個人誌 『未踏』全ページ

私はここにいます 貴方がそこにいて嬉しい

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犠牲精神とは何者か

犠牲精神とは何者か

キリスト教に於いての殉教、共産主義における自己犠牲、仏教の利他心、そし親の子への、神は死んでも、人は、信念、真理、共同体のために、主義のために、被抑圧者のために、貧しき者のためにと、犠牲となることを讃え、新しき犠牲精神とは、津波に対する「てんでんこ」のような核汚染地への帰村ではなく、保養または移住、愛郷ではなく、安全な土地へのように、もはや人を助けることに意味はなく、自らが生きるだけで十分な、こうしたすべての意味を剥奪された世界での、愛といわれた犠牲精神に変わる、最期の人々の、新しき犠牲精神とはいかなるものに、人のために、人の助けに、人と共に、美に、真理に、自由に、平等にと、意味を見いだし、作り上げてきた世界に、核という絶対の前に、対処療法しか持たない科学に、世界の核汚染地を生きる人々に、どのような精神が、人間の過去の文化を以っては役に立たない、結局は絶望を肯定、受容して、今在ることを、死すまでの喜びとする以外に、貧しくとも、病んでいたとしても、今在ることの、他者の価値、喜びは知らず、私対世界としての今となるのだった、個人主義でも、厭世、虚無でもない、只、私の世界所有でしか、

家族愛と特攻隊

特攻隊員の告白が、自分が死んだら家族がどうなるかが心配だったと、自分の命より家族の行く末を案じているようなTV、ヤクザが、ISISが家族の面倒は見ると言われて、殺しをするような、個人の尊厳が、組織、国家のために、愛と言うもの、自己犠牲というものの、利他主義の、個人の忘却が、敵と言われる相手を人間として見ない、自己矛盾した精神が、相手を尊重しないものに、愛とは与えるものではなく、利己の、互いの利己によって、契約でもない、私の為が了解されて成立することの、キリストの愛、国家の愛、組織の、共同体の、又は子の、親のと、愛は犠牲の産物のように継承され、人間文化が形作られ、未だ、人は十全には生きていないのだった、これほどの愛の強要の世界、愛の肯定の世界、罪の洗脳の世界、人間を子羊にしてきた世界、

マザーテレサの不信心と川端のノーベル賞

マザーテレサが死ぬその時まで、神への不信に苛んだとの、テレサの神父への手紙、無神論に陥って、テレサがそれでも神を求め、自分の行いで神を示すことで、自己欺瞞を繕っていたのだが、苦悩は増し、告白への手紙へと、ノーベル賞はその欺瞞が頂点に、神を信じていないのに、信じている姿を、そして人に神を示すという罪、愛してもいないのに、愛しているというような、川端のノーベル賞も、美しい日本の私などと、日本賛美したのだが、川端は少しも美など感じてはいなかったのだ、退廃、末期、もののあわれの中に、世捨て、逃避した世界にこそ存在を感じ、骨董、キスリング、自分の作品世界、ノーベル賞はそれらの対立世界の頂点となった、少女趣味の喪失からの自殺ではなく、生命の否定への帰結としての、作ってきた、過ごしてきた、自らの美への殉教としての自殺であった、それは三島も同じ、その点では自己に誠実であった川端、一方のマザーテレサは、自己に誠実であろうとしての懐疑からの、欺瞞、偽善からの苦悩、不実の人生であった、自己に誠実であればこそ、ソクラテスであり、多くの自己貫徹者こそ、新しき人である、

Mが死んだ

子供から先に死んでいく世界、それが当たり前となってしまった、膵臓癌で、一年足らずで、あっと言う間に、2人に1人は癌で死ぬと言って、それがどうしてなのか、どうしてこんなことにかは問わず、タバコだ、食品だ、排ガスだと、核の被曝が全てに関わっていることを無視し、癌は現代病であると、長寿社会が、子から死んでいくというのに、奇形、難病が増え、子の人生が50年になるというのに、核武装、核拡散、核汚染は止まず、癌死の者ら従容と死の床につき、こんな世界と運命に、感謝を捧げ、核への憎しみは吐露することなく、

ジャコメッティ

ジャコメッティの彫刻は、フクシマに生きる人々に、チェルノブイリに生きる人々に、世界の核汚染地に生きる人々に、良く似合う、口を引き締め、虚空を見つめ、為すすべなく立ち尽くす人の姿、嘆きを剥ぎ取られ、喜怒哀楽を剥ぎ取られ、只在る絶望の姿、絶滅までの人の姿、見えないものを見ている、予感できないものを感じている、が、見えている、感じている、絶望を生きるという姿で、未来を、世界を、その愚かしさ、苦痛を生きるという形に於いて表わしている、立ち向っている、それ以外に方法が無いという形において、蹲る、嘆く、怒る、殺しあう、自殺する、飢える、病む、あらゆる人間の断末魔の後に、生き残った新しき人、絶望に対して、パンドラの箱に対して、それでも生きるという、生命の原形質、新しき人とは、この生命の原形質を生きる人、

美しい日本の私〜川端〜

3.11震災以降の、美しい日本、素晴らしい日本のプロバガンダTV、新聞、講演、対話、あらゆる媒体に意図され、奏でられている、フトその昔、違和感を持った川端の、ノーベル賞受賞のスピーチを思い出して、彼は本当に美しい日本と捉えていたのか、何を美しいとしていたのか、その美しいとするものに、意味と、平安を感じていたのか、ジャパン、ザ、ビューティフル、アンド、マイセルフの英訳、美しい日本と私ではあるが、美しい日本の私と、私と日本を対置するのではなく、一体化させた助詞の表現、道元、明恵、良寛、一休の紹介、3日徹夜して書いたと、空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙、融通無碍、もののあわれ論、私は日本古来の悲しみの中に帰っていくばかりと、日本に近代化以前の宿命があり、それがもののあわれというものであり、この滅びの世界に殉じると、何かに書いていた、覚悟をもっての敗戦から20年、70才にして、万物一如の思想、脚下照顧、近代進歩に対しての保守、川端の、三島の、戦後を生きるよすがとしての、侘び、寂び、もののあわれ、彼らの心にどれ程の哀れが、喪われた、国破れた、寄る辺のない、弧塁の、生存の意味、末期の、末裔の遺書としての、

井の頭公園とナジャ

エミコとデイトをするように、井の頭公園界隈を歩く、私はカメラのモチーフを探して、エミコはショッピング、かつてシュールリアリズムを特別な詩人の世界のように思い、憧れ求めた、意識を排除して無意識、自動筆記などと、が、今世界がシュールリアリズムとなってしまって、世界に何ら期待も、希望も持てなく、むしろ絶望だけを見る私にあっては、世界は全て無意識世界となった、禅寺に遊ぶ私とエミコ、70を過ぎ、間もなく生命を終えようとしている二人が、このシュールな世界を、ナジャと遊ぶように、若き日、ナジャは、想像、自由、理想、芸術の女神と思えた、そのナジャが今私の中にいると思える、吉祥寺の店に、人々に、公園、動物園、彫刻館に、核汚染、絶滅への刻みからだけではない、私の価値観の変更から、もちろん癌サバイバー、3.11が決定的ではあったが、この狂気を、エミコと二人で、ナジャが様々にしゃべってくるように、「どうして?」「あれは何?」「あら」「ねえ見て」と、エミコがとある中東人の店で指輪を買った、色がきれいだと3千円の赤い石、たとえ100カラットの宝石であっても、今や意味をなさなくなった、シュールな時代に、その柘榴のような赤い石は鈍い光を放っていた、「どう、この色、ルビーとも違う」「ねえ、ねえ、」エミコという私のナジャ、私は40年を愛でて来たのだなーと、ゼミで「遊びにおいでよ」と気さくに呼ばれた翻訳者の稲田さん2013年に亡くなっていた、

シュールレアリスム宣言と絶望主義

書くべき、今やシュールレアリスム宣言は完成、頂点の域、核、原発、世界の汚染地帯、DNAの毀損、人間はこの現実世界に於いて、放射能管理区域に於いて、セックスをし、芸術と言われる便器を量産し、人間のしていることが全てシュールに、誰もがシュールレアリストに、このシュールを冷徹に、哀悼をもって味わう絶望主義文学を、

ノスタルジアの嫌な気分

過去を書いていて、ふとFBで小学校の同窓生の記事を目にし、思わず懐かしさが湧き、交友を思い立ち、メールをし、TS、KT、KSには電話もし、そして訪れた虚しさ、私の現在の、3.11以降の絶望感情との違和感に遭遇し、自己嫌悪に陥る、彼ら、ノスタルジーなどなく、現在を、日常を生きてきている、私は絶望の日常から、ことさらの感情に捉われている、その落差があるのに、昔の子供時代のノスタルジーに依存して、メールをし、電話もしたことの、乖離、アンビバレンツ、アナグロニズム、SK、K子、AT、FT、etcと、人との絶交を良しとして、私を生きてきたのに、今更何かを求め、その一人生く事の気休めで、人と交わったことへの、先日のT、I達への、その日限りの、気分的な共感の交流と同じように、嫌なものが、彼らの日常を邪魔したような、私が偽善を思い起こさせてしまったような、私対世界とは、私からの共感ではないのだから、3.11以降とはそうしたもの、3.11とは「ベルリン天使の詩」のように、彼らには見えないのだから、裏切り者、変節者、気分屋、利己主義、闖入者、自分勝手、冷たい人、苦労知らず、と私の頑なさにかつて友等は言い、私はそれらを良しとし、異邦を生きて来た、ノスタルジーとは、私から過去への、今は亡き世界への、失われた時を求めてではないのだ、過去は今や断たれた世界、決して時は見出されることはないのだ、

核問題が、私の絶望主義が、政治で解決するのか

権力者が持ちたい、武器としての核、権力という人間の姿、それらが起こした核のパンドラ、不可逆の、戻せない世界の、核汚染という絶望というものが、政治で解決しないと思えていて、この取り戻せない世界への絶望が、組織と個人の、かつての政治参加の問題を超えて、私の政治への無関心になっている、この無を共有することで、全ての問題をアウヘーベンできないものかと、神という絶対から、核という絶対、神は無形、沈黙、核は有形、現実、いずれ人は核の惨禍を経て、対立、矛盾を超えていくだろうとの希望、助け合い、支えあうしか方法が無いことへの共有へと、政治、権力は、必要も、意味もなくなり、原始共産制のような社会へと、







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