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ウチから車で1時間半という近さもあって、よく利用しています。 湯の良さはもちろんのこと、温泉街としての風情もたっぷりあります。 湯は、麦茶のような色をした「黄金の湯」と呼ばれる「硫酸塩泉」と、透明な「メタけい酸単純泉」の 「白銀の湯」と呼ばれる湯がありますが、やはり「黄金の湯」のほうがいいですね。 「伊香保温泉」の発見は1900年前とも1300年前とも言われ、「万葉集」にもその名が登場しています。 戦国期には現在の温泉街の原型ができ、「石段」もこの時にできたようです。 明治時代以降、「与謝野晶子」「竹久夢二」「徳富蘆花」「夏目漱石」「萩原朔太郎」「野口雨情」など の数多くの文人墨客も訪れたとのことです。 [[attached(1)]] [[attached(2)]] 伊香保温泉の象徴とも言える「石段」です。 両側に風情のある温泉旅館やみやげ物屋、飲食店などが軒を連ねています。 この「石段」には「黄金の湯」の源泉が流れ、各旅館に分湯されています。 雨の「石段」も、一段と風情を増していいですなあ。 [[attached(3)]] [[attached(4)]] 途中にある共同浴場「石段の湯」です。 湯船も風情があっていいですね。 湯温も程よく、湯浴み後もしばらくポカポカしています。 この日(今年の6月)は「水沢うどん」で昼食を済ませてからもらい湯しました。 「水沢うどん」はまた後日記事掲載します。 伊香保温泉
所在地:群馬県渋川市伊香保町 |
群馬の風景
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昨年の4月、群馬県高崎市倉渕町にある「くらぶち相間川温泉」にもらい湯した帰途、偶然「小栗上野介 忠順」の墓が近くにあるということを知り、急遽墓参に向かいました。 「小栗上野介忠順」は、幕臣きっての忠臣であり、また、勘定奉行や軍艦奉行、横須賀の海軍造船所の礎 を造った幕臣きっての「切れ者」でもありました。 幕末に幕府が結んだ「日米修好通商条約」の批准のためにアメリカへ渡り、アメリカとの折衝を互角にや ってのけた人物です。 「徳川の埋蔵金」伝説の関係者として有名になってしまったこともありました。 幕臣きっての切れ者であり、忠臣でもあった「小栗上野介忠順」は、それゆえに新政府軍に大変恐れられ ていました。 そして、この地で隠棲生活中、捕らえられ、斬首されたのです。 作家の「司馬遼太郎」は、この人物に対してただならぬ敬意を払い、斬首されたことを大変残念がってい ました。 幕末の英傑の一人、日本の近代の父の一人であることは間違いありません。 実際の墓は「胸像」のずっと上の方にありました。 墓参はちょっとした山登りとなりました。 ところどころに咲いている花がとてもきれいでした。 穏やかな風景が広がっていました。 「小栗上野介忠順」墓
所在地:東善寺(群馬県高崎市倉渕町権田) |
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