みといなの日記

旅に出られない苦悩の日々をそこはかとなく書いています。

むか〜し、むかし。

[ リスト | 詳細 ]

昔のお話。若かりし頃、学生の頃、子どもの頃…にあったエピソードを中心に紹介していきます。
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


2016年2月1日。
特別なトワイライトエクスプレスの撮影に行きました。
その時の動画をどうぞ。



 昔のお話。
 新幹線の車内販売のバイトをしていたときのこと。
 当時はグランドひかりという、2階建て車両が4両も連なっているひかり号が走っていました。
 食堂車も営業していました。
 博多発9:00の「ひかり36号」。
 停車駅は博多、小倉、小郡(現、新山口)、広島、福山、岡山、新神戸、新大阪、京都、名古屋、新横浜。
 まだ、品川駅は開業していません。
 広島でのぞみに抜かれるため、8分停車していました。


 帰省ラッシュが始まる夏のある日。
 広島に到着して、私が売店のある8号車から5号車へ移動しているときのこと。
「自由席はどこですか?」
「5号車から後ろです」
 7号車の東京よりのデッキで老夫婦に声をかけられた。
 男性の手には白い杖。目の不自由な老夫婦。
 7号車は2階建て車両。2階はグリーン車で1階は指定席。4列並びのゆったりシートでビデオ映像が楽しめる。
 5号車まで車内を歩いていくには、階段を下りて上ってを繰り返すことになる…。そこで、
「よろしければ、5号車まで案内いたします」
 男性の手を自分の肩にのせて、案内開始。
「発車まで時間がありますので、ホームから行きましょう」
 ホームに出て、5号車のデッキへ。
 5号車の自由席は満席。座れるかな?
 すると、座っていた乗客が席を譲っていた。老夫婦は座席は離れていたが、無事、座ることができた。
 案内を終えて、お仕事再開。  
 ワゴンを押しながら、5号車の客室に入ると…。
 老夫婦は仲良く並んで座っていた。
 乗り合わせた乗客が気を利かせてくれたのだろう。
 胸があったかくなった。

 夏が来ると思い出す。

 一ノ関から乗った盛岡行きの客車列車。
 列車の前で記念撮影。
 ホームにはでかいザックと一升瓶が一つ。
 主は20歳の青年。東京に下宿しているが、出身は北九州。
 北海道をあちこち旅するらしい。
 と、いうことは?この青年も今夜の青函連絡船に乗る…。
「良かったら、甲板でいっぱいやりません?」
 3人で飲むことが決定!
「でも、酒飲めません!」
 当時17歳の私は、お酒など、未知の世界であった。
「じゃあ、牛乳で参加したら?」
「する!」
 一番後ろのデッキで3人ではしゃぐ。
「わ〜雪だ!記念すべき第一歩!」
 雪の中に足を突っ込んだ。
 即席で雪だるまを作ってホームに飾ったりした。
 車掌も苦笑していた。
 途中から乗ってきた高校一年生の女の子と記念写真。
 最初は恥ずかしがっていた女の子。途中からノリノリでピースして写ってくれた。白百合女子高だったか?
 私は撮る側でツーショットの写真は残っていない…。
「さっきの駅で写真撮った?今度のダイヤ改正で駅名が変わるよ」
 車掌さんが教えてくれた。今は花巻空港。当時は花巻…だったか?
 盛岡に到着。
 ここで、東北本線をまっすぐ進んでいく二人と別れ、花輪線経由で青森を目指す。
 先に二人が青森に到着して、飲み会用のつまみの買出しをするらしい。
 盛岡から花輪線大館行きのディーゼルカーに乗る。
 発車してすぐに岩手山が見えた。
 日が暮れて車窓は真っ暗。雪も深くなり駅名票が半分埋まっていた。
 押入れから布団が崩れてきたような感じで雪が迫っている。
 乗客は青森を目指していると思われる高校生などが乗っていた。地元の乗客の姿はあまり見かけなかった。
 大館から弘前行きに乗り、さらに青森行きに乗り換える。
 青森駅は雪の中だった。青函連絡船乗り場の待合室で二人と合流。スーパーの袋につまみがいっぱい入っていた。
「牛乳も買ったよ!」
 一リットルのパックが一本。
 0時過ぎの出発時刻まで待っている間に、甲板で呑む、という話に参加する人が増えて、結局15人くらいにふくらんだ。
 1便、摩周丸に乗り込む。荷物を置いて甲板に集合。
「オーナーにカンパイの音頭をとってもらいましょう!」
 一升瓶の青年Sさんはいつの間にか、オーナーと呼ばれるようになっていた。
「それでは皆さん!青函連絡船が廃止されるのを…
祝っちゃ、イカンよなあ…」
 一同大爆笑。
「青函連絡船が廃止されるのを、惜しんで乾杯!」
「カンパ〜イ!」
 栃木県から来た高校2年生、京都大学農学部の2回生、東京大学の学生、名古屋から来た一浪決定のOさん…。よくもこんなにイロイロ集まったものだ。
「こっちに来る途中にいただいた源氏巻です。どうぞ!」
 小郡から車中でお話したおばあちゃんからいただいたお菓子を振舞った。
「見ろ!空には満点の星空が!」
「何も見えないじゃないか」
 そのうち、白いものが降ってきた。
「雪だあ!」
 みんな頭が白くなってきた。
「『津軽海峡冬景色』、歌おうぜ!」
アルコールが回ったのか元気なこと。
 牛乳飲んでいると、体が冷えてきた。
 1時ごろにはあったかい船室に戻って寝た。2等の桟敷席である。
 4時過ぎ函館に到着。3時間50分という所要時間は寝るには短すぎる。
 函館の朝市を見物した。
(終わり)

高校の卒業旅行のお話。
1988年3月、青函連絡船が廃止。
青函トンネル開業。
青春18きっぷを使って、博多から青森へ。青函連絡船に乗りに行った。
 大体の乗り継ぎはこんな感じである。
 まず大垣発東京行きの夜行普通列車に乗るために、大垣を目指して普通列車を乗り継いでいく。
 そして車中泊。
 早朝に東京に到着、さらに北へ。常磐線周りで仙台、盛岡から花輪線に乗る。大館から奥羽本線で青森へ。
 青森に到着。青函連絡船1便で函館へ。
 確か0:30分発で函館到着が4:20…だったか?
 4便(八甲田丸)、5便(十和田丸)、102便(石狩丸)と2往復して4種類の船に乗り、また二日かけて博多に戻るという、過酷な旅。

 大阪を過ぎて、新快速の車内で、和歌山から来た19歳の男性と会う。普通列車を乗り継いで青函連絡船に乗りに行くという。
 かなり旅なれた感じの青年だった。
 で、一緒に旅することになる。
 大垣発東京行きにも何度か乗ったことがあるというので頼もしい。
 夜行の普通列車に乗るのはコレが初めての体験。話し相手も見つかってよかった。
 大垣でも乗車口に荷物を置いて列車を待つ。1時間ほど前からそれぞれの乗車口に10人くらい並んでいた。
 当時の372Mは急行「東海」型といわれる165系を使用していた。
 垂直背もたれのクロスシート車。なかなか眠れなかった。二人でボックスを占拠できたので楽ではあった。
 普通列車で東京に乗り入れるのも初めてのことである。
 4時42分(推定)東京に到着。山手線の接続はすぐ。地下道を走って乗継成功。
 上野駅から常磐線の平行きに乗る。
 駅名票の下に「福島県」とあるのにちょっとした感動を覚える。
 仙台で昼食。
 一ノ関から盛岡行きの客車列車(当時は50系客車でした)に乗る。
(つづく)

開く トラックバック(1)

海での会話。

「やっと二人っきりになれたね」
「さて、始めようか?」
「え?ここでするの?ここ、岩場だから怪我するよ。砂浜でしよ」
「では、早速…」
「その前に、コレ、つけて」
「え〜?つけないとダメ?」
「そうよ。つけないと簡単にできちゃうでしょ」
「うん…わかった」
「そのまま、うん…あ…ちょっと左、うん、そこ」
「もう、いいかい?」
「まだ、早いわよ」
「えいっ!」
「ああ〜ん、もう、外れちゃったじゃないの」
「どれどれ…あら〜残念…



やっぱり、難しいな〜









スイカ割り。


 ラジオで聞きました。
 ドギマギしました。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事