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他のネット上のブログで 載せている話を転載します。
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今年、大津市に合併された志賀町というところに私は住んでいるのですが、この志賀という地域は先日書いた小野一族をはじめ 昔から色んな人が住み暮らしていましたから 色々伝えられている話が在るようです。
その中の1つが 相撲の初代行司であり、相撲を今の形に作り上げたと言う事になっている人(四十八手の制定、禁じ手の制定、と言う事は今様で言えば ルールを定めて スポーツとしての相撲を造った人物)、志賀清林の話があります。
奈良時代に木戸(JR湖西線志賀駅の辺り)に生まれた人物だと言う事です。
この話は江戸時代、18世紀末に行司役を拝命した吉田家の由緒書きの形で世に残っている話ということで 吉田家が造ったインチキ話だとけなす人もいるようですが・・・・・明治25年に 木戸に伝えられていた墓石が 志賀清林のものとされ この地が墳墓と言う事になったようです。その後大正年間に 整備された墓地には 記念碑が建てられました。記念碑の高さは3.75m、幅1.4m、厚さ21cmで、清林の墓石の右側に建てられ、刻銘は板垣総裁のてん額、撰文は今屋友次郎陸軍少将の書による物とあります。今屋陸軍少将と言うのは 大津に駐屯していた歩兵第九連隊の大隊長などを勤め、この年(大正9年のこと?)の九月には第九代大津市長に就任した人だそうです。
その後 昭和39年にはこの墓地の北側に清林相撲公園が出来、相撲興行を行ったそうです。
平成になってから この相撲公園は清林パークとして整備され 家族連れで遊べる公園として 親しまれているようです。(もっとも志賀清林の話を知っている人は 殆んどいませんが・・・・)。
以上のような話は 「ぶらり近江のみち」というHPがとても詳しく書いています。
http://med.honnet.co.jp/metro/oumi/oumiindex.htm
昨日、清林パークへ行って見ましたが チョイと不勉強だった?ので 志賀清林の墓所が何処に在るかわからず、公園の写真だけ取って帰ってきました。
一枚目、清林パークの方に在る説明書です。縮小していますから読み取れないかもしれませんが「当公園隣の閑静なたたずまいの・・・・」と有りますが どちら隣か よくワカリマセン・・・。
解からない私が悪いのでしょうね、きっと。(地図も何も無いのです)。
二枚目、清林パークの写真です。撮影位置の上に更に芝生の広場とグンパイの形のグランドなんかもあります。この写真ではよくワカリマセンが 下の遊び場への斜面は周りを囲む形で 芝生席になっています。砂場は土俵の形、手前の四角い枠は桟敷席の心算でしょうか。写っていませんが 時計塔は櫓太鼓の形になっています。
今日、目星をつけて 再訪問して見つけた墓所です。清林パークの南側の墓地の入り口と言った所にありました。解かってみれば何のことは無い・・・ですが、石柱に彫られた文字と言うのは 一見しては判り辛いのです・・・・。
三枚目、石で作られた柵の内側になります。右側の小さい墓石が志賀清林の墓石です。向かって左側(墓石の右側と言う事になります)が記念碑です。
四枚目、墓石をアップしました。相撲取りらしき像が彫られているのが解かりますか。
最後は 周りの石柵にぶら下げられている説明文です。
とても詳しくは書けませんので よくお知りになりたい方は 是非 上に紹介のHPを御読み下さい。
記念碑の方は 画像を縮小してしまうと全く読めませんので 掲載は止そうかともおもいましたが・・・こんな感じです。。
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