岡田茂吉の言霊

医学の正体に気づいた時いろんな事が見えてきます!

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「世には、博士に見放されたのが、信仰に依って治ったとか、長年の病気であらゆる手を尽しても治らなかったのが、某宗教へ入信して治ったとかいう話は非常に多いのであるが、これについても、冷静なる批判を下す必要があるのである。
再三述べたごとく、現代医学は、病気を治す力はいささかもなく、否むしろ病気の自然治癒に対しての妨害法であるから、偶々(たまたま)ある信仰へ入るとか、祈祷者に依頼する時、その取次人は例外なく、医薬の一時停止を求めるのであるから、患者は、何分長い間、いくら医療をしても治らないので、一も二もなく承諾をなし、実行するのである。
しかるに、長い間、間違った医療服薬を停止したので、病人自体の自然治病の作用が、俄然開始されるから軽快に向うのである。
宛(あた)かもその信仰又は祈祷に依って御利益を戴いたかのごとく思われるものである。
しかし、みんなが皆そういう訳ではない。中には実際、神仏の御利益に依って治癒されるのも相当あるにはあるが、
右の様な例も又相当多い事は否定し難い事実なのである。
これらは本人の儲け物より、宗教や神様の方の儲け物であると言えるのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)
※長いことありがとうございます。これで師の論文掲載を修了します。ヤフーも今月一杯で投稿ができなくなります。師の論文の移転をしていますのでそちらもよろしくお願いします。
「近来、医療上、光線療法なるものが盛んになって来たが、これについて、その真相を述べてみる。
光線療法とは読んで字のごとく種々の機械又は鉱物の作用に依って放出射光されるのであって、鉱石の方は現在の所、ラジュウム、エマナチオンのみであるが、器械の方は次々新規の光線を発見作出しつつあるので、例えば、レントゲン、紫外線、太陽灯等である。
しからば、その効果はいかんと言うに、私の観る所を以てすれば、効果もあれば、弊害もあるのである。
ある病気、例えば、瘰癧(るいれき)、癌、結核のごときはいずれも、膿の部分的集溜が原因である。
それらへ向って光線を放射する時は、いかなる変化を起すやと言うに、その膿細菌は一層の集溜凝結に向って進行を始めるのである。
故に、数字に依ってたとえてみれば、百の容積ある膿溜は、ついに十に即ち一割に縮小さるるのである。
即ち、九十だけの膿積は減少するのであるから、それだけは、病気は治癒されたる理であるから、患者は軽快を感じ、医師もその効果を認める訳である。
しかるに何ぞ知らん、百のものが十に凝結したのであって、消滅したのではないのであるから、当然、膿の密度を増す結果となるから、非常に固い膿結となるのである。
この経過の一番良く判るのは瘰癧であって、小さくはなるが、ほとんど石のごとくなるのである。
こうなったのは、たとえ我指圧療法を以てしても、その石のごとき膿結を溶解するには容易ではないので、非常の困難を感ずるのである。
この理によってみるも、光線療法なるものは、功罪相半(なかば)すと言う訳であって、ちょうど、十人から借金をして居ったのを、一人に借金を纏(まと)めるのと同じ理屈である。
これに依って観るも現代医学は、治癒力即ち、病患を解消絶滅する力は、いささかも無いという事を識るであろう。
彼の東郷大将の喉頭癌が三拾五万円のラジュウムを以てしてもついにその効果なく半ケ年にして鬼籍に入りし実例を視ても能く判るのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)
次に、便秘なども不思議なのである。
物を飲み食いすれば、水分は尿となりて排泄され、固形物は糞便となって、体外へ排泄されるのは、定(きま)り切った事である。
人間の肉体はそう出来ているのである。
そうならないのは、矢張りどこかに間違った点があるのである。
それをよく査べてみれば必ず解るので、早速、その原因を革(あらた)めさえすれば必ず治るのである。
即ち、水分の摂り方が少いとか、野菜が少いとか、偏食の癖があるとか、又は、腸の付近に気の付かない様な病気があって、その病気の微熱の為か、まず、それらの点を考うべきである。
右述べた、胃病と便秘以外、あらゆる病気はそうなのである。
よく、私が実見する所であるが、腹膜や肋膜で溜った水を排泄すべく、尿の出る薬を、医師は服ませるが、これも前述の理に依って、その薬剤を服用するや、一時は、効目によって尿が出、尿が出るから病も軽減するが、それは一時的の事であって、ある時期を過ぎると、漸時便秘の場合と同じく、尿の排泄が減少してゆくのである。
従って病は悪化するのである。
今日の科学の試験管での研究になった薬剤が、生命力の神秘に触れると言う事は、痴人の夢である。
分秒も停止なき、不可解の液体や熱、その他未知の物質に依って動いている内臓と、ただ物質に過ぎない、試験管の中とは、夢想も出来ない異(ちが)いさである。
学理と反対の結果になる等は、当然の話である。
この様な事すら、社会一般に判っていない為に、いかに多くの人が、この薬剤の逆作用によって、苦しみつつ、命を縮めているかは、実に恐るべきものがあろう。
故に一日も早く、これらの誤謬を、一人にても多く、判らさなければならないのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)
「薬剤は、病気治癒を妨害するものである理は、屡々(しばしば)述べた通りであるが、何故に妨害するかと言うと、それは逆作用をするからである。
逆作用とは、薬剤を用いる目的と反対の結果になるのである。
例えば、胃の悪い人が、消化薬をのむとする。
なる程、一時は快くなり、病気が治癒される様に思うが、何ぞ知らん、それは、胃の力ではなく、薬の力に依ってであるから、その為に胃そのものは、活動が鈍るのである。
それは、薬剤が働くから、胃自身の活動は、一時停止の状態となるのである。
随って、服用すればする程、胃は益々怠惰となり、益々弱るのである。
故に、最初、胃を強健にしたい目的で、服用する薬剤の、その結果は、反って反対に、胃を益々衰弱させるという結果になるのは当然なのである。
これと同じく便秘する人が、下剤を用ゆれば、大便排泄機関は活動の必要がないから、漸時退化してゆくのである。
退化する結果、いよいよ便秘を来し、いよいよ下剤の必要を感ずるのである。
かような訳であるから、胃を強健にしたければ、胃をして大いに活動をさせなければならない。
それには、特に、消化良き物を択ばず、すべて、普通食を摂取するのがいいのである。
普通食は、自然に、人間の胃の活動に適合する様に出来ており、祖先以来、それに依って立派に健康を保って来たのであるから、特に、牛乳を呑むとか、肝油を呑むとかは、いかに不合理であるかは判るのである。
故に、万一、普通食を摂っていて、消化が悪るかったり、又は、胃に異常が生ずるとすれば、それはいずれかに、間違った事があるのである。
例えば、運動が不足だとか、飯の分量や時間を決めて食うとか、薬剤を服用するとか、それらの原因によってであるから、その原因を改めれば、必ず治るのである。
胃病等に罹るべきはずのものではないのである。
故に、胃病などになるという事は、私は不思議と思うのである。
体の強弱は、実は、霊気の充実と否とにあるのである。
しかるを以て、健康の根本は、霊の多量に含む物を食えばいい。
さすれば、精霊の活力を益(ま)し、精霊の活力が増せば、肉体の強健を増すからである。
彼の各種の滋養剤のごとく精製されたものは、霊気が発散して、稀薄になっているから、精霊を養う力はほとんど無くなっている為、何程、滋養剤を摂るといえども、活力は増さないのである。
それよりもむしろ、新鮮なる野菜のごとき物を食す方が、どれ程賢明であるか知れないのである。
今日の科学は、霊を無視し、体のみに依って研究されたものであるから、間違っているのである。
最も判り易い、例えば吾人、人間である。手足や五体が心を動かしているのではない。
心が四肢五体を動かしているのであるのと同じ道理である。
人間を構成している、あらゆる物質は、幾百種に上るか判らない。
主なる物としては血液、細胞、筋骨、毛髪、水分、石灰質等、その一つ一つの中に、幾種類も成分が含まれてあるのである。
又各種の臓器、それらが皆一秒の間も停止する事無く活動しつつある。
そのエネルギーは何に依るかと言うと、いずれも、食物から抽出されたる、霊素と体素とである故に、あらゆる食物の成分には、人間の生活力に必要なる成分を、含有されていないものはないのである。
故に、理想から言えば、出来得るだけ種々の食物を摂るのがいいのである。
何が薬だとか、何がいけないとか、人間が理屈を付けるのが、間違っているので、この点からも、食べたいと思う物を、種々食べるのが、一番いいのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)

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