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三刀屋氏について

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三刀屋流・・・・・

1 朝には嫌いな知人と出会っても挨拶をする。おはよう!

2 約束の時間に遅れないようにする。

3 約束を大事にする。

4 時には人の助けになる。

5 戦においてはいつも先頭でたたかう。

6 戦ではずっこけてもいいが、めったに負けてはならない。

7 最後まで粘り、大きな勝利を勝ち取るべく振舞う。

私はまだ三刀屋流のホンの少しの真髄しか
知らないのかもしれない。

調べているうちにますます三刀屋孝和が遠くなっていくような
気がします。

三刀屋孝和の夏!

時は1600年
7月20日〜9月18日
関が原決戦の前哨戦
場所は京都田辺城で籠城した細川幽斎と500人

対する西側小野木軍15000人
開戦後まもなく三刀屋孝和が入城した。
八条の宮(天皇の弟)様から親書を預かり
細川氏に降伏の提案をした。

細川氏は降伏しないという。
ならば味方をしようと三刀屋家は530人の家族や家臣たちもいる。
親書には必ず助けるのでそれまで生き延びよとしたためられている。
(そうはいっても明日のことは誰にもわからない。)

しかし城内は少しだけ盛り上がった。
三刀屋といえば戦ではめったに負けないラッキーボーイでもある。
今回の役どころは参謀というところだ。

いくらお家再興を願ったことだといえ、
かなりお先真っ暗の救援です。

孝和は城内に入って
こりゃー間違っちゃったかなーとか思っていた。

でもこの先、三刀屋城を復権できそうな規模の
戦はないし、戦うべき機会もないだろうなーとも思っていた。


京都の夏はじりじりとしながらやけに暑かった。
孝和は俺って結構人気者?とまんざらでもなさそうだった。

田辺城・・・ですか?

京都の吉田山で隠棲の暮らしを過ごしていた三刀屋 孝和
時は1600年
ここは現在の京都大学の裏山にあたる場所です。
当時の吉田山は武士浪人たちが集まる活気のある場所であった。

ここへ来たのも安国寺の勧めである。
安国寺えけいと言う人はずる賢く、頭が切れるし、悪い奴だが
そのくせ和歌やお茶の世界にも顔のきく、口先もたつ大物だ。
うすうす父も孝和も知っていることだが、三刀屋城を没収されることに
なったのは安国寺と毛利氏の謀略でもある。

まさに生かさず殺さずというところだ。
その指南役である安国寺から今度は田辺城へ行くように勧めらた。

まさに謎だ。安国寺は西方に見方をする石田光成の軍
しかしインテリの安国寺えけいは和歌などを通じて朝廷の八条の宮(親王)とも
仲が良い。
ややもすると東方の救援も引き受けて東西の両軍に自分の権力を
振るおうとしている。

安国寺への義理はある。しかし石田光成の味方をして命まで落とすほどでない。
だからぐずぐずしていた。
やがて東方の細川幽斎の救援に行かないかと誘われている。

たしかに徳川家康のほうになるが、
すでに細川氏の籠城している田辺城は500人
対する西方は15000人
どう考えても田辺城の救援にはむりがある。

安国寺は作戦の概要を説明した。
三刀屋孝和は迷っていた。

孝和は出遅れた!

豊臣秀吉没後の徳川家康と石田光成の戦いは有名ですが、
決戦前の三刀屋孝和は青年期に養ってもらった安国寺えけいから
西方(光成の味方)に味方するように勧められた。

しかし、石田光成では家康に絶対勝てないと判断して
西方への仕官を再三断ったらしい。
しかし、三刀屋城を没収されてから安国寺に養ってもらった時期がある。
いわば恩義がある。

その後、東西決戦に向かってそれぞれの武将はいくつかの局地戦をくりひろげていった。

京都の吉田山にいる三刀屋孝和はじっくりと考えていた。
当然のことながら安国寺に義理立てすると動けない。

徳川家康は上杉討伐に出かけた。
その頃になると、三刀屋孝和の出番はほとんどなくなっていた。
そう、孝和はいまさら出兵してもいい場所で戦うことができなくなってしまった。

悩んでいた。義理をとるか、なりふりかまわずお家再興をめざすのか?

14歳から父の供で戦に駆り出された三刀屋 孝和(みとやたかかず)
源氏から脈々と続く兵法を叩き込まれた戦のプロだ。
どうやら隠れ源氏といわれてるらしい。
ちなみに隠れ源氏といえば武田信玄や新田義貞がいる。
俺たちはいつも負けない戦をする。
今回は死ぬ気で闘って三刀屋城を取り戻すのが宿願だ。

秀吉の朝鮮出兵により、蔚山城(うるさん)の築城中
慶長2年12月、明・朝鮮連合軍7万の大軍に包囲された。
加藤・浅野勢が籠城しているが水を断たれ食料も尽いた。

孝和の属す毛利軍は西生浦(そせんぽ)にいたが救援に
駆けつける。
蔚山籠城戦で孝和はもっとも危険であった外郭の三の丸の守備を
自ら申し出て死守する。
一族は500人がついてくる。みな三刀屋城がゆかりの家族や部下だ。

結局三刀屋家の家族10数人を失いながら逆転勝利した。

後に毛利秀元から「左文字」という名刀と杯をいただいた。
孝和はお家再興を願い出たが、それは叶わなかった。いかに名刀とはいえ、
少ない恩賞に怒り毛利を辞し京都・吉田山に隠棲し機を窺うことになった。

俺たちがわざわざ毛利家の家臣になり出直したのは
三刀屋郷(みとやごう)の民人がかなり好きで置き去りにできなかったからだ。
毛利が怖いわけでもない。隠れ源氏の勢力争いだけじゃない。
ただその城がめちゃくちゃ好きなんだ。

だいたい、親父の代に尼子氏だの毛利氏だの手を組む仲間がころころ
変わるから理解されにくい家系だと思われちゃうんだよなー。
とか愚痴っていてもらちがあかない。

とにかく、毛利氏への恩は存分に返し
京都の吉田山へ行くことになった。

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