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レビィナス考(3)

レビィナス考(3)

存在とは外部性である

存在の外部性とは道徳性である。

無限なものへの渇望として、神学的概念を用いないで<善さ>というもので超えようとしている。

<善さ>とは、個としての人の顔、現実の顔そのものであると、普遍性からではない、顔という一個からであると

誰が誰を弄んでいるか、しかし顔が現れるや否や人は----

顔とは、一個の人格への渇望である。



レビィナスが「----ではない」というものは、かつて「----であるもので」あったものばかりであり、現在も「----であるもの」であるのだった。レビィナスは自説、自己の概念を伝えんがために、「----ではない」と言っている。

作品が不条理なるものであるのは、思考に欠陥があったから、

ハイデガーの非人称的、中立的な存在との絶縁、ヘーゲルの非人称的理性との断絶。

私を状況から分離するために、状況に解消しないために、

自らが有機的存在であることの醜聞、これが最高の不条理であった。悲劇であったと。
サルトルにとっての他者は、私の自由を脅かす存在としてあった。

レビィナスは生を、他者に対する存在。他者のための存在としてとらえる。

自由とは、道徳性、良心を踏み越えるものとして。

平和とは、私の平和でなければならない、それは一個の私が発し、他者へと向かう関係、渇望と<善さ>における平和、<善さ>において私が維持されることと同時に、私はエゴイズムを脱して、現実存在する。

多産性を介して、自分の時間となる、無限なる時間を確信した<私>を出発点として。

多産性という家族は、国家の諸借定とは全く異なる、生物学的事実をも超える、人の実在の最後の骨組みであると。

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