みといなの日記

旅に出られない苦悩の日々をそこはかとなく書いています。

昔の旅の話

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眠る町と起きている駅

 静まり返った市街地を歩いて、サウナの場所と値段の確認をする。24時間以内の滞在で2,000円。
 後はひたすら待合室で時間をつぶす。週刊誌を読みながら焼酎を飲んでいるサラリーマン風の人、ベンチで眠りながら「日南」の発車を待っている人、浮浪者風の人などがいた。
 1時30分頃、閉まっていた「みどりの窓口」が開いた。「日南」の切符を売るためだろう。改札口の前にあるキヨスクはまだ開いていた。「日南」が発車するまで営業しているのだそうだ。「日南」は大分で長時間停車するから、キヨスクを利用する人は多いだろう。
 静かに入線し、大分までの帰宅組を降ろした後の「日南」の自由席はほとんど満員。禁煙車には空席がなかった。仕方なく喫煙者で我慢する。
 トイレから戻る途中、私をじーっと見ている女のコがいた。
「覚えています?」
 はて、誰だっけ。こんな知り合いなんかいたっけ。と思っていると相手がいろいろ話しかけてきた。
 大学の学園祭で北海道ワイド周遊券の事をしつこく聞いていた女のコだと思い出すのに時間はかからなかった。「お年玉フリーきっぷ」を利用して宮崎まで行くらしい。
 「お年玉フリーきっぷ」とは、1月1日から2日までの2日間、JR九州全線の特急に乗り放題の切符である。グリーン車用が8,000円で自由席用が5,500円である。かなり安く旅ができるので、まさにJR九州からの「お年玉」である。
 と、いうことは自由席のほとんどの乗客は「お年玉フリーきっぷ」の利用者?だから混雑しているのか?
「宮崎で観光するとしたら、どこがいいですか?」
 相変わらず学園祭と同じ調子で聞いてきた。あまりよく知らないが、青島がいいんじゃない?と答えておく。日南線に乗るといい、と知っている範囲でアドバイスしておく。
 缶ビールを飲んで、すぐ寝た。大分駅のキヨスクよ、ありがとう。
 

乗り継ぎの最南端ー西鹿児島

 宮崎で一度目が覚めたが、眠いのでもうひと眠り。次に目が覚めたときは国分だった。
 喫煙者はあまり煙たくなくて本当によかった。ティーサーバーでお茶を飲もうと思ったら、なくなっていた。残念。紙コップもなくなっていた。
 西鹿児島に到着。この旅で最南端の駅である。冬だからやっぱり寒い。青森ほどではなかったが、南だから暖かい、というわけでもなかった。
 駅構内の喫茶店で朝食。西鹿児島は何回か降り立ったことがあるので、まだ行ったことのない駅に行ってみることにする。
 時刻表を見ると、10時37分発の川内行があるので、その列車に乗ることにする。
 
 

浮いた存在の旅人

 2両編成の電車は軽快に走る。シラス台地か、切り立った崩れやすそうな崖の下を走る。
 乗客は地元の人が多く、私のような旅姿の人はいなかった。
 一人浮いた存在になってしまった。
 

グリーン車シートでゆったりと

 川内からの熊本行電車は急行型の455系が6両というリッパな編成。しかもグリーン車改造の車両があったのでそれに乗る。
 シートはリクライニングして、向きを変えることができる。グリーン車時代のままである。テーブルは撤去されているが、おいしい車両といえる。
 伊集院には使われなくなった20系客車が側線に留置されていた。車体はかなり色あせていた。行先は「かいもん・西鹿児島行」となっていた。
 薩摩高城で西鹿児島行寝台特急「はやぶさ」と交換。一線スルー化で通過列車が分岐器の直線側を通過する。熊本行は進行方向の右側に停車して待つ。左手をかなり速いスピードで「はやぶさ」が通過していった。
 牛ノ浜付近には「まくらぎ茶屋」というドライブインがあり、まくら木を高く積み上げた看板が見えた。
 出水で「ハイパー有明36号」に抜かれるため、10分停車。
 リクライニングシートを倒し、ゆったりした気分で車窓を楽しむ。海岸線に沿って走るこの区間は、コンクリートの壁の向こうに海が広がる。反対側には山が迫っていて、車窓を楽しむのに最高の区間である。
 八代からは複線。田んぼの中を直線で抜けるようになり、列車のスピードが速くなった。
 大きな鉄橋を渡り、熊本に到着。
 改札口に下車印だらけの切符を出すと、「青森」の上から押されてしまった。はっきり押されなかったので助かった。逆に「熊本」は何も見えない。
 2番ホームには鹿児島本線のニューフェイス、811系の急行「ひのくに」が停車していた。アナウンスを注意深く聞いていると、下り列車が15分ほど遅れている様子。何か事故でもあったのだろうか。
 

豊肥本線をいく

 ついに最後の本線、豊肥本線である。総武本線から始まったこの旅も、いよいよ最後の路線である。
 豊肥本線はキハ31の2両編成。発車ベルもアナウンスもなく、いきなりの発車である。
 肥後大津でSL「あそBOY」と交換。ホームは賑やかだったが、「あそBOY」のまわりに集まっていて、こちらの車両には見向きもしない。
 新型軽量ディーゼルカーのキハ31はエンジン音も静かで加速もいい。立野のスイッチバックも難なく登ってしまった。
 シートは新幹線0系の転換クロスシートである。トイレはなし。窓もあまり大きく開かない。
 市ノ川を過ぎると、右手に米塚が見えてきた。境界線を境にして左側は雪に覆われていた。右には全然雪がなかった。阿蘇の外輪山もうっすらと雪を被っていた。
 宮地に到着。ここで1時間36分の大休止。
 夕食をとることにしよう。おばさんにすすめられるまま、駅前の食堂で食事をしたが、大ハズレ。高かった。
 待合室で時間をつぶす。
 なぜか、人懐っこい猫がいた。迷彩色毛並みの変な猫で、どこに目があるのか分からない。
 「火の山6号」の発車を改札口から見る。
 確か、S高校の鉄道部員が「お年玉フリーきっぷ」でこの列車に乗っているはずだ。S高校の鉄道部員に弟の友人がいる。
 最後尾のデッキから、こちらに向かって手を振っていた。こちらもしっかり手を振って見送る。
 もう真っ暗になってしまった。さらに黒い車窓の旅が続く。総武本線から始まった旅の車窓の半分は黒かった。最後の区間も黒い車窓で締めくくられることになる。
 駅の明かりが暗い車窓に対しての救いになるが、ひっそりとした駅ばかりなので寂しさはいっそう強いものになる。
 車窓をよく見ていると、白い。雪がうっすらと積もっているようである。
 豊後竹田で23分停車。ホームに「荒城の月」が流れることで有名な駅である。が、流れてこない。夜中だからか。スタンプを押しに行く。
「キレイに押せたか?」
 駅員から声をかけられた。発車までまだ時間があるのでスタンプ帳を見せたりした。スタンプ帳は大分のキヨスクで買ったものである。
「そういえば、『荒城の月』を流してませんね」
「ああ、流してはいたんだけど、沿線の住民から騒音の苦情が出てね。夜はあまり流さないようにしているんだ」
 と言いながらもスイッチを入れてくれた。小さくしんみりとしたメロディーが聞こえてきた。
 前回、この駅を通った時は、チャイムみたいなキンキン響く品のない音だった。今回はオーケストラの演奏になっていた。品のない音が騒音になっていたのだろう。
 駅員はしっかりとオレンジカードを勧めてきた。金がないからといって断る。
 静かに車両に揺られて窓の雪を見る。時おり降っているようだがすぐにやんでしまう。
  

ついに大分到着

 21時32分、大分に到着。
 長い旅もこれで終わりである。
 終わってしまうとなんとなく寂しい。
 しかも、夜の駅に降り立つのだからなおさらである。暗くなる頃に目的地に着くという旅を小さい時からしていて、旅の終わりを暗示しているから、寂しく感じるのかもしれない。
「この切符、記念に下さい」
 改札口の駅員に言うと、精算所で無効印を押すように言われた。
 こうして、無事、切符は手元に残った。
 あわただしい旅だった。
 それもそのはず、23日間も有効な区間をわずか6日間で走破してしまったのだから。
 大分駅はひっそりとしていた。
(終)
 
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各駅長時間停車の客車列車

 由布院行は赤い客車3両にDE10型ディーゼル機関車という編成だった。客車列車には乗るが、DE10の牽く列車に乗るのはこれが初めてである。
 急行「由布5号」の後をのんびりと追いかけるように走る。
 雨が窓をたたいている。
 南久留米で普通列車、御井で特急「ゆふいんの森」、善導寺で普通列車と交換した。
 各駅で行き違いをする過密ダイヤである。駅に停車する度に4、5分ずつ停車する。日田では19分も停車した。
 停車時間を利用して、大分からの急行「日南」の急行券を買っておく。
「明日の分ですか?」
 係員に聞かれた。急行「日南」は大分発2時09分である。どうがんばっても今日の「日南」には乗れない。
 日田で「日南」の急行券を買う人なんていないだろう。日田駅の売上にちょっと協力。
 ちょうど急行「由布6号」が発車するところだったので、ホームでその様子を見ていると、列車に向かって手を振っている人がいた。
 「由布6号」は急停車。
「乗るの?」
 車掌が聞いていたが、ただ手を振っていたらしい。紛らわしいことをして迷惑をかけるのはけしからん。
 そのけしからん人は由布院行に乗ったようである。
 豊後森では16分停車。スタンプを押す。恵良駅のスタンプもここに置いてあった。21時になると、なぜか「荒城の月」のメロディーがゆっくりとしたテンポで流れてきた。ほとんどの店は閉まっており、時間があっても歩き回る気にはならない。
 車窓は何も見えないが、何度か鉄橋を渡る音が聞こえてくる。結構長い鉄橋のようである。多分車窓も川沿いの自然に満ちたものだろう。
 由布院を目前にして検札があった。
 車掌は切符を見て感動していた。切符は下車印で埋め尽くされていて、ひと目ですごいと分かる切符になっていた。
 

乗務員室で雑談

 由布院からの大分行はキハ40が一両。乗客も数えるくらいしかいない。
 車掌も検札に回ってきた。退屈しのぎ?いえいえ、立派な仕事です。
 この列車の車掌も切符に見入っていた。そして、乗務員室においで、というのでお言葉に甘えてお邪魔した。
 酔っ払いが新幹線を停めた話や、ドアの扱い方を教えてくれた。
 ドアスイッチの所にある「速度検出」のランプ。点灯中にスイッチを操作しても、ドアは開かないようになっている。さらにドアが開きっぱなしで発車した場合でも、列車の速度がある程度あがると、自動的にドアが閉まるそうだ。
 と、言うことは羽越本線の出来事は、車掌がドアを閉め忘れたのだろうか?
 車掌さんは、高千穂線が廃止されるまでは延岡車掌区にいた。高千穂線に乗務していた時のエピソードを話してくれた。
 何年か前、通学で利用している高校生から就職試験当日に「保護者になってください」と頼まれたことがあった。高校生の両親は何か用事があって就職試験に行けなかった。乗務が終わってから制服姿で保護者を演じたのである。試験はめでたく合格。高千穂線の最終日に高校生の両親から花束をもらった。臨時列車の停車しない駅が最寄の駅だったが、わざわざ停車駅まで出向いて花束を渡したそうである。
「次は○○です」
 駅が近づくと、放送を入れてドア扱いをする。
「あ、乗ってきよった。ちょっと待ってて」
 途中駅から乗ってきた乗客に、車内補充券を売りに行く。乗客は少ないのですぐに戻ってくる。
 第三セクターの高千穂鉄道になってからも、沿線の高校は高千穂鉄道の職員に寄せ書きを贈ったそうである。車窓が美しいだけでなく、人と人のつながりが濃い鉄道だとは知らなかった。
 今夜の宿は急行「日南」に乗る。明日の大分到着も夜である。
 明日のために安い宿を探しておく。車掌さんは24時間営業のサウナがあると教えてくれた。
 23時21分、大分に到着。
 急行「日南」の発車時刻は2時09分。2時間20分ほどあるので、サウナの場所を確認しておく。車掌は場所が分からないと言っていたが、駅員に聞くといいよ、と教えてくれたJR職員もよく利用しているようである。

二分停車乗り遅れ事件

 東萩で二分停車。
「スタンプ、押せるかな?」
「ダッシュしたら何とかなるやろ」
「じゃ、押してくる」
 よせばいいのに、列車から降りてしまった。
 列車は3番ホームに到着。跨線橋を渡らないといけない。
 間に合ったら奇跡である。
 奇跡は、起こらなかった。
 列車は私を残して発車していった。
 発車ベルもなく、静かな発車だった。
 よくもまあ、こんなマヌケなことをしたもんだ。列車乗り継ぎの疲れが出てきたのか、魔がさしたのか…。
 次の列車まで一時間。
 

消えたスタンプ帳

  泣いても笑っても列車はないので入場券を買いに窓口へ。
「売り切れました」
 ついてない。腹が減ったので駅の二階にある食堂で昼食。せっかくだから観光地の一つくらい見てこようと歩いてみたら、片道10分以上かかるのでやめる。
 仕方ないので駅前で過ごす。
 ん?
 スタンプ帳がない!
 歩いたと思われる所を探してみたが、見つからない。名前を書いていないので拾った人はもうけもんだろう。銚子から中央・東北をぐるりと回ってきた「ものすごい」スタンプ帳なのだから。全くついていない。
 そのうちに列車はやって来た。
 今度の列車が発車する時はベルがなっていた。東萩の発車ベルは気まぐれなようだ。出来れば鳴らして欲しい。鳴らしてくれていたら、乗り遅れなかったかも。
 車窓の右手に美しい海岸線が広がるが、カメラがない。いや、楽しんでいるゆとりすらなかった。
 長門市で1分の乗り継ぎ。島式ホームの反対側に客車列車が停車していた。山陰本線でもこんなにいい接続があるのか。
 機関車はなんとオレカにデザインされていたDD51-1111だった。
 小串あたりでは虹が見えた。正月に虹を見るということは縁起がいいのか悪いのか。あまりいいことが続いていないが、縁起のいいことと勝手に解釈しておく。
 

列車おっかけ乗り継ぎ

 列車は綾羅木に到着した。
 しいさんがホームにいた。
 私の姿を見てあきれていた。新幹線と急行「由布5号」に乗れば、鳥栖で予定の列車に間に合う、と説明を受けながら新幹線の自由席特急券を受け取る。綾羅木駅発行の硬券だった。
 下関でH田氏と再会。彼の足元に私の荷物があった。何となく疲れているようだった。私が乗り遅れ事件を起こしたために、小野田線の旧型国電(クモハ42型。2003年3月14日で廃止)を見ることができなくなったらしい。本当に申し訳ない。
 H田氏とゆっくり話す暇もなく、ロングシートの電車に乗り込む。関門トンネルを抜けてついに九州入り。この旅も残り少なくなってきた。門司駅構内で電気が直流から交流に変わるデッドセクションを通過したが、車内は暗くならなかった。さすが新型車両。
 小倉では7分しかなく、急いで窓口へ。急行券を乗り継ぎ割引で半額にするためである。JR西日本の窓口で新幹線の自由席特急券を見せて発行してもらう。250円ナリ。
 ホームに出て間もなく、「こだま543号」が入線。
 シートは新幹線開業以来の転換クロスシート。モケットは張り替えてあるが、座り心地は同じである。しばし懐かしい乗り心地にひたる。
 薄暗くなった頃、博多に到着。やっぱり新幹線は速い。
 しいさんは気分が悪いので、ここでまっすぐ実家に帰宅するようにした。改札口でしいさんと別れる。
 ホームには急行「由布5号」が発車を待っていた。一般色(国鉄色)の車両が2両と、九州の急行の標準色となる車両が3両。この3両はアコモ改造車だった。禁煙車を探して乗り込む。自由席のシートもフリーストップリクライニングシートになっていた。前列のシートの背もたれにテーブルがついていて、特急の自由席よりもグレードが高い。
 300円払うと指定席に乗れる。指定席はグリーン車のお古のシートである。どっちがいいのだろうか?シートはよくなった。しかしシートピットが広くなり、窓との間隔がずれている。窓とシートがいい位置関係になっているシートを見つけて座った。外は暗いのでどこに座っても同じだった。
 さすがに鳥栖までは特急がガンガン走る区間とあって、快調に飛ばす。エンジンの音は力強く、軽快にうなっている。
 基山を通過。乗る予定だった普通列車を追い抜く。
 鳥栖に到着。夕食時で、駅弁を買ってあわてて乗り込む姿が見られた。
 夕食用に「かしわめし」(600円)を買う。列車から降りてすぐ買ったので、
「『由布』に乗るの?」
 慌てた様子で聞かれた。
 ここで列車追っかけ乗り継ぎは終了。

健在!リヤカー販売

 1990(平成2)年1月1日。
 急行「だいせん」は0時33分、3番ホームにすべりこんだ。ホームではリヤカーで飲み物やお菓子を売っていた。しいさんは早速缶ビール3本とつまみを買った。リヤカー販売は福知山の名物だったらしく、未だに昔ながらのスタイルが残っていることにしいさんは驚いていた。リヤカー販売を初めて見たが、利用者は結構多い。まだまだの光景は見られるだろう。
 雨が降ってきたので、急いで車内に戻る。私とH田氏は早速ゆかたに着替え、しいさんはTシャツ姿でデッキへ。全員そろったところで缶ビールで乾杯。呑み終わったらすぐにベッドへ。早朝には出雲市に着いてしまうので、あまりのんびりしていられない。
 

三人用個室

 1号車の15番の寝台は一番前でボックスになっておらず、三人用の個室みたいである。上段にしいさん、中段に私、下段でH田氏が寝た。
 ビールの酔いに心地よい揺れがともなって、たちまちに眠ってしまった。1号車はスハネフ14型客車で床下にディーゼル発電機がついているが、エンジンの音はあまり気にならなかった。
 宍道の到着案内で目が覚める。ぐっすり眠れた。顔を洗って荷物をまとめていると、もう出雲市に到着。もっと寝ていたい。どうせなら益田あたりまで走ってもらいたいと思うくらいである。
 益田行は3分の接続。「だいせん」の半数の乗客が乗り継いだようである。うれしいことに益田行は客車列車である。旧型客車のかもし出す雰囲気とは比較にならないが、客車列車独特の雰囲気と乗り心地は50系客車にも受け継がれている。
 クロスシートには座れず、乗客が少なくなるまでロングシートに座る。少しずつ明るくなってきたが、列車は山間を走っているので初日の出は見られなかった。雨はやんでいた。どうやら晴れるようだ。
 車窓から日本海が見え隠れするようになる。
 

絶叫アナウンス

 大田市で11分停車。特急「おき1号」に抜かれ、浜田発米子行434列車と交換する。「おき1号」の到着と同時に434列車が入線。「おき1号」が発車してから、434列車はのんびり動き出す。
「次は静間ーッ」
悲鳴にも聞こえるアナウンスで4回も連呼していた。
 そしてようやく益田行も発車。さすが山陰の客車列車、実にのんびりした走りである。
 駅に着く度に乗客が変わってくる。旅行者風の乗客は少なくなるが、入れ替わりに地元の乗客が乗ってくる。見た感じでは「お正月」の雰囲気ではない。普段と全く違いが見られない。
 
 

車掌とオレンジカードと硬券入場券

 車掌がオレンジカードを勧めてきた。
「必要があれば買いますよ」
「硬券入場券が買えたら買います」
 などと言って断る。
 都野津で5分停車。オレンジカードで硬券入場券が買えるので、車掌からオレンジカードを買う。さっき断ったばかりである。車掌は苦笑しながら、「平成1年11月11日記念」のオレンジカードを渡してくれた。浜田車掌区のもので、DD51−1111のディーゼル機関車と浜田周辺の列車ダイヤがデザインされている。
 1986年の夏に山陰本線の旧型客車で旅したときにお世話になった機関車である。そして入場券を買った。
「発車しますよ」
 少し若い感じの車掌はホームで時間をつぶしている乗客に声をかけた。ホームにいた人のほとんどは鉄チャンのようである。
 

長時間停車で朝ごはん

 浜田で34分停車。朝食をとろうと喫茶店を探すが、どこも閉まっていた。やっぱりお正月だった。しかしホテルのレストランは開いていた。400円のモーニングセットを注文したら、正月はやっていなくて、800円の朝定食しかないそうだ。空腹にはかえられないので、朝定食を注文する。出てきたものは上品なおせち料理だった。味噌汁にはカニが入っていた。キヨスクでパンと缶コーヒーの方が安く済んだが、ご飯のおかわりが自由であることを知ったのは収穫だった。
 駅に戻ると、しいさんとH田氏がパンとゆで卵を食べていた。
 石州瓦の茶色い屋根が目立つようになり、山陰らしい独特の雰囲気を盛り上げる。レールは細くて頼りないが、それでも列車はかなりのスピードで走っている。車窓を楽しんでも疲れず、遅さを感じさせない絶妙な速度である。
 10時54分、益田に到着。しいさんは山口線まわりで行くという。山口線・山陽本線の乗り継ぎだと、まっすぐ山陰本線を下るよりも6分遅く益田を発車して、下関には4分早く到着する。別行動をとってまた合流するのも旅の楽しみのひとつである。
 益田からは右手に日本海が広がる。
東大生と日本海とJR東海
 
 左側の車窓をしばらく見ていたが、右手に日本海が見えるようになると、どうも気になってしようがない。日本海の車窓をどうしても見たくなったので引っ越す。今まで急行「きたぐに」で眠りながら通っただけなので、しっかりと車窓を見る。
 車内を見渡すと、地元の人よりも旅姿の人が多いのに気がついた。私が引っ越したシートに座っている人も旅行者風。同じように車窓に見入っている。話しかけてみると、東京から山口まで「青春18きっぷ」を使って行くという東京大学のM氏。北陸を回っていくなんてただ者ではない。なぜ北陸まわりで?
「日本海を見たかったのと、JR東海を経由したくなかった」
 それでは、なぜJR東海を経由したくないのか?
「JR東海の車両はロングシート車ばかりで、しかもトイレがついていないから」
 そのことに対するレジスタンスの意味もあるそうだ。やっぱりただ者ではなかった。私の切符を見せると、びっくりして見入っていた。
 旅行者風の人達は東京からほとんど顔ぶれが変わっていないと教えてくれた。床を見るとなるほど、横川の駅弁「峠の釜飯」の空容器が置いてあるのが見えた。昼の時間帯なので、釜飯の包みを解いている姿も見られた。
「今夜はどこに泊まるんですか」
 M氏に聞いてみた。
「まだきめていないんだ。たぶん、敦賀あたりになるだろう」
 左手にはうっすらと雪を被った立山連峰が見える。
 さて、お昼にしよう。
 直江津で買った「かにずし」を開ける。カニの形をしたふたを開けると、ご飯の上にカニがびっしりと乗っていた。少し酸っぱいのは寿司だからだろう。(当たり前か)
 M氏は早朝に家を出る祭におにぎりを作ったそうである。これで昼食代はただ。食費を浮かせる常套手段で私もよく活用している。
 魚津から富山地鉄と並んで走る。そして富山をめざす特急と競争する。こちらがリードしたと思ったら抜かれる。何度かデッドヒートを繰り返しているうちに特急が駅に停車して幕。
 いろいろと雑談しているうちに富山に到着。 
 

禁煙車をつけんかい!

 北陸本線の乗り継ぎもあまり時間がないので、森松氏とホームで別れる。窓口で岐阜までの急行券を買う。ホームに戻ると急行「のりくら6号」の発車時刻。8分というのは実に短い。
  急行「のりくら6号」は2両編成で発車した。どちらも自由席である。シートにはJR東海の特徴というべきシートカバーがかかっている。JR東海の車両なのだ。困ったことに禁煙車がない。2両編成ならどちらか一両を禁煙車にしてもらいたい。
 

JRのテリトリー

 「乗車券、急行券のないお客様はいませんか」
 車内をJR東海の制服の車掌が巡回している。車内で買えば、JR東海の収入となる。駅はJR西日本なので駅で買えばJR西日本の売上となる。それで熱心に巡回しているのだろうか?
 私は富山駅で急行券を買ったから、M氏のレジスタンスに協力(?)したことになる。杉原からJR東海のエリアに入る。特急「北アルプス」と交換する。
 今度はオレンジカードの販売を始めた。オレンジカードの販売はお互いのナワバリを尊重しているようである。 
 

川らしい川

 トンネルをくぐる度に雪が深くなってきた。
 宮川に沿って列車は走る。見事に雪化粧しているのでしばらく見とれる。うれしいことに護岸工事が施されていない「川らしい川」だ。
 日本から川らしい川が消えようとしている。川沿いに走る車窓からコンクリートの壁が目立つ所が多い。護岸工事をすると単に景観をそこねるだけでなく、川の持つ本来の機能が失われてしまう。自然に対してどこまで手を入れる必要があるのだろうか?これ以上自然が破壊されないようにしてほしいものだ。
 高山で6分停車。ここで前に6両増結する。グリーン車や指定席車が連結されてやっと急行列車らしくなる。自由席には「たかやま」などと書かれた紙袋をたくさん手にした家族連れがたくさん乗ってきた。
 増結編成の中に禁煙車があったので、禁煙車の4号車に引っ越す。こんなことなら富山からの編成にも禁煙車をつけるべきである。高山―名古屋間の乗客を優遇しているのか。長距離の利用者も尊重して欲しい。
 JR東海の近郊型電車のトイレをつぶすのは「もうけ主義」のため?M氏の言っていた事が分かるような気がする。
 飛騨一宮で特急「ひだ5号」と交換。引退間近のキハ82系。「ワイドビューひだ」の登場によって高山本線を元気な姿で走るのもあとわずかである。
 小学生の頃から「あさしお」(京都〜城崎・米子)や博多から新大阪まで走っていた「まつかぜ」、「にちりん」など82系の活躍を見てきたが、まだ乗ったことがない。全廃される前に一度は乗ってみたい車両である。
 飛騨小坂から雪が少なくなってきた。 

大晦日の列車

 高層ホテル、旅館などが目立つようになり下呂に到着。ホームの洗面所にも温泉のお湯が出ている。2分停車と短いので見るだけ。もうすっかり暗くなってきた。
 飛騨金山で急行「奥飛騨」を抜く。ユーロライナーの展望車に14系座席車がはさまれた形の編成で停車していた。時刻表を確かめるまで、てっきり飛騨金山始発だと思っていた。乗客の姿がほとんど見当たらなかったからである。
 高山、下呂から乗ってきた乗客で、車内の雰囲気は帰省客で込んでいる状態となった。大晦日の列車は混雑するものだろうか。今までは家や親戚の所でのんびりと過ごして新年を迎えていた。そのためあまり移動が無いものとばかり思っていたが、大晦日というのと全く関係ないようである。移動する人が多いのには驚いた。
 パチンコのネオンがやたら目立つようになる。名古屋はパチンコの発祥地。中京都市圏に入ったのだと実感する。
 高架化工事の進んでいる岐阜に到着。キヨスクで夜食用のパンを買っておく。
 米原行の電車は転換クロスシートの117系だった。ロングシートでなくて本当によかった。
 近江長岡あたりでは雪が降っていて、雪がうっすらと積もっているのが見えた。ここからさらに雪景色が楽しめるか?米原の広大な構内は雪に覆われているのでは…と期待したが、大いに裏切られた。
 雪の全然ない米原に到着。

速くて寒い新快速

 米原からはJR西日本。新快速も117系だろうと思ったら、ニューフェイスの221系だった。いろんな車両に乗れてうれしい。乗り継いでいく列車が全部同じ形式だと、やはりおもしろくない。いろんな車両に乗れるのも乗り継ぎの楽しみである。
 発車までかなり時間があるのに三つのドアは開きっぱなし。車内がだんだん冷えてきて寒い。車両の真ん中のドアを閉めるとか、半自動ドアにするなどして車内を冷えないようにして欲しい。そういえば、筑肥線を走っている4つドアの103系1500番代は唐津など停車時間の長い場合、三つのドアを閉めて車内が冷えるのを防いでいた。弱冷房車を考えてくれる関西の鉄道。暖房についても考えてみては。
 数人の乗客を乗せて発車。タタン、タタン…と軽快なリズムが次第に早くなる。車内には電光掲示板があり、JR西日本の旅行センター「Tis」などのCMがスクロール表示されている。
 ものすごく速い。さすが新快速と感心。しかし、スピードが速すぎたのか時間調整でしばらく停車。
「寒いな」
 乗客のそんな声があちこちから聞こえてきた。いくら東海道本線といっても乗客の乗り降りが少ない時ぐらい柔軟な対処をして欲しい。ドアの横にある開閉ボタンは飾り物か?

食事のできない京都

 速くて寒い新快速と京都でお別れである。京都では36分の時間がある。この乗り継ぎでは珍しい。食事をしようと思ったが、閉店の時間でだめ。ホームには帰宅するサラリーマンの姿が目立つ。駅前には巨大なスクリーンがあった。何かイベントでもあるのだろうか。正月のイベントかどうか分からないが、正月らしい感じがした。
 1ホーム2線から、新しく2ホーム4線になった山陰本線のホームで時間をつぶしていると、背の高い青年が火のついた煙草を手に近づいてきた。
「Oです」
 O氏だった。今はなき青函連絡船「摩周丸」の甲板で呑んで(私は牛乳で参加)どんちゃん騒ぎした一人である。実家が名古屋で大学が一橋だから東京なのになぜ京都にいるのか?
「母の実家が京都の花園にあって、そこで正月を過ごす事になっていたんだ。そして、近くを通るようだから出てきた」
 よくぞ年末にわざわざ出てきてくれたものだ。京都から花園までと距離は短いものの、N田氏の銚子―辰野に次いで二人目の参加者となった。これから先はどうなることやら。
 久しぶりの再会とあって話が盛り上がったが、あっという間に花園に着いてしまった。
 嵯峨(現、嵯峨嵐山)を過ぎると新しくなった区間を走る。保津峡の美しい車窓は過去のものとなってしまった。暗いから車窓は楽しめないがこの区間はトンネルばかりなのでさらに味気ない。
 電化工事と同時にホームの高さを上げる工事もしているようで、園部など「足元にご注意ください」のアナウンスがしきりに流れていた。
 胡麻で京都行最終160Dと交換。乗客も少なくなり、車内が寂しくなってきた。寂しい雰囲気の中で静かに雪が降っている。
 下山で寝台特急「出雲2号」と交換。機関車は重連だった。
 立木で「出雲4号」と交換すると、交換する上り列車はなくなる。
 駅に着く度に一人、また一人と下車していく。綾部で数人乗り降りがあっただけで、あとは特に変化はない。
 雪が雨に変わり、列車は福知山に到着。
 

福知山の焼きそば屋

 改札口でしいさん(この旅を企画した人)とH田氏に迎えられる。二人は城崎でちゃっかり温泉に入ってきたそうである。
 腹が減ったので、なにか買いに行こうとしいさんと深夜の福知山を歩き回る。店はほとんど閉まっていて、静まり返っている(深夜だから当たり前である)。歩き回っているうちに年が変わった。
 とても開いている店はないだろう、と思いながら歩いていたのだが、奇跡的にお好み焼き屋がなぜか開いていた。焼きそばを買う。得意顔で駅の待合室に戻ってH田氏に店のことを話すと、
「行けばよかった…」
 と落ち込んでいた。
 三人前買った焼きそばを見せると元気になった。現金なものだ。待合室で遅い夕食。果たして焼きそばは年越しそばになるのだろうか。
 それにしても待合室はものすごく汚い。乗客に混じって浮浪者風の人もいた。

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