健康は増進して来るのである。
特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。
これらはほとんど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。
折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないとか、ほとんど発育停止の状態なのがある。
この原因は医師に判らないという事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。

「病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思っているが、これが大変な謬りである。
薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させるだけの働きである。
しかるに実際の治癒から言えば、前項に述べたるごとく、苦痛その物が病気治療の工作であるから、
その苦痛を緩和するという事は治病の延期になる訳である。
しかもそれのみではない。苦痛を緩和した、薬剤その物は、血液中に混入するのである。
元来、血液は、絶対的純潔を保たなければならない性質のものであって、人間は血液さえ純潔ならば、黴菌に対する殺菌力の強烈なるはこれも、前項に述べた通りであるから、病魔には襲われないのである。
又血液純潔ならば、その人は外界に対する抵抗力が強きを以て、冬の寒さも、夏の暑さにも、割合耐え易く、常に朗らかにして、元気旺盛なのである。
現在非常に多い、神経衰弱等は、血液の溷濁(こんだく)が原因である。
それらの多くは肉食及び薬剤服用、注射等の為が頗る多いのである。
これらは、ことごとく あやまれる黴菌恐怖から起ったものである。
これ程でなくとも、大なり小なりの恐怖病者は随分多いのである。
これらの恐怖病者も、この真実を識ったなら、いかに救わるるであろうか。
しかし、ここに一言断っておきたい事は、黴菌恐るるに足らずといえども、不潔は、最もいけないのである。
光明世界は、真善美の世界であるが故に、飽くまで、醜を避け、美であり、清潔でなければならないのであって、
形がうるわしく、心が美わしく、生活が、社会が美わしくならなければならない。
つまり、美わしいところに、病と貧は無いからである。
今一つ、重大なる事がある。それは、伝染病の黴菌のごとく、不純なる黴菌は、観音の霊光に遇えば たちまちに死滅するという事である。
霊的に言えば不純黴菌は、暗黒界に属する生物であるから、光明に照らされれば、生命は保てないのである。
故に、観音の光に触れる人は、まず、伝染病には罹らないと言ってもいいのであって、たまたま罹るとするも、頗る軽微で、速かに治癒するのである。
これは、実験上、永年、私が体験している所である。
光明世界完成の暁は、伝染病が絶滅するという事は、これを以ても判るはずである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)

その活動が熱となり、下痢となり、嘔吐となり、痛み等となるのである。
それでその毒血が減るに従って、病気は治癒されてゆくのである。
もし、その人が、黴菌の侵入を受けなかったとすれば、それは十が十たおれるべき運命に在ったのであるが、幸いにも黴菌の侵入に依って浄血法が行われたる為、万に一つの生命を恵まれるのであるから、その病気を起してくれた黴菌及び、それを運搬してくれた蝿虫に、大いに感謝していいのである。
ただしかし、余り毒血過多なる者は、その浄血工作中、たおれるのは止むを得ないのである。
故にこの浄血工作は、大自然が人類を永続せしむる為の優生運動とも言うべきである。
今述べたごとくである以上、黴菌を恐れる事は、すこぶる誤りである事を識るであろう。
故に、この真実を知った人は、黴菌に対する恐怖心は全然無くなるを以て、その安心を得た幸福感も少くはないであろう。
しかるに、この理を知らない現代人は、黴菌を恐るる事、鉄砲弾のごとく、知識階級又は上流社会程、この不安が多いのであって、稀には、黴菌恐怖病なる一種の新しい疾患さえ現われているのである。
それらの患者は、黴菌恐怖の余り、外出も ろくろく出来ないのであって、それは、汽車や電車へ乗る事が恐ろしいからである。
そうして絶えず、家に在っては消毒薬で手を洗い、衣服住居を消毒させ、はなはだしいのになると、その為の看護人を傭い入れて、しかも、その看護婦の外出を禁じ、事毎に極端なる干渉をなすを以て、大抵は驚いて逃げ出すのである。
故に、その罪穢相応が曇となり、その曇の相応が血液の濁りとなるのである。
その血液の濁りが一定の程度を越ゆれば、その人自身が死を招くのみならず、その子孫にまで、虚弱者を生ずべき怖れあるなれば、この場合その人間の生命と、その子孫の健康をして完全なるものたらしめざるべからず。
それが、種々の黴菌をして、その濁りの血即ち、毒血排除の工作をさすのである。
その工作者こそ、実に、各種の黴菌その物である。
故に神は、あらゆる種類の黴菌を作られ、その黴菌が絶えず伝播されて、人間の肉体のあらゆる箇所から、侵入する様に出来ているのである。
侵入した黴菌が、己の掃除すべき毒血がなければ、その黴菌は力が弱り、しかも、血液の活力によって殺されてしまうのである。
それがいわば純な血液の殺菌力なのである。
しかるに、一度、黴菌が侵入するや、その黴菌に適合すべき毒血がありたる際は、非常なる黴菌の生活力を増し、どしどし繁殖してゆくのである。
毒血のあるだけ繁殖して、そうして、その毒血を体外へ排泄し、又は消滅せしむるのである。

全166ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事