岡田茂吉の言霊

医学の正体に気づいた時いろんな事が見えてきます!

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「今日の営養学上、ヴィタミンがどうとか、カロリーが幾許(いくら)あればいいとか言うことは、実は、枝葉末節の問題であって、営養の根本は食物の霊気その物にあるのである。
しかし、この霊気なるものは、試験管では測定出来ないものであるから、いかに研究しても今日の学問の程度では判らないのである。
カロリーとかヴィタミンとか、蛋白とか、含水炭素とかいう物は、実は、霊気を取除いた後の糟(かす)のごときものである。
各項において細説したるごとく、人間は霊と体で成立ち、活動しているものであるから、食物も、その霊体両方の営養が必要なのである。
あらゆる食物、それらも悉(ことごと)く、霊体で成っているのであるから、新しい食物、即ち新鮮な野菜、漁りたての魚程、霊気を多分に含まれているのである。
この理によって、食物の腐敗するのは、霊気が放出するからである。
食物にも霊気保持期の長短があって、穀類は一番保持期が永く、蔬菜(そさい。野菜のこと)類がその次であって、魚が一番短いのである。
これは腐敗の時間をみれば、能く判るのである。
随って、新鮮な物程、霊気が濃い訳である。
しかし、干物にすれば、比較的長く保持されるのは、塩の霊気を借りる為と、水分を抜く為とである。
(水は元来、右進左退の活動であって、空気とは反対の運動リズムである)
缶詰は、密閉して、空気を遮断する為、空気中に放散すべき霊気が、保持されるからいいのである。
人間の精霊を養うには、食物の霊気であり、人間の体を養う物は食物の体である。
しかるに、人間の活力の根源は、霊気の充実にあるのである。

手 術
言うまでもない事であるが、手術程悪いものはないのである。
しかし、医師に言わしむれば、病症に依っては、手術をせねば、万に一つも助からぬという患者に施すのであるから、これもまた、止むを得ないとの理由があろう。
しかし、私が多年の経験上、手術をしなくてもいい場合、手術をしたり、手術をした為に、反って病勢を悪化せしめ、遂に、死に到らしめた様な実例が余りにも多いのである。
手術の為に生命が助かった人より、手術の為に、生命を落した人の方が多いのは、実験上、疑いないところである。
西洋医学も血を出し、肉を切る手術などと言う、野蛮極まる方法を用いないで、病気を治療する様にならなければ駄目である。
それについて、手術療法がいかに誤謬であるかの一例を挙げよう。
近来、よく、扁桃腺抜除の手術をするが、これらも非常に謬(あやま)っているのである。
その訳は、人間の血液は、絶えず浄化作用を行われつつその結果として、血液中の不純物が膿汁となって、一旦頸部に溜積さるるのである。
それが、なおも外部へ排泄せんとする時、扁桃腺なる最も好適の出口を求めるのである。
故に、扁桃腺抜除の暁は、膿汁は、出口を塞がれたるを以て、淋巴腺又は耳下腺等に、溜積せらるるが故に、却て、扁桃腺よりも、膿汁排泄に非常に困難を来すのである。
即ち、淋巴腺へ膿汁滞結すれば、瘰癧(るいれき)となり、耳下腺へ滞溜すれば、中耳炎の原因となるからである。
従って、最も簡易なる膿汁排泄機関を抜除して得々(とくとく)たる、現代医学の愚や、実に恐るべきものがある。
故に、手術は、自然の自己治病工作の妨害をする医薬と等しく、折角の自然治癒を妨害して、病気を悪化させるか、又は、より症状の悪い病気に変化させるだけのものである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)

電気療法も一時的、相当の効果はあるが、病気を根治する事は出来得ないのである。
これは多く説明する必要はない。霊から治す力がないからであって、体的に一時は良くするのであって、偶々(たまたま)、その病気が治癒する様に見ゆるも、必ず他に、悪結果を及ぼすものである。
鍼療は、灸と同じく、神よりの賜り物へ、傷を付ける業であるから不可なのは言うまでもない事で、又その効果も体的療法であるから一時的であって、根本治療にはならないから不可である。
按摩は、これだけは確かに保存すべきものである。
何となれば、人間は、就中(なかんずく)、都会人は、腕と脚の運動が平均しないものである。
いかなる人といえども、腕を使用するより、脚を使用する方がずっと多いのであるから、腰部より脚部にかけては、良く血液が循環するのであるが、腕より肩にかけては、自然血液の循環が、非常に悪いのは当然である。
それが為、欝血(うっけつ)して、肩や首筋が凝る結果になるから、これを補うべく、按摩の必要があるのである。
故に、平常出来るだけ、腕の運動をする方がいいのである。

「灸治法は、確かに相当の効果はあるものであるが、それ以上に不可なる理由が在るのである。
それは、人間の肉体は、神の最高芸術品であるから、その曲線、皮膚等の美は、飽くまで保たす様努めるのが本当であって、いよいよその若さを保たすべく、いささかも、汚さざる様になすべきが本当であって、これが、造物主に対し奉り、報恩感謝であり、大神心を安んじ奉る、人間の心構えであらねばならぬ。
それに何ぞや、婦人等の艶麗珠のごとき、雪の膚に見るも惨(むごた)らしき、焼処の極印を、大中小羅列するに至っては、沙汰の限りである。
たとえて言えば、園芸家が、美しく花を咲かしたとする。その艶(あで)やかな花弁面へ線香を以て、焼穴を作ったのと変りはない。
その園芸家はいかに嘆くであろう。
これを思えば、灸治のいかに、間違って居るかが肯(うなず)かれるであろう。
故に、灸治に依って、病気治癒の目的は達せられたとしても、神へ対し奉り、冒涜の罪は免るる能わず、いつかは必ず、その罪の清算に依って、相応の苦しみは脱れる事は出来ないのである。

この理を、医家は知らざるが故、腫物の発生するやその産物を散らさんと、氷で冷し、又は、散らす性能の薬剤塗布を行うのである。
しかるに、これが恐るべき誤法にして、折角、自然に腫れて、膿汁が排出すれば、容易に治癒すべき腫物を、この誤法の結果、腫るる機会を失うを以て、その膿汁は、他の方面を求めて腫るるのである。
かくのごとくなれば、その腫物は、大抵の場合、数ケ所に現わるるのである。
しかるに、この際は、患者は、相当の衰弱状態になるを以て、膿汁を出す程に腫るる勢なく、荏苒(じんぜん。歳月が移り行くままに、何もしないでいるさまのこと)日を経るに従い、漸次、衰弱の度を増し、生命を失うまでに到るのである。
かくのごとく薬剤のいかに恐るべきかを説いたのである。
故に人間の肉体内に絶対薬剤を入れざれば、血液は純潔なるを以て頗る健康を保持さるるのである。
私の説を聴いて覚醒し薬剤から全く離れたる人が時日の経るに従い年々健康を増進する事実は例外がないといっても宜(よ)いのである。
百の理論よりも一の事実にしかず。
国民の保健上到底黙視する事は出来ないのである。
もし統計が作られるならば、結核よりも伝染病よりも、この薬剤中毒の為にたおれる者の数の方が幾層倍多い事であろう事は私は断言し得らるるのである。」 (「日本医術講義録 第1篇」より)

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