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私の文学とは何か

私の文学とは何か

誰かに何かを伝えたり、共感を求めてのものではないということ、自らのために、自らを味わい、私を生きるものとしてのもの、世界も同じこと、私の世界として、見、味わい、噛みしめと、そこに在る共感を共感としているだけ、生い立ちを書くことは、人生の再体験、客観化の喜び、物語らないことの書き方は、私との一体、齟齬を嫌ってのこと、テーマに対して、人物、物語を設定し、そこでの私の感情、考えの掘り下げ、深め、が小説の醍醐味であり、創造世界を書くということで生きるのが、作家の人生ではあるが、私は、私の現実が、それ自体で創造的、対象、テーマであることが喜びであるのだった、人生とは、私のものであるのだから、私の方法で、私の為にやっているだけ、世界や、人生が、一回性の私の興味なだけ、核の問題が全人類の宿命となった今、それに立ち向かい続けているだけ、

ヨーロッパと音楽

多く音楽世界は人の理想を描こうとしている、様々な楽器、様々な技法、様々な感情が、人の共感を得るように、メロディー、リズム、ハーモニーと、倦むことなく追求されてきた、それはキリスト教文化と一体となって、世界の理想化を目指して、そこには人間の理想とする規範があった、文化はそれへ向かうものとしての捉えがあり、が、そうした枷からの孤立、自律としての確立が文学となって行くのだが、理想への反抗としての文学、キリスト教が理想を説けば説くほど、人間への尊大と自由を標榜することとなり、枷からの解放がテーマとなるのだった、依存というより強制としての文化があり、ヨーロッパ音楽がキリストの代弁となってあり、世界は、そこには批判、反抗、自由が必然となり、交響曲のような人間謳歌、又は不協、無調の反抗へと、法律といい、科学といい、宗教哲学といい、ヨーロッパにおいては、観念としては達成されていると思える、唯一者の意識も。絶対神の想像からくる人の理想、究極がそこには思考され、世界は所有されて在ると、個人において最期は神の下へと、そこには人としての理想形が、長い時の中に備わっているのだった、それがキリスト教文化というものとして日常を取り巻いているのだった、それらが犠牲と奉仕を自然なものとして、社会国家を、自らの所有とし、科学、合理、方法の追求へと、そして時に正義の名の下に、理想の名の下に、戦争もいとわず、西洋音楽に見る人間への飽くなき探求、音という非言語、抽象を通しての、音楽の果たした文学への役割、文学の果たした音楽への役割、一体となって発展してきたことが、ヨーロッパ近代への流れへと、

芸術は破局をどのように

タルコフスキーのストーカー
〜破戒、反権力、神秘、超越、汚染の中を絶望的に、一縷の希望を追い求め、縋るように、

1、良心に対するアプニオリの意識、
2、愛の、女性による献身性の中に見る感情、
3、自己の責任の自覚と犠牲、義務の肯定、
4、芸術の果たす役割と信頼の感情、
5、絶望に対して、問い続ける意思、
6、唯一者としての意識、

ストルガッキー兄弟

兄、アルカジー
(1925)レニーグラード包囲経験、そこで父死亡、
(1991)日本文学研究者「ビキニの涙」、安部公房の「第四間氷期」の訳者、

弟、ボリス
(1933)天文学科、コンピューター博士、
    ストーカー(路傍のピクニック)

悪魔より良心を信じる、
女性の献身性を信じる、
責任と義務は論理的に肯定、
芸術の果たす役割は、生身性の方が信じられる、
唯一者意識は一致、
絶望に対しては、闘い続けるしかないも、

個人が、社会が、絶望を自覚、共有していないと思うから、私は頑なであるのだった、タルコフスキーへの共感も、絶望の共感があり、それでも尚、何かがと、問い続けることへの共感、
この巨大な人間システムに対して、問い続け、闘い続け、屍と化す芸術をこそ、

心地良い記憶

花の香りのように、よみがえる心地良い記憶、養護施設での、夏休みの草刈後の風であったり、裏山の冒険であったり、雨の日を、一人で眺めた窓であったり、結婚後の、子供との、エミとの、一人山行での、喫茶でのと、過去の体験の中の記憶が、消えることなくよみがえる、それはプルーストのようではあるが、私独自である、私対世界の、世界への全肯定の感情がそこにはあった、あの中学時代の、施設から一日も早く出たかった、あの高校時代の相続問題の苦闘の記憶でさえ、幼い私として、愛らしい、健気、癌を病んだ時も、3.11からの時間喪失の時も、あの向き合ったエネルギーが懐かしい、70年という時を経て、自愛を生きた記憶が、切れ目なく、今という時から俯瞰でき、今私は、私と世界を全所有している、時間という記憶に包まれ、一体感に充たされている、

文学学校

詩学、学習の友、詩人会議、短歌研究、新日本歌人、民主文学、中労学院、現代文芸、シナリオ学校、横浜文学と、若き日、渡り歩いた、師を求め、友を求めて、が、何処においても、影響、共感を得る場所とはならず、一人を歩むことに、葉山嘉樹に、プロレタリア文学に、石川啄木に、口語自由律に、ゴーリキーに、ロシア文学にと、それらを師とし、方法とし、が、それらは、経済成長、歳を経る中で、色褪せ、自らのテーマが問題となり、40にして癌を得て、初めて私の文学が求められ、以来、私の方法で、私のための文学をと進んできたのだった、そして、3.11は私のための文学から、世界のための文学へと変化させてきたのだった、

がん患者に対してのように

現代の、未来の芸術とは、絶望に抗する、又は共存する、がん患者に対しての、寄り添うような、又は自らも絶望し、問い続けるものに、作品世界に問いがなく、答えられた世界では、嘘、無意味、人生とはを、存在とはを、問い続ける文学のみが、絶望に抗する、共存するものとなる、問うをテーマにすることではない、作者の問いが滲み出ている、読み手は読むしかない、絵でいけば、見るしかない、受容するしかない文学、
テーマ、答えを求めたくないのだった、求められないのだった、ただ問うだけ、言葉の一語、文章の一節では断定はするものの、全体としては何も描けてはいない、で良いと思うのだった、まとめ、答えられたものは、絶望に何ら役に立たないのだった、
Oに、Hに何か答えや、言葉があっただろうか、病んだ者に、余命を数えている者に、病んでいない者が、掛ける気慰めの言葉のような文学が、この核汚染の世界に、抗するものとはならず、問いを問い続けるばかり、

2016平和美術展

MSの絵
働く人、円状、流線状に動いている輪郭、黒色の中に、黄と赤の輝き、困苦の中に存在している、働く人々をとらえている、

MT
2.3号の顔のデッサンを、10枚程貼り付けて一枚の絵にしたもの、MSの流線のような、円状の線で、生き生きととらえられている、粗末な画布と、染みの古色が良かった、

T
知床かの湿原に横たわる倒木を、格闘するように描いている、一本の木の存在を問うように、木の色は、灰色の中に虹色が折り込まれ、死して尚、有機物としての命を生きている姿が表わされていた、

三人とも、技術ではない、問うものとしての芸術がそこにはあった、それこそが描く人にとっての意味、生命であるのだと、

共感

権力者に対して、君も私と一緒だよの視点は、死と言う事ではあるが、その前に放射能を吸い込んでいるという、死へのプログラムが一緒だよということ、いずれ、同じ運命だとの、同じ絶望の共感をするということ、それらを運命だから、核の罪という原罪だからと捉えても、明白な人間というものの愚の共有、原罪も、慈悲も、人の行末を見知っていての諦観から生まれたもの、3.11以降、絶望の中の希望とは、そうした人存在が現実化、普遍化したということなだけ、障害者が健常者に対し、いずれ貴方も、貴方の子供もまた、と、差別する者へ慈しむ心のような、
自然への涙は、美しさに対してではなく、傷ついたDNAを見ている悲しみの涙、人が汝自身の愚を知った、人間が人間になった汝自身をの所からの共感、一体の歴史が始る、キリストも、釈迦も、マホメットも、その後の教理も、原点は絶望の肯定、獲得であったのだろう、宗教の持つ不合理、矛盾、飛躍は、絶望の理解が出来ると、全て肯定できるものであるのだった、

新しき人

異邦人のスタイル、マルテのスタイル、私がそこで生きること、人間の到達ということ、癌と核を通して、神ではない、核という絶対、死に至るという病の、この必然を通して、人は至ったということ、ムルソーが沈黙、無関心によって至ったのとは違う、マルテが死を通して開明した実存とは違う、唯一者として、目覚めた、新しき人、その新しき人が、現在の私であることの、デストピア、しのびよる破局、その中を生く人、奇形、障害、様々な病の中を生く人、その人間群が新しき人、キリストの、イスラムの、釈迦の、歴史の様々な人物の、考えられた絶対は、地上という、存在という、楽園の絶対肯定から捉えられたもの、が、世界が、核という絶対邪悪の、人の住めない、宿命、運命付けられた世界であったなら、天国は考えられない、数十万年に渉る地獄の世界にあって、人間という種の絶滅が想定される中で、いかなる新しき人が、「少女終末旅行」の世界が在るばかり、デストピアを旅する、宿命も、運命も、種の自然である様な、今を楽しくと、生きる現代人のように、

真実、正義、

絶望状況において、真実や正義が意味を持つのか、真実や正義が対社会においての意味や価値であるのなら、無意味、唯一者としての絶対存在を意識するなら、私を生くが全ての真実、正義、意味となる、人間のどうしようもなさに対して絶望するかしないのか、してもしなくても、理想を求め、信じる存在と、そうでない存在、物事には真実と欺瞞、正義と不正があるとするなら、それら両面が在ることが人であるとするなら、絶望も希望も、両面に過ぎないのか、哲学も文学も、追求する程のはものではないのだった、新しき人とは、唯一者でよいのだった、唯一者の意識だけがそれらを超えられる、
ボブマーリンがこの唯一者としての意識を自覚していた、善でも悪でもなく、両面を一として、存在する人間として、シャーに遣わされた者としての自覚と、

理解、共感、支配

食料、住宅、教育、文化、娯楽、戦争のために科学という実証、再現可能の形が発展した、芸術文化が共感をベースにした愛を考えてきたが、支配、戦争とは、人をそれらをコントロールすることである、今彼らが欲するのは、インターネットの管理であるのだが、個々人の意識の盗聴であろう、チップを埋め込まずとも、焦点さえ合わせれば脳波を読み取り、意識を把握することが可能な技術、さらにその意識をテレパシーによってコントロールする技術であろう、いずれ可能となるであろう、しかしそれは自らも、人間全体が単体化されるということ、いずれは、理解、共感を拒む時代へと、そして唯一者としての自覚へと、人の起源とは、共感からの自立であったのだと、膨大な人類の歴史と文化が在る、が、それらと何の関わりも、共感も持たない、新しき人としての、唯一者を生きる人間、未開の、縄文人、原始人間を生きていくこととなる、








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