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筋子の粕漬け

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ブログで知り合った 北海道出身のSさんに 教えてもらって筋子の粕漬けにチャレンジしました。
筋子は北海道は知床半島からの”お取り寄せ”です。酒粕はこれもネットショップの酒屋さんから おまけにもらったもの、練った焼酎は 種子島の「紫(ゆかり)」。
まずい訳はありません!!二週間ばかりたって 試食してみました。
上出来だと思うのですが・・・・・食べて見て 思い出しました・・・・昔々これは食べた事があったのではなかったか?
確か その昔食べたのは もっと水分が飛んで ねっとりした食感が有ったのではなかったでしょうか?
もう十日ばかり 漬けてみましょうか?少しずつ食べていくうちに イメージに近付くかな?
今でも、充分美味しいのですが(^^)。

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他のネット上のブログで 載せている話を転載します。
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今年、大津市に合併された志賀町というところに私は住んでいるのですが、この志賀という地域は先日書いた小野一族をはじめ 昔から色んな人が住み暮らしていましたから 色々伝えられている話が在るようです。
その中の1つが 相撲の初代行司であり、相撲を今の形に作り上げたと言う事になっている人(四十八手の制定、禁じ手の制定、と言う事は今様で言えば ルールを定めて スポーツとしての相撲を造った人物)、志賀清林の話があります。
奈良時代に木戸(JR湖西線志賀駅の辺り)に生まれた人物だと言う事です。
この話は江戸時代、18世紀末に行司役を拝命した吉田家の由緒書きの形で世に残っている話ということで 吉田家が造ったインチキ話だとけなす人もいるようですが・・・・・明治25年に 木戸に伝えられていた墓石が 志賀清林のものとされ この地が墳墓と言う事になったようです。その後大正年間に 整備された墓地には 記念碑が建てられました。記念碑の高さは3.75m、幅1.4m、厚さ21cmで、清林の墓石の右側に建てられ、刻銘は板垣総裁のてん額、撰文は今屋友次郎陸軍少将の書による物とあります。今屋陸軍少将と言うのは 大津に駐屯していた歩兵第九連隊の大隊長などを勤め、この年(大正9年のこと?)の九月には第九代大津市長に就任した人だそうです。
その後 昭和39年にはこの墓地の北側に清林相撲公園が出来、相撲興行を行ったそうです。
平成になってから この相撲公園は清林パークとして整備され 家族連れで遊べる公園として 親しまれているようです。(もっとも志賀清林の話を知っている人は 殆んどいませんが・・・・)。
以上のような話は 「ぶらり近江のみち」というHPがとても詳しく書いています。

http://med.honnet.co.jp/metro/oumi/oumiindex.htm

昨日、清林パークへ行って見ましたが チョイと不勉強だった?ので 志賀清林の墓所が何処に在るかわからず、公園の写真だけ取って帰ってきました。
一枚目、清林パークの方に在る説明書です。縮小していますから読み取れないかもしれませんが「当公園隣の閑静なたたずまいの・・・・」と有りますが どちら隣か よくワカリマセン・・・。
解からない私が悪いのでしょうね、きっと。(地図も何も無いのです)。


二枚目、清林パークの写真です。撮影位置の上に更に芝生の広場とグンパイの形のグランドなんかもあります。この写真ではよくワカリマセンが 下の遊び場への斜面は周りを囲む形で 芝生席になっています。砂場は土俵の形、手前の四角い枠は桟敷席の心算でしょうか。写っていませんが 時計塔は櫓太鼓の形になっています。


今日、目星をつけて 再訪問して見つけた墓所です。清林パークの南側の墓地の入り口と言った所にありました。解かってみれば何のことは無い・・・ですが、石柱に彫られた文字と言うのは 一見しては判り辛いのです・・・・。
三枚目、石で作られた柵の内側になります。右側の小さい墓石が志賀清林の墓石です。向かって左側(墓石の右側と言う事になります)が記念碑です。


四枚目、墓石をアップしました。相撲取りらしき像が彫られているのが解かりますか。



最後は 周りの石柵にぶら下げられている説明文です。


とても詳しくは書けませんので よくお知りになりたい方は 是非 上に紹介のHPを御読み下さい。

記念碑の方は 画像を縮小してしまうと全く読めませんので 掲載は止そうかともおもいましたが・・・こんな感じです。。

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「しとぎ祭り」ってご存知ですか?
「しとぎ祭り」と言う幟が 私の地元の北側、和邇の辻にずらっと立てられています。
「しとぎ」と言うのは漢字で書くと「粢」となるようです。
神社の中の掲示では米の字の下に食という字が入っていますが・・・・ほかに米の下に餅の旧い字が入っている字も在るようです。
どちらにしても 元の意味は 調べると、生米を粉にして卵形に纏めたもので 神に供えるもの、昔の米食の形とか出てきます。転じて米を少し蒸して潰して長い卵形に丸めたものと言う風にも書いてあります。(多分お持ちほどは蒸さない、搗かないのかな?と思います)。
 
粢(しとぎ)祭りが行われる神社が 小野神社です。
小野神社は 小野妹子か小野氏の祖先 天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)と 七代目の米餅搗大使主命(しとぎつきおおかみぬしのみこと)を祀って創建した神社と言うものだそうです。
米餅搗大使主命(しとぎつきおおかみぬしのみこと)と言う人が 御餅を最初に造った人と言う事になっていて 今では御餅、お菓子の神様として進行されていると言う事のようです。
十一月二日に行われる 粢(しとぎ)祭りには全国から お菓子(特に和菓子)の業者の方々もおまいりされるとのことです。
(今回ネットで調べてみると祭礼の日付が間違って書かれているHP ブログが幾つか有るようです。それも気になって 今日訪れてみたわけです)。
創建されたのは推古天皇の時代と言われていますから600年代でしょうか。神域は約3万300平方m、となっていますが 元は それらしく一山?のなかであったと思われる 小野道風神社とは数百m離れた間には 林だけではなく人家が有ります。
(間には石神古墳群もあります、4つの古墳が在るそうですが どうも形が良く判りませんでした)。
小野篁神社 小野道風神社は略同時期に立てられた本殿が残っており、小野道風神社は1338年に立てられたと言う事がハッキリしているのだそうです。
もっとも江戸時代に立て直されたとありますが・・・一部は創建時代のままの細工が残っているとのことです。
一枚目は私の家から歩いて10分足らずに在る 小野道風神社の本殿です。


小野道風神社から鬱蒼と茂る杉の林、竹林を抜けて暫く行くと小野神社、小野篁神社に着きます。
二枚目です。小野神社です、神社の両脇に狛犬より内側に 鏡餅が飾られているのが見えます。


小野神社は小さく小野篁神社本殿の後ろ側に 小野神社の方が摂社であるかのように建っています。
三枚目、小野神社の本殿です。


四枚目、小野神社の斜め前に在るのが 小野篁神社本殿です。三社の中では一番大きな建物です。


最後に小野神社(小野篁神社)の参道です。右側の白い土塀は上品寺(じょうぼんじ)と言うお寺で小野篁が849年に 開いたお寺だそうです。
その土塀の前の大木はムクロジ(無患子)の木で 胸高周囲4.19mで滋賀県最大のムクロジとありました。

つい今しがた TVで向田邦子さんのことをやっていました。
向田さんが亡くなって25年だということです。
素晴らしい脚本家だったと思います。彼女の訃報を聞いたとき、本当に残念と思ったことを昨日の事のように思い出します。
処女作の小説が直木賞を取ったということも彼女の名を遺した要因でしょうけれど 私にとってはそれ以上に TVドラマの脚本家としての彼女が 天才として記憶に残っています。
≪時間ですよ≫とか≪寺内貫太郎一家≫なんて言うドラマを 後世に残る作品にして見せたのは 彼女の力でしょうし、≪あ、うん≫とか、沢田研二のつまらない演技で潰されたとはいえ ≪源氏物語≫とか脚本は素晴らしかったと思います。現在稼ぎまくっているX田XX子とかいう下手な脚本家とライバル扱いされ始めているのを 嘘だろうと思って眺めていたものです。(レベルが違いすぎると・・・・)。
ナンとか田さんはいまだにストーリーを作ることは出来ても場面と科白の組み合わせでドラマを作ることが出来ない、長台詞で場面説明をするしか脳のない 脚本とはとても呼べない作品で食べておられる・・・・ま、彼女しか居ないのかな〜と言う現状があるのでしょうけれど・・・。
ここで向田邦子が生きていたら・・・・と改めて しみじみ今日は思ったことでした。
ハイ、今日は勝手な事を書かせていただきました。ナントカ田XX子さんのファンの皆様ご勘弁を・・・・というか、あんな脚本家に 稼がせておくほどTVの視聴者というのは甘いのですか?????他に次々と若手が出て来てはいるとお思うのですが・・・・。

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野暮用で朝から京都へ出かけました。朝から、京都は小雨が降ったりする、妙な天気でした。
昼食をとってから 雨も止んだので 鉾たての始まっている山鉾町へ回ってみました。

一枚目はまだ これから ボチボチ建てようかなと準備を始めたところです。多分?山伏山かと思うのですが・・・。アスファルトの上に 四角い鉄板が有るのが見えます。
この鉄板の上に 山が組み立てられるのだそうです。山鉾町の道路にはその山鉾の位置に必ず埋め込まれています。(アスファルトが凹んでしまうのを防いでいます。)写真の物は山用ですので 規模が小さいですが 鉾の所は当然、その大きさに合わせて広くなっています。


菊水鉾の車輪と木組みの一部です。木組みを荒縄で縛って組み立てられます。(鉄釘の類は使われません。)


月鉾が周りの装飾前(タペストリーとか幕を飾る前)で木組みがよく見えています。


調度函谷鉾の曳き初めが行われていました。50m足らずの距離を引いてみると言った格好です。
お囃子も乗って 本番の巡行の姿で曳かれます。(作業服姿の大工さんや鳶の人たちが 真剣に見ています。)それにしても プロ、アマを問わずカメラマンの多い事・・・・・。




祇園祭は今日明日で山鉾の組み立て 曳き初めが行われ いよいよ17日の山鉾巡行へと、盛り上がりを見せて行きます。
それにしても 私が京都に住んでいたころは 山鉾の組み立てが始まると四条烏丸の辺りへは よほどの事が無い限り 車では近付きませんでしたが・・・・。今日は 随分車が多く 山鉾の建っている細い道は 通行止めですから かなりの混乱と渋滞が始まっていました。他府県ナンバーの 観光と思われる車が 随分混じっているのが チョット私には 奇異に見えたのですが・・・・考えてみると京都市はちゃんとそんなお願い若しくは指導をやっているのかな〜〜。

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