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被爆者に対する差別と偏見は今でも存在します
原爆投下直後から現在の被爆者差別の実例です
● ケロイドは「うつる(=感染する)」という偏見があり、腕のケロイドは夏でも長袖を着て隠さなければならなかった。
● 被爆者は銭湯では入浴する人がいなくなる閉店前に入るしかなかった。ケロイドがある人はなおさらであった。
● ある女性は御主人の実家松山では、道にでると近所の人たちは「原爆がうつる」といってよけた。買い物に出かけても、そこに物があるのに「今日はない」といって断られた。
● 被爆した女性がご主人の転勤先の東京で岩国(広島県に隣接した町)産のレンコンを近所に配ったら、原爆がうつって、死んでしまうと、捨てられていた。
● 生後8か月で被爆した女性は結婚はしたものの1か月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、それまで優しかった義母に「あんたー、被爆しとるんねー、隠してから。被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー」と離婚させられた。
● ある女性は被爆者とわかると縁談を断られることが続いた。それでも、60年代に結婚した。仲人 は、彼女が原爆に遭ったことを伝えていなかった。義母は、彼女が被爆者と知ると、「奇形児が生 まれたらどうする」と言って子どもを産むのを許さなかった。結婚生活は数年で終わった。
● 結婚をあきらめたり、被爆者どうしで結婚したひとは多かった。
● 被爆者はいつ死ぬかもしれない病人と同じように扱われ、元気であっても、なかなか就職できないことがあった。
● 私(三登)の知人は「ぶらぶら病」のために社長や同僚から「怠け者」の烙印を押されて解雇された。
(注)「ぶらぶら病」とは体力・抵抗力が弱く、疲れやすい、身体がだるい、などの訴えが続き、 病気にかかりやすくなる病気。
● 私(三登)の友人は東京で急病になり、町医者に行った。医者は「被爆者健康手帳」を見るのは初めてだったようで、看護師や事務員に「被爆者が受診に来た」と言って、皆を集めて手帳を見せた。まるで「見せ物」だった。
● 広島と長崎から遠いほど差別は厳しい。孫の縁談にさしつかえてはと心配し、被爆者健康手帳をとらない被爆者が多くいる。
● (新しい差別)老人が多く集まる病院の待合室。被爆者健康手帳を見て「あんたは(医療費が)ただでいいね!被爆者で!」と言われる。被爆者健康手帳だとがわからないようにカバーをしなければならないような状況が起きている。
(注)これが被爆者健康手帳です。広島の多くの老人はこの色を見ただけでそうだとわかります。
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