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歴史的情報(戦後)

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アメリカ政府の意思決定など、原爆投下の経緯について研究を続けてきたピーター・カズニック教授は、プレスコードの背景にはGHQの占領政策が大きく関わっていたと指摘する。
 
「戦後、アメリカは日本人に親米感情をもたらすためにあらゆる手立てを講じていた。原爆投下に関する詳細な記録を隠すことで、原爆への関心が高まらないように画策していた。一番警戒していたのが、日本人の間で原爆投下に関する議論が巻き起こることでした。もし、日本人が知ったら、心の底から激しくアメリカを憎むような事実があったからです。
具体的には、原爆投下の理由が純粋に軍事的とは言い難いこと、道徳的に正当化できない行為であること。戦争を終わらせたのが原爆ではなかったこと、戦争を終わらせるために原爆投下は必要でないことを、アメリカ側は知っていたという事実です。
もう一つ警戒していたのは、原爆投下後の光景が日本人の心に残ってしまうことでした。そのために、日本人に原爆投下がもたらした惨状を見せようとはしませんでした。原爆投下が全く不要な“戦争犯罪”であったことを知らせたくなかったからです。
それで、アメリカは原爆に関する資料を隠して、議論が起こらないようにすることで、日本人が原爆をすでに終わった過去のものと考えるように仕向け、アメリカに対して怒りや敵意を感じることがないよう画策したのです。」
(「原爆死の真実」岩波書店)

 
オリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授が語る『アメリカ史から見た原爆投下の真実』

オリバー・ストーンとピーター・カズニックが語るアメリカ史から見た原爆投下の真実〜アメリカの世界支配と日米安保〜
https://www.youtube.com/watch?v=MscxK77aqPQ(動画1時間35分)

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敗戦後まもなく、東京の隅田公園に大空襲のために亡くなった10万人余りの慰霊塔を建立する計画があったことを知る人はごく少数であろう。しかし、GHQの命令があり、東京都が許可しなかった。理由は当時は不明瞭であったが、慰霊塔は米国への憎悪を残すことになる、日本国民に早く戦争を忘れさせたいゆえだった、といまはGHQの占領政策によることが明らかになっている。

 おそらく空襲で焦土となった日本各地の中小都市でも同じようなことがあったのではあるまいか。

 半藤一利著(「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦)

東京大空襲

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昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がダグラス・マッカーサーを訪れ、会見しました。

「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)

会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカーサーの最大の好意の表われでした。


昭和天皇とマッカーサー会見の時

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「戦後上野駅で一日最高6人の餓死者」という新聞の報道を裏付ける山田風太郎の日記
(1945年11月28日)
イメージ 1

1945815日、戦争は終ったが、日本の食料事情はすぐに上向きになったわけではない。「食糧管理法」のもと、国が管理する配給体制は依然として継続され、国民の食生活は不安定なままであった。194511月1日には、日比谷公園で「餓死対策国民大会」が開催され、さらに全国で「米よこせデモ」など、各地で食料を求める運動が勃発した。特に都市部での食料事情は劣悪で、闇市の横行、郊外への買い出しブームが興隆。さらに1948年には、主婦連合会が発足し、中心となった主婦たちが、象徴的な台所道具「しゃもじ」を掲げ、食料不足の解消を訴える活動を展開した。
 
日比谷公園で餓死対策国民大会
 
「餓死対策国民大会」チラシ
 
 

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NHK 戦後証言アーカイブズ
http://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/?das_id=D0012100098_00000
2013年度「地方から見た戦後」
第1回 沖縄 〜“焦土の島”から“基地の島”へ〜

第2回 水俣 〜戦後復興から公害へ〜

第3回 釧路湿原・鶴居村 〜開拓の村から国立公園へ〜

第4回 猪飼野 〜在日コリアンの軌跡〜

第5回「福島・浜通り 原発と生きた町」

第6回「三陸・田老 大津波と“万里の長城”」

第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」

第8回「山形・高畠 日本一の米作りをめざして」

2014年度「知の巨人たち」
第1回 原子力 科学者は発言する〜湯川秀樹と武谷三男〜

第2回 ひとびとの哲学を見つめて〜鶴見俊輔と「思想の科学」〜

第3回 民主主義を求めて〜政治学者 丸山眞男〜

第4回 二十二歳の自分への手紙〜司馬遼太郎〜

第5回 吉本隆明

第6回 石牟礼道子

第7回 三島由紀夫

第8回 手塚治虫

2015年度「未来への選択」
第1回 高齢化社会 医療はどう向き合ってきたのか

第2回 男女共同参画社会 女たちは平等をめざす

第3回 公害先進国から環境保護へ

第4回 格差と貧困 豊かさを求めた果てに

第5回 教育 “知識”か“考える力”か

第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて

第7回 難民・外国人労働者 異国の民をどう受け入れてきたのか

第8回 エネルギー消費社会 新たなエネルギーを求め



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