「広島の視線 」原爆・ヒロシマ・平和公園・ガイド・花・英語

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20世紀初頭から自動車産業の中心地になったイギリスのコベントリーが、第二次世界大戦の際に軍需品製造に当たるのは当然でした。しかし、そのために コベントリーは悲劇に見舞われるのです。

1940年 11 8日英王室空軍が ミュンヘンを爆撃した報復として、11 14日ナチスドイツはコベントリーを標的にしました。この町に30000個の焼夷弾、500トンの高爆発物、50個の地雷、20個の油雷が11時間にわたる長時間、停まることなく落としました。瓦礫の間に死体が横たわり、中には誰か見分けのつかないものもありました。554人の男女、子どもが亡くなり、865人が負傷しました。


こうして、歴史ある コベントリーは爆撃されたのです。コベントリーの大聖堂も焼け落ちましたが、その翌日教会の司祭は「報復を叫ぶのではなく和解と平和を」と呼びかけたのです。この「和解と平和」の精神は戦後の市政に引き継がれ、平和都市コベントリーの心となっています。コベントリーの心を象徴する『和解の像』が1995年(終戦50年)にレチャード・ブラソン氏によって、旧コベントリー大聖堂(聖マイケル教会)に、レプリカが広島市に寄贈されました。

               焼け落ちた旧コベントリー大聖堂
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平和公園内の国際会議場のロビーにある「和解の像」
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